わたしのすべては映画でできている。6歳で“映画音楽作曲家”を志した彼女の美学

©松竹(株)

「もし映画がこの世になかったら」。
この「もし」が成立しえないほど、映画と共に人生を送り、その“好き”を自身の才能に結びつけた人がいます。

映画音楽作曲家でミュージシャンの世武裕子さん。Mr.Children、森山直太朗さんらのライブサポートとして参加し、ソロアーティストとしてはこれまで6枚のアルバムを発表しています。また、映画『ストロボ・エッジ』や『リバーズ・エッジ』など話題作の音楽を手掛け、2020年1月には、音楽を担当された作品、高橋一生さん×蒼井優さん主演の『ロマンスドール』、西島秀俊さんらが出演する『風の電話』2作の公開が控えます。

仕事に追われる今も、映画をほぼ毎日観られるそうです。それは「映画が好きだから観る」、ただそれだけ。世武さんは、幼くして音楽の才能を見出された一方で、10代の頃は毎日映画を3本観ていたほど映画が好きでした。自分の好きな「映画」と「作曲」の両方を合わせた“映画音楽作曲家”になりたいと6歳の頃から思い、20歳でパリへ留学、巨匠作曲家ガブリエル・ヤレド(『ベティ・ブルー』)に師事します。

ガブリエル・ヤレドに会いたいと思ったのは、彼の音楽を聴いたときに「人はどこまでも自分と違う孤独な生きものであること、人とはわかり合えないことを自覚しながら生きている人」人の音がしたから。周りの友人とは、なかなか自分の“好き”を共有できなかった世武さんは、彼に自分と通ずるものを感じたそうです。そして実際に彼と過ごす中で、自分の美学をどこまでも探究するその姿勢に感動したと話します。

自分の“好き”を信じ、人生を突き進み続ける世武さんの“美学”について伺いました。

たった6歳で映画音楽の道を志す。

孤高の少女時代を照らした映画たち

― 世武さんはミュージシャン仲間のBase Ball Bearの小出祐介さん、OKAMOTO’Sのオカモトレイジさんやハマ・オカモトさんらと、「みんなの映画部」という、映画を観てひたすら語り合う連載をされていますよね。仕事としてだけでなく、プライベートでもよく映画はご覧になるんでしょうか?

世武: 映画を観るのは、わたしにとって歯磨きと一緒ですね。「寝る前だから、歯磨きしよう」みたいな感じで、「今日はなんの映画観よう?」と毎日思います。今の観るペースは1日1本、あんまり観ないときでも2日に1本という感じですかね。

― 観ないときでも2日に1本!

世武: でも映画館には、昔みたいにあまり多くは行けていないですけど。学生の頃は、映画館に週1で行っていたし、ビデオも1日3本くらい観ていて、親から「いい加減に寝て!」と怒られて寝るという日々だったから、それよりは落ち着きました。

― もはや映画が生活の一部というか、人生の一部ですね。

世武: もう本当に、ある意味すごい人生で(笑)。最近は広島カープ戦もよく観ているので、台所にipadを置いてDAZN(スポーツ専門の動画配信サービス)で観戦しながら料理して、食べて、洗いものをして、それから次はNetflixで映画!っていう状態です。そんな感じだから、「今日は一言も喋ってないぞ」みたいなことも多々あります。

― 映画はいつ頃からお好きなんですか?

世武: 小学校低学年の頃にはじめてキョンシー映画の『幽玄道士』シリーズ(1986〜1989年)を観たんですけど、シリーズトータルで1,000回くらいは観たんじゃないかな。たしか父がビデオを持っていて、「本当にいい加減にしなさい」と怒られるくらい繰り返し観て。あとは『ピノキオ』(1940年)も死ぬほど観ましたね。

― 気に入った作品があれば、とことん観続けるタイプなんですね。

世武: ピンポイントで、「なんかこれ好き!」っていうのがあったんですよねー。『幽玄道士』、『ピノキオ』、あと、SMAPの中居(正広)くんが出てた『ナニワ金融道』とか『美味しんぼ』。

― 『美味しんぼ』(笑)。

世武: それはテレビドラマか(笑)。小学校高学年になってからは、スパイ映画にハマって。その流れでCIAに入るにはどうしたらいいかを調べたり、近所の公園で銃撃戦の練習を一人でしたり、わりとヤバい感じでした(笑)。中でも『007』シリーズ(1962年〜)が好きでしたね。

― スパイ映画のどんなところが好きだったんですか?

世武: スパイって孤独じゃないですか、影の存在だから。そこがたまらなく好きで…多分基本的に、孤独なヒーローが好きなんですよ。

わたしにとって、それはキョンシーも同じなんです。『幽幻道士』を観ているとき、人間側じゃなくキョンシー側を応援していました。あと『ピノキオ』もピノキオ目線で観ていなくて。

― え!? ピノキオ目線じゃないんですか?

世武: 違います! クジラとか、主人公を阻む、言ったら“ダメなほう”に感情移入しちゃう(笑)。

― 『007』は、主人公だけど影の存在だからジェームズ・ボンド目線?

世武: いやいや! ボンドが持つ美学には惹かれますけど、感情移入するのは悪役です。

― 『007』シリーズでも悪役目線!

世武: 特に第9作の『007 黄金銃を持つ男』(1974年)に登場する、殺し屋のスカラマンガが好きで、アルバムのタイトルにも引用したくらい。服装もおしゃれで、ネイビーのジャージとか最高。悪役の彼らに対し、「君らの孤独が報われる人生であれ」って思いながら映画を観ることは多いです(笑)。

― 『幽玄道士』や『ピノキオ』、『007』シリーズなどのスパイ映画といったお気に入りの作品を入り口に、映画を好きになっていったんですね。

世武: 「テレビより映画の方が断然おもしろいじゃん」って思ってました。子どもが観たがる人気番組はいろいろあったんですけど…わたしは映画が観たかった。なんででしょうね?……多分テレビは現実的すぎたのかも。

― 現実的すぎる?

世武: テレビには、今自分が知っている世の中の延長上にあるものが多く出てくるけれど、たとえば『幽玄道士』や『ピノキオ』、『007』って、自分の生活とかけ離れたファンタジーの世界じゃないですか。今思うと、フィクションを好きだったからというのはあるかもしれない。昔から本読むのも好きなんですけど、それもフィクションばかりで、エッセイとか本当に読めないんです。それと似ているかな。

― 非日常の世界を味わいたいんですね。

世武: あと映画の何がいいかって、やっぱり2〜3時間で終わるところです。ドラマのように毎週あると、「次も観なければ」という義務感が生まれてきちゃうし、待てない(笑)。

― たしかに映画はCMもないので、はじまったら終わるまで途切れませんし。

世武: 映画館にも、よくおばあちゃんに連れて行ってもらっていました。強烈に記憶に残っているのは、「子どもだからアニメ観たいでしょ?」とおばあちゃんに言われて、「いやわたしは『ジュラシック・パーク』(1993年)が観たい!」って主張したことです(笑)。小学校高学年ぐらいのことかな。

― 『ジュラシック・パーク』が映画館で観た作品で印象に残っている、と。

世武: 『ジュラシック・パーク』は、私が「映画音楽ってすごい」とはじめて思った作品だと公言してきた映画でもあって。ジョン・ウィリアムズの音楽を心底かっこいいって思っていました。

― ジョン・ウィリアムズは、アカデミー作曲賞を受賞した『ジョーズ』(1975年)の音楽をはじめ、『スター・ウォーズ』シリーズ(1977〜2019年)など、様々な映画音楽の名作を生み出してきた巨匠作曲家ですね。

世武: そうですね。あと、『ジュラシック・パーク』を観たのは小学校高学年の頃ですが、実は小1のときの文集に「映画音楽作曲家になりたい」って書いてたらしいんですよね。だから『ジュラシック・パーク』より前から、もう “映画音楽”というものを意識して観ていることになる。なぜ小1のときからなりたかったかは、自分でもはっきりとは覚えていないんですけど…。

― そもそもその年齢だと、映画音楽作曲家どころか、映画監督という職業の存在すらわかっていないことも多いと思うのですが。

世武: 多分、「曲を作ること」と「映画を観ること」の両方が好きだったので、単にそれらをくっつけたんだと思います。

― 小1の頃から、作曲されていたんですか?

世武: 作曲は4歳くらいからやってます。保育園のときにピアノの先生から「この子には才能があります」と言われ、親もそれを真に受けて、周囲からはクラシックの道で成功することを期待されている感じだったんですけど。でもわたしはピアノの練習より作曲のほうが好きだったし、音楽より映画が好きだったから、「じゃあ映画音楽」ってなったんじゃないかな。

― 保育園で才能を見出され、小1ですでに自分の進むべき道を見据えていたんですね…。

世武: 小学生のときから、「いつわたしは音楽家としてプロになれるんだ!」ってすごい焦っていました。別に周りからプレッシャーを受けたわけでもなく、自分自身の問題として。「世界ではこんなにいい映画が量産されているのに、わたしはいつスピルバーグと仕事できるんだ!」みたいな(笑)。

― (笑)。子どもの頃からそこまで自分の将来に自覚的な人って、なかなかいなさそうです。

世武: でもこちらからすると逆に、なんで周りのみんながそういうことを考えて生きてないのか、とても不思議でした。「将来は何々のプロになりたい」とかの目的意識がなくて、みんなたのしく遊んでいるだけっていうことのほうが理解できなかった。

― 当時、映画のことを話せるような友だちはいたんですか?

世武: いなかったんですよねー。たとえばわたしは好きな映画のサントラの話がしたいけど、友だちは流行っているJ-POPとかテレビのバラエティ番組の話をするわけです。話が合わないから、もうドヨーンって感じ。それでだんだん友だちという存在にあんまり興味がなくなってしまって。

それよりも早く学校から帰って、映画観たいし、本読みたいし、ピアノの練習しなきゃダメだし、それだけで毎日いっぱいいっぱいで。時間を惜しみすぎて、学校の登下校中も本読みながら歩いてました(笑)。

― 映画と本と音楽が、小学生の頃から世武さんの人生に絶対欠かせないものだったんですね。

世武: 家では映画、学校の空き時間は本、みたいに常にどっちかだったので、友だちと話したくないというより、シンプルに時間がない。そうこうしているうちに、だんだん周りが「裕子ちゃんっていつも本読んでるし映画観てるよね。誕生日会呼ぶのやめよ」みたいな感じに(笑)。

だから、もちろん直接は言わないですけど、「この人たちはわたしとは違うからいいや」って区切って考えるようになりました。

― いわば、孤高の存在だった…。

世武: でもなんか、全然それを不幸だとか変わってるとか思ったことはないんです。そういう感情に対して、あんまり興味がなかった。人は人、自分は自分。要するに、幸せだったんだと思います。毎日コソコソとたのしんじゃって。むしろ「こんなにいい映画があるのに観ないなんて、もったいない。でも他人のことは、まいっか!」みたいな感じでしたね。

パリにて、音楽の師匠が背中で語った

粛々と“美”を突き詰めることの大切さ

― 世武さんはまだ幼い頃から、自分の好きな「作曲」と「映画」の両方に関われる“映画音楽作曲家”への道を邁進されていったということですね。

世武: 滋賀県草津市育ちなんですが、映画館では大作しか観られなかったんです。でも、レンタルビデオ屋にはいろいろな映画があって、そこで借りて観ていました。保育園から小学校の頃に通っていた音楽教室のビルに、レンタルビデオ屋が入っていたんです。毎日教室が終わったら必ず、母の迎えを待っている間は店内に入り浸って、ビデオのジャケットを見比べ、いつか借りる予定のリストを作る、ということをやっていました。あとは、成長と共に、どんどんヨーロッパ映画など作家性の高い映画に触れていった感じです。

― 音楽教室と同じビルに入っているレンタルビデオショップで、様々な映画に出会ったと。

世武: あと、小学校のときはピアノを習いに京都にも通っていたので、滋賀では観られないような映画を映画館で観られるようになりました。そのチケット代を貯金したくて、音楽教室が終わってから京都駅まで、本当だったらバスに乗るところ、その道のりを走っていました。そうやって浮いたバス代を貯めていたわけです。そんなことをずっとやってたんで、いまも1日2万歩ぐらい平気で、徒歩移動が大好きです(笑)。

― 当時、映画のためにやっていたことが、今でも習慣化されていると(笑)。音楽の隣にはいつも映画があったんですね。

世武: そういうことになりますね! さっき言ったみたいに、スパイ映画が好きだったこともあって、基本的に思春期の頃は洋画ばっかり観てたんですけど、20歳を過ぎてからやっと「小津安二郎ってすごい!」など、邦画の魅力も少しわかるようになりました。

とはいえ、洋画を1日3本観ているような人生だったので、だんだん日本にいることが耐えられなくなってきて。「自分の中で当然になっている映画の中の世界と、日本の隔たりは何? わたしはここで何をやってるのか?」ってすごい思って。

― 世武さんは20歳からフランスに留学し、パリの有名校・エコールノルマル音楽院の映画音楽学科で学ばれていますね。

世武: 本当は、ジュリアード音楽院(ニューヨークの名門音楽大学)に行きたかったんです。大好きなジョン・ウィリアムズの母校だから。でも心配性な母から「アメリカは銃社会で絶対ダメ!」と猛反対されて。

そんなとき、当時ピアノを習っていた先生が「コンクールで賞をとったらご褒美にパリ旅行に一緒に連れて行ってあげる」って言ってくれたんです。で、無事賞をとり、実際にパリに連れて行ってもらったら、「パリ、めっちゃいい!」ってなって。まあ、もはやどこでもよかったんでしょうね、外国なら(笑)。

― ジョン・ウィリアムズに憧れてアメリカに行きたかったけど、「パリもいいか」と思い直した。

世武: 先生から半分冗談で「フランスに留学したらいいのにね」って言われたときに、「それだ!」ってひらめきました。先生が説得してくれれば、パリなら母も留学を許してくれると思ったんです。

本音では「フランスよりアメリカなんだよな」と思っていたんですけど、「そういえば前に観た『ベティ・ブルー』(1986年)がフランス映画だったな」と、パリと映画がわたしの中でリンクして。

― 『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』が記憶に残っていたんですか?

世武: はじめて『ベティ・ブルー』を観たとき、「音楽がすごい」と思ったんです。この映画に出会わなければ、師匠のガブリエル・ヤレドに会いに行きたいとも思わなかっただろうし。

― ガブリエル・ヤレドさんは、『ベティ・ブルー』や『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)、『オータム・イン・ニューヨーク』(2000年)などの音楽を手掛けたフランスの名作曲家ですね。また、世武さんが在仏中、個人的に師事した方でもあります。

世武: なぜか、ずっとジョン・ウィリアムズに憧れていたけれど、不思議とガブリエルの方が会いたかったんです…なんでだろう?

― なんででしょう?

世武: ガブリエルの音楽は、自分に通じるところがあるような気がしたんだと思います。人はどこまでも自分と違う孤独な生きものであること、人とはわかり合えないことを自覚しながら生きている人の音がしたんです。

― 音には、その作曲家の人生観が表れるものなんですか?

世武: さらに言えば、音にというより、映画に対するアプローチの仕方に表れると考えています。映画をどう解釈して、どういうアイデアを出していくか。ガブリエルが手掛けた『ベティ・ブルー』の音楽は、映画にすごく合っているんだけれど、単なるBGMというより、まるで一人の役者のように感じました。

カメラに対する間合い、距離感。映画と少し距離をとっていながらも、すごくよくブレンドされている。それって、わたしが理想としている映画音楽の在り方なんです。

― ガブリエル・ヤレドさんには、留学先の学校とは関係なく、直接アポをとって会いに行かれたんですよね。

世武: そうですね。いざ会ってみると、音楽から感じた通り、実直で厳しくて面白い人でした。本来の彼は自分で突き詰めたい人なので、後進を育てることにはあまり興味がないみたいで。それでもわたしが気にしないから教えてと言うと、いろいろ教えてくれました。

― 『ベティ・ブルー』の音楽に感じた印象そのままの人だったんですね。

世武: ガブリエルの美しさに対する固執はすごくて。ちょっと言葉で説明するのが難しいんですけど…、わたしもわりとそういうタイプだけど、ガブリエルはそれのもっとすごい人って感じでした。しつこく「メロディ、メロディ」って言われ続け、シンプルで美しいメロディを追究する大切さを何度も伝えられたので、それは今でも自分の中で大きな課題になっています。

― 美しさに対する固執、ですか。

世武: 最近会ったときも、ノートに書いた曲の断片を見せてくれたんですが、「この8小節のメロディがどうしたらもっと美しくなるのかをずっと考えてる」って言うんです。もう70代で、これまで散々賞もとってきたし、面倒なことはアシスタントに任せて自分はメインのメロディだけ書くようになってもおかしくない地位の人なのに、いまだにそういう孤独な作業を粛々と続けていて。パソコンを使えば誰でも簡単にループ音楽を作れる今の時代に、そうじゃないものがあると背中で教えてくれました。

「俺が教えてる内容は人には言うなよ」って言われているんで、あんまり詳しくは言えないんですけど(笑)。

監督より俳優より“作品ファースト”

映画音楽作曲家の美学とは

― 世武さんは現在、映画音楽作曲家だけでなくソロアーティストとしても活動されています。以前あるインタビューで、ソロワークのインスピレーションについて「映画を観たときの衝撃を、音に置き換えることが多い」とおっしゃっていたのが印象的でした。

世武: ある映画を観て何かが心に残ったり、引っかかったりしたら、その気持ちの印象で曲を作ってみる感じです。たとえばニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』や『ネオン・デーモン』の色彩感覚から影響を受けたり。近年では『ロブスター』(2015年)『聖なる鹿殺し』(2017年)のヨルゴス・ランティモス監督も最高。あとミヒャエル・ハネケ監督の『ファニー・ゲーム』、『ピアニスト』、『白いリボン』なども、もうすごく好き。特に『ファニー・ゲーム』は衝撃的だったな。音楽の使い方がよくて。

― レフン監督は疾走感のある刹那的な映画を、ランティモス監督は風刺の利いた不条理で独特な世界観の映画を撮る印象です。ふたりとも現在40代で映画監督としては比較的若い一方、70代のハネケ監督は人間の根源とは何かを問うような、また違う作風が魅力ですね。『ファニーゲーム』は、どういうところが印象に残ったんですか?

世武: 主人公の家族が車で別荘へと向かっている冒頭シーンで、車中でオペラが流れて「上品な家族だなぁ」ってなった後、急にアヴァンギャルドミュージックのバンド・Naked Cityの『Bonehead』っていう、ノイズたっぷりの曲がギャーって流れ出して、「FUNNY GAMES」っていうタイトルがバンと出て、っていうのはかっこよすぎだろって。

ハネケはかなり賛否の分かれるものを作っていますが、ただ無闇に観客を煽っているわけじゃないと思っています。もっとクレバーな人。作品にある種の美しさっていうか、彼自身の美学があるので。わたしは映画でも音楽でも、何か作品に触れるときに、そこに作り手の美学があるかどうかがすごく重要で。

― 作り手の美学、ですか。

世武: スタンリー・キューブリック監督も、全部のストーリーが好きかっていうとそうでもないんだけど、いつも彼の美学が強烈にあるのでかっこいい。美学がある監督ほど、映画という枠を超えることができると思うんです。たとえば、映画ファン以外でも『時計じかけのオレンジ』のTシャツを着ている人ってたくさんいますよね。最近でもまた、ファッションブランド・アンダーカバーの2019年秋冬コレクションのテーマになってたりね。

― ソロアーティストとしての音楽活動でも、映画から受け取る美学に、インスピレーションを受けていると。

世武: ソロワークでは、「本当はこういうサントラをやりたいけど、現状はそういう仕事がない」と思っている音楽をやっているという感じですかね。つまり「自分はこういう曲が書きたいんですよ」ってアピールして、やりたい映画音楽のマーケットを作り、そこへ売り込みをかけているっていうことです。

― ソロアーティストしても活動しているけれど、活動の軸にあるのはあくまで映画音楽だということですね。

世武: そうです。今みたいに、いろいろなオファーをいただけるようになったのは、『ストロボ・エッジ』(2015年)の音楽を担当してからじゃないかな。

― 『ストロボ・エッジ』は人気少女漫画を映画化し、今をときめく福士蒼汰さんと有村架純さんがW主演した作品です。

世武: そこから、月9ドラマ『好きな人がいること』の音楽の仕事につながったりしたので、仕事の流れとしては、この作品を手掛けたことが大きかった気がします。

― 仕事をはじめて間もなく、そうした予算が大きい作品に関わることにプレッシャーを感じたり、怖気づいたりはしなかったですか?

世武: 特にしなかったかな。よく生意気だって言われましたし、いまだにそうなんですけど、納得がいかないことがあれば、相手が誰であろうとかなりはっきり申し出ます。「自分の名前をスタッフクレジットとして出すなら、その一線は絶対超えたくありません」とか普通に言っちゃうし(笑)。

― なるほど(笑)。

世武: もちろん意見が割れたとき、最終的には監督が言うことに従います。でもそこに至るまでに、監督より俳優より“作品ファースト”でいるべきだと思っていて。この映画はどういう人に向けて作っているのかでやるべきことも違うし、作品がどうなれば一番いいのか…っていうことに興味があるので。

監督の言葉をそのまま聞き入れて音楽を作ることは、技術的にはできますし、作業も早く終わるし、でもそういう仕事の仕方はつまらないと思います。よくあるリクエストとして、「シーンの意味をわかりやすくするために、音楽はこうしてください」って言われることがあるんですけど、なんか…、それって観客を育てないことになっちゃうので。

― 世武さんの美学が、そこにあるんですね。

世武: そうなのかもしれないですね。観客に全部説明して、過干渉であることが最優先されると、結局、わたしが大切に思っている美学を諦めることになる。大物だろうが新人だろうが作品を作る以上、意見する権利があると思っているので、きちんと本音で向き合います。そもそも監督のことをリスペクトしているから引き受けているわけですしね。

― 『ストロボ・エッジ』の廣木隆一監督とは、その後『オオカミ少女と黒王子』(2016年)『ママレード・ボーイ』(2018年)と何度も組んでいらっしゃいます。それはきっと、意見交換を重ねることで、信頼関係が作られていることの証ですね。

世武: 音楽を作るのが早いからというのもあると思います(笑)。宿題とか初日に全部やりたいタイプだし。

― 2020年は1月から、世武さんが映画音楽を手掛けた映画『ロマンスドール』と『風の電話』の2本が公開されます。

世武: 映画音楽作曲家の仕事における大きなポイントとして、「オーケストラの曲が書けるなどの音楽的な技術」「映画に対するアプローチの仕方」のふたつがありますが、前者について自分が秀でているとはあまり思ってないです。ただ後者については、ずっと映画を観てきているし、わりと自信がある。今回の作品も、その能力をより生かせたと思います。

― たとえばどんな風にアプローチしたのですか?

世武: 今回、『風の電話』では本当に好きに作らせてもらいました。だから、ソロワークで試していたような、“よくあるサントラではないもの”ができたと思います。

『風の電話』の諏訪敦彦監督は「好きに作ってください」と言ってくださったんですけど、本当は「こういうのがいいかも?」というイメージがあったそうなんです。こちらに伝えるか迷った末、「とりあえず一回好きに作ってもらおう」となったそうで。でも結果的に、わたしが提案した音楽が、そのイメージとちょうどぴったり合っていたと言ってくださって。

― 世武さんのアプローチが、監督のイメージと合致していたんですね。

世武: どういう音楽がいいか、あまりたくさん話し合わなくても、監督が考えていることは画に出ているから。そういう気持ちを通じ合える監督との仕事って、やっぱりすごくたのしいと改めて思いましたね。

― 今後もどんどんそういう監督や作品と出会いたいと。

世武: さっき、影響を受けている映画を聞かれて挙げたレフン監督は、いつもクリフ・マルティネス(映画音楽作曲家で、元レッド・ホット・チリ・ペッパーズのドラマー)と組んでいるんですが、クリフ・マルティネスにとってのレフンのような、そういう監督と出会いたいですね。

「この監督の映画と言えば、わたしが必ずやる。しかも自分が本当にやりたい作風で」っていう相手。そんな監督に出会えるのは、映画音楽作曲家として一番の幸せだと思います。

― 2019年秋、世武さんは拠点をアメリカの映画産業のメッカであるロサンゼルスに移され、今後も東京との二拠点生活を続けるかもしれないとのことですが、それも新たな出会いを求めてだったりするんですか?

世武: そうですね。もちろん日本での仕事による学びは多いし、好きな監督もいるんですが、一度きりの人生なんだから、挑戦したいという思いがあるんでしょうね。実際に行ってみて「やっぱ世界は広かったから無理だった!けど、こんなことを得たよ!」ってなる未来の方が、「いや〜、行きたかったのになぁ。海外行ったら成功したかもしれないし」とか言っちゃう未来よりも100倍いい。

簡単に通用するとは思ってないんですけど、行ってみたほうが、人生がおもしろくなるから。周りからもよく「わたしはそんな生き方全然無理だけど、おもしろくていいよね!」って言われるので、とても嬉しく思っています。

― ロスに行く具体的なきっかけは、何かあったんですか?

世武: いえ、急に「行こうかな」って思い立ったんですよ。たしか夏に『ロマンスドール』の音楽の仕上げ作業をしていたときくらいだったか。その日のうちにネットで「住むとこないかな?」って探して、家の住民を募集していた人にメールして、学校も探して、飛行機チケットもとって、あっという間に決めちゃいました。友だちには「わたしロス行くことにしたわ」「そんなこと言ってたっけ?」「いや昨日急に思ってー」「え、もうチケットとったの!?」って驚かれたけど(笑)。

― 思い立ったら行動せずにはいられない(笑)。

世武: すごくせっかちで。早くやらないと、もったりしているうちに、やらなくなっちゃう。そもそも思ったことも忘れる(笑)。それをわかっているから、いつも焦っているんだと思います。

それくらい今の仕事が好きだってことなのかもしれないですね。