【高校野球】中日ドラ1石川も信じた“ブルペン捕手” 東邦のセンバツV導いた功労者

東邦・伊東樹里(左)と中日からドラ1指名を受けた石川昂弥【写真:編集部】

中日ドラフト1位・石川のボールを受け続けた控え捕手・伊東樹里の存在感

 今年も残すところあと少し。心に残った球児として、センバツを制した東邦(愛知)から、紹介したい選手がいる。エースだった石川昂弥は10月のドラフト会議で3球団から1位指名を受け、地元・中日ドラゴンズに入団。その運命の日はチームメートも一緒に見守った。その中にひと際目立つ笑顔で喜ぶチームメートがいた。伊東樹里(3年)は石川と寝食もともにした“ブルペン捕手”だ。

 岐阜県岐阜市出身の伊東は石川、U-18侍ジャパン日本代表にも選ばれた熊田任洋内野手(早大進学予定)とともに、森田泰弘監督の妻が営む焼肉店の入るアパートで下宿生活を送っていた。試合中の定位置は監督の隣。グラウンドを離れてもその焼肉店で一緒に食事を摂る機会も多く、東邦での多くの時間を指揮官と過ごした。それに比例するように信頼は絶大なものだった。

 日本一に輝いたセンバツは、石川に加え、植田結喜、奥田優太郎、道崎亮太の主に4投手で勝ち上がった。定位置である森田監督の隣に姿がないときはずっとブルペン。それも、リリーフ投手をブルペンに向かわせるタイミングは全て伊東に一任されていた。

「ブルペンで受けた球の状態やその日の調子を自分で感じ取り、監督に伝えていました。監督はそれを信じて、“それなら次はこの投手に継投しよう”と判断されるので、もしその投手がマウンドに立ってあまりよくなかったら、自分が怒られるくらい、そのくらい大切なところを任せてもらっていました」

 森田監督からの信頼が厚いだけでなく、笑顔を絶やさない伊東の性格も投手陣を気持ちよく送り出してくれていた。センバツの開幕直前に登録変更でベンチ入りを果たした道崎は「監督がお前の事を期待していたぞ、と伝えてくれたり、球を褒めてくれたり、投手の気持ちの作り方をわかってくれています。ダメな球がいくとフォームの乱れも指摘してくれますし樹里がいないとベンチに入れなかったと思います」と自らの成長に伊東の存在は欠かせなかったという。

 石川も「実際にキャッチングはチームで1番うまかった」といい、正捕手の成沢巧馬が怪我をしたこともあり最後の夏の大会を前にして練習試合での出場機会が増えていった。課題であったバッティングも好調で夏に向けて順調にいっているように思えた。「(背番号の)2番貰えるかもと思ったんですけど……」練習中に、右手の中指と薬指を打撲。あと少しでレギュラー番号がみえたところで競争から離脱することになってしまった。

夏の大会は背番号12、三重県内の大学で野球を続ける予定

 結局、その間に正捕手の成沢が怪我から復帰し、チャンスを掴むことができなかった。背番号12を貰うことができたが、完全に復帰できたのは大会が始まってから。くしくもチームが敗退する2回戦・星城戦の前日だった。大会直前の怪我もあり、最後の大会もブルペンを温め続けて終わった。それでもトレードマークの笑顔で「3年間ブルペンを温め続けました」と冗談交じりに3年間を振り返った。

 出場機会は決して多いと言えない3年間であったが、ベンチやブルペンで過ごした時間が伊東の“野球を考える力”を成長させてくれた。「野球を知ることができたなと思います。試合ではベンチの中で監督の近くにいることが多かったですし、(下宿先に)帰っても監督といることが多かったので、すごく勉強になりました。ブルペンでよく聞くのは“3球で追い込め”という言葉。確かに3球で追い込んだら楽だということがわかって、そうできるようにブルペンでもリードしていました」。その思考力を持って卒業後は三重県内の大学に進学し硬式野球を続ける予定だ。

「ブルペンを卒業してホームベースを守ります!」目標は大学でも神宮大会に出場してチームメートの熊田任洋と再会すること。「東邦での3年間はとっても楽しかったです!」弾ける笑顔が充実した高校野球生活を物語っていた。(市川いずみ / Izumi Ichikawa)

市川いずみ(いちかわ・いずみ) 京都府出身のフリーアナウンサー、関西大学卒。元山口朝日放送アナウンサー時代には高校野球の実況も担当し、最優秀新人賞を受賞。朝日放送「おはようコールABC」、毎日放送「ミント!」に出演するほか、MBSラジオ、GAORA阪神タイガース戦リポーターを担当。スポーツニッポンで春・夏の甲子園期間中はコラムを執筆。学生時代はソフトボールで全国大会出場の経歴を持つ。

© 株式会社Creative2