五島市久賀島・教会守の一日 「潜伏キリシタンの歩みが価値」

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旧五輪教会堂の前で、観光客と談笑する永松さん=五島市蕨町

 過酷なキリシタン弾圧の歴史や、信仰を守り抜いた人々の心を今に伝える世界文化遺産、五島市久賀島。その象徴とも言える「旧五輪教会堂」を、福岡県出身の永松翼さん(26)=同市木場町=が、地元信徒と共に守っている。若き「教会守」の一日を追った。

 午前7時半。永松さんと共に福江島の奥浦港から、300人余りが暮らす久賀島行きの始発フェリーに乗り込んだ。船で20分、港からミニバイクで山道をさらに20分。久賀島東部の五輪地区に到着した。
 永松さんは東京の大学で観光地理学を専攻し、卒論は長崎の教会群がテーマ。卒業後、羽田空港の地上作業員として働いたが「世界遺産に携わりたい」と、今春、NPO法人世界遺産長崎チャーチトラスト所属の教会守になった。
 教会堂そばの待機所。空き時間に勉強するための書籍や自らまとめた資料が並び、片隅には毛布やインスタントラーメンも置かれている。「台風が来ると、被害が心配で泊まり込むこともあった」と明かす。
 午前10時前。近くの防波堤に海上タクシーが横付けし、関東から訪れた16人が降り立った。教会堂内で、永松さんが説明を始めた。
 久賀島では幕末維新期、キリシタン約200人が12畳の小屋に押し込まれ、42人が死亡した「牢屋(ろうや)の窄(さこ)事件」が起きた。旧五輪教会堂は拷問を受けた信徒が1881年、島南西部の浜脇地区に建設。50年後、現在の五輪地区に移築された。

永松さんは観光客が訪れるたびに、潜伏キリシタンの信仰心や教会建築などについて丁寧に説明した

 メモを見ず、手ぶりを交えて語る永松さん。堂内を撮影していた客も、次第に引き込まれていく。「命懸けで守り抜いた信仰が見える形で表現された教会堂もすばらしい。ただ本当の価値は潜伏キリシタンが歩んだ歴史そのものにある」。そう締めくくると、観光客から拍手が湧いた。
 観光客は30分ほど滞在し、海上タクシーで次の目的地へ。船を見送った永松さんは「本当は島全体を回り、歴史や自然を見詰めてほしい」と漏らした。10月から、来館者が島内を通る「陸路」と、船で横付けする「海路」どちらで訪れたかを自主的に集計。結果は8割前後が海路だった。2018年度は約1万7千人が訪れたが、大半が島の他の魅力に触れずに帰った。永松さんは「自分の説明が、また島を訪れたくなるきっかけになれば」と願う。
 昼すぎ、近くに住む潜伏キリシタンの子孫ら数人が集まり、掃除を始めた。永松さんは「一番の先生」と語り、世間話をしながら歴史や信徒の思いも聞き取っている。ある信徒の女性は「いい人が来た。古いだけではない価値を伝えてほしい」とほほ笑んだ。
 この日の来館者は40人余り。福江島へ向かう最終便の中で永松さんは言った。「僕は観光客にとって『第一島人』。その印象が島全体の印象につながる。責任を持って、五島に息づくキリシタン文化を全国へ伝えられる教会守になりたい」