1990年の紅白歌合戦。2部制、国際化、終了危機… 30年前からの試行錯誤

1990年 12月31日 第41回NHK紅白歌合戦が放送された日

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NHKホールで生観覧、憧れの紅白歌合戦!

1990年12月31日、高校3年の冬のことだった。バブルの余韻を残したきらびやかな渋谷の街並みを抜け、公園通りを上ると、代々木公園へ抜ける広い遊歩道が見えてきた。視界の先には長蛇の列ができている。“観覧券を譲ってください” と手書きの画用紙を寒空の中持っている少女達もちらほら。そう、僕は、生まれて初めて紅白歌合戦を生で観覧するのだ。

誘ってくれたのは、僕が通っていた堀越高校で3年間同じクラスだったMだ。ジャニーズが好きだったMは芸能方面に明るく、話が合うやつだった。彼は、この日の当選券をゲットするために、ひとりで数百枚の応募ハガキを出したらしい。筋金入りの紅白歌合戦好きである。ちなみに、この友人Mは、紅白好きが高じて、のちに『想い出の紅白歌合戦』という本まで出版している。

さあ、列に並び始めていた頃は明るかった空もすっかり暮れて寒くなってきた。ようやくホールが開場だ。座席は1階の右側の前から10列目あたり。なかなか良い席だ。僕はどきどきしながら開演を待った。

紅白が大きな岐路に立っていた1990年。2部制、国際化、廃止発言…

1990年は、歴史ある紅白歌合戦が大きな岐路に立たされていた年だった。時の NHK会長が、たびたび「紅白歌合戦廃止」をほのめかす発言をしていたのである。いっぽうで、紅白には “国際化” の波が押し寄せていた。それにより1990年の紅白は、海外からの中継や外国人歌手の出演がとても多い内容となった。現在では当たり前となった、“2部制” が本格的に導入されたのも1990年だ(※1)。そして、この、2部制導入のあおりをモロに受けたのが、もうひとつの大晦日のビッグイベント『日本レコード大賞』だった。こちらは1990年から大賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲部門」に分ける構成になった(レコ大の2部門制は3年で廃止)。

混迷を深めた2番組の状況について、1990年12月22日、毎日新聞が夕刊の1面で「若者は音楽好きなのに低落なぜ」という見出しで解説を掲載している。この記事では紅白とレコ大について「総花的でかつ『権威主義』のにおいがちらつく番組が、今の音楽状況をとらえられなくなった」とある。いやはや、この文章を書いた記者は、平成の次の元号の時代まで紅白歌合戦とレコード大賞が続くことになるとは、思いもよらなかっただろう。そして皮肉なことに、令和が始まった今でも、当時の指摘と同じような問題を2番組は依然として内包しているようにも見える。

ドリカム初出場、華やかなシンディ・ローパー、そしてベルリンからの長渕剛!

少し話がそれてしまったので、時計の針を1990年の大晦日に戻そう。1階席から後ろを振り向き周囲を見渡すと、お客さんの入りとしては、6割がご年輩の方々、3割がジャニーズの追っかけ軍団、残りの1割僕達のくらいの層という感じだった。4時間を超える長丁場、ロック系のコンサートとは異なり観客はずっと着席して観ているので、途中途中でお尻が痛くなった。

そんな中印象的だったのが、客席でのジャニーズ追っかけ軍団のパワフルさ!他の歌手の応援などでジャニーズメンバーがステージ端に見切れるたびに、それはもう大変な大騒ぎ。けれども、中盤、忍者の出番を見届けると追っかけの皆さんもサーっと皆帰ってしまうのだった。やがて22時過ぎの演歌タイムには空席が目立つ状況に。あーあ勿体ない。

そして、1990年の紅白と言えば、最も話題になったのが、長渕剛のベルリンからの3曲歌唱だ。シンディ・ローパーの華やかなステージが終わり、大きなスクリーンがホールに現れたのは20時半すぎだっただろうか。そこから約15分間のパフォーマンスについては、これまでに多くのメディアで言及されてきたのでここでは詳細は省く。ただ、客席での記憶として、途中までは長渕剛の圧倒的な歌唱に対して、周りの年輩の客層からも感嘆の声が聞こえてきたものの、3曲目を歌い始めたあたりでさすがに会場がざわつき、トイレに向かう客が続出したことを覚えている。これは異様な、忘れられない光景であった。

その他、僕がワクワクした場面は、初出場 DREAMS COME TRUE の吉田美和さんの登場シーンを間近で見た事、イカ天で見ていた たま の「さよなら人類」の演奏、そして、子供の頃から大好きだったチェッカーズのステージ等々。ただ、全体を通してみると、途中に中継の差し込みが多かったこともあり、全体的に落ち着きのなさ、ごった煮感が拭えなかったというのが正直な感想だった。長時間であったことを差し引いても、疲れたという観客が多かったのではないだろうか。

いよいよ時代は変わる、試行錯誤の平成から限界突破の令和へ!

そんな紅白歌合戦は、その後の平成の30年間では数々の印象的な名場面を生み出しつつも、常に賛否両論が渦巻く、試行錯誤の時代に突入していった。けれど、なんだかんだ言ってこのご時世でも40%の視聴率を弾き出し続けるのだから、並大抵の歌番組ではない。

そして、この文章を書いている今は、2019年(令和元年)12月。

発表になったばかりの2019年の紅白の曲目リストを見ると、どうやら今年の曲は半分にも満たないようだ。ああ、この傾向は当面続いていくのだろうな… そう思う反面、もはや、「今年の曲か否か」は問うに及ばず、「男か女か」、はたまた「放送か通信か」などなど、あらゆるボーダーは、もう関係なくなってきているようにも見える。すなわち『試行錯誤の平成から、限界突破の令和へ』、いよいよ時代は移っていくのかもしれない。そんな事を思うボクなのだった。

ところで、1990年の紅白歌合戦、会場で観覧はしたのは良かったが、今に至るまで、僕は一度もテレビの画面で見ることができていない。あの日、録画をセットするのを忘れていたためだ。あぁ、NHKさん、この回の再放送をやってくれないかなぁ。

※1:1989年の紅白歌合戦では、1部を「昭和の紅白」、2部を「平成の紅白」とした2部構成で開催(1部は採点対象外)。1部、2部を通じて採点対象としたのは1990年が最初。

カタリベ: 古木秀典