インタビューから読み解く あなたに勇気を与える卓球選手の言葉 #3 木原、打浪、森薗編

写真:左から打浪優木原美悠森薗美咲/提供:T.LEAGUE(打浪、森薗)、ラリーズ編集部(木原)

Rallysでは、卓球選手の協力のもと多くのインタビューを実施し、選手たちの声を聞いてきた。

数々の栄光や挫折を経験し、卓球人生を送ってきた選手から紡ぎだされる言葉は、我々の心に深く響く声となっている。

今回は、森薗美咲、打浪優、木原美悠のインタビューの中から名言をお届けする。

「結果がどうあれ、現役生活が終わる最後までひとつの目標に向かって頑張り続けたい」(森薗美咲)

写真:(TOP名古屋)/撮影:ラリーズ編集部

Tリーグ・TOP名古屋に所属しプロとして活動している森薗美咲。弟は森薗政崇、いとこは森薗美月という卓球一家に育った。福原愛、水谷隼、丹羽孝希らを輩出した青森山田中高で腕を磨き、卒業後は大学に行かず女子実業団トップの日立化成で7年半プレーした。

「その時々で一番強くなれる環境を選び続けてきました」と2018年からプロの環境に身を置き、プレーを続けている。

組織から独立して活動し、再び日の丸を目指すと公言する森薗。

結果がどうあれ、現役生活が終わる最後までひとつの目標に向かって頑張り続けたい。そうじゃないと今まで長くやってきた自分に対しても、支えてもらった人たちに対しても申し訳ないから」。

森薗一家の「アネゴ」的存在であり、同級生の石川佳純らとともに日本の女子卓球界を牽引してきた。日本ではまだ珍しい女子のプロ卓球アスリートは日々どのような生活を送るのか。その活動実態に迫った。

「何千本って多球練習をしたけど、自分からは絶対に休憩しなかった」(木原美悠)

写真:木原美悠/撮影:伊藤圭

2019年1月の平成最後の全日本選手権では平野美宇を下すなど大躍進を見せ準優勝、12月のグランドファイナルでは中国ペアに勝利し圧巻の優勝を飾ったシンデレラガール・木原美悠。

世界トップ選手が集うグランドファイナルの準決勝、中国ペアを相手に劣勢の中、笑顔でプレーする強心臓ぶりも見せつけていた。国内外を驚かせるプレーを連発する木原もまだあどけなさの残る15歳だ。

幼少期を紐解くと、相当にストイックな練習環境に身を置いていた。「お父さんは厳しかった。3歳でラケットを握って、4歳から素振りの練習です。幼稚園の頃には、しごかれてましたね」と振り返る。

「何千本って多球練習をしたけど、自分からは絶対に休憩しなかった。でもそこで止めたら負け、みたいな気がして」。

アスリートに不可欠な負けん気、そして強心臓を幼少期の過酷な練習によって培っていった木原。いつもニコニコ、笑顔を絶やさぬ令和期待のシンデレラガールのインタビュー。

「あの頃の私は自分が強いと思い上がっていて、自分自身をがんじがらめにしていた」(打浪優)

写真:打浪優(日本ペイントマレッツ)/撮影:ラリーズ編集部

卓球を始めたのは小学校高学年になってから。そこから10年足らずで、プロ卓球選手となった打浪優。幼い頃からの「英才教育」が一般的になってきた卓球界においては、異色の存在かもしれない。

「高3になると、最高学年として、高校の成績がこれで決まるというプレッシャーを感じる日々が続きました。また、全国で結果を残せるようになると同時に、自分の名前が知れ渡っていくプレッシャーもありました」。

高く評価される機会が増え、自分が強くなったことに自信を持てた半面、実際の試合では思うような結果を残せず、出鼻をくじかれるような思いにも苛まれた打浪。

「今だから言えますが、あの頃の私は自分が強いと思い上がっていて、自分自身をがんじがらめにしていたのだと思います」

大学進学の前での将来への悩みや大学時代の栄光と苦悩、プロとして活動する打浪の素顔に迫った。

今回は3選手のインタビューから名言を抜粋した。選手1人1人の卓球人生を凝縮した言葉が紡ぎだされている。

皆さんも数あるインタビューの中から自分の支えになるような名言を探してみてはいかがだろうか?

文:ラリーズ編集部

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