2020年になると「10年前」になってしまうサッカー界の出来事

「10年」という月日は決して短くない。サッカーに限らず多くの物事が変わってしまうのに十分な期間だ。

そこで、2010年代の10年間がどれほどの期間であったのか実感するため、「2020年になったら10年前になってしまうサッカー界の出来事」を調べてみた。

平山相太、最初で最後の代表ハットトリック

新年早々に行われたアジアカップ2011の最終予選。

アウェイで2点を先制される苦しい展開となった試合でチームを救ったのが、“怪物”平山相太だった。

この日ついに代表デビューを飾ったストライカーは、42分、55分、79分とゴールを奪い、結果的に最初で最後となるA代表でのハットトリックを達成(※ゴール自体もこの試合のみ)。

大会登録の関係で「81」という大きな番号を背負った24歳がチームを逆転勝利に導いた。

選手権を制したのは山梨学院大付

第88回全国高等学校サッカー選手権大会決勝は、山梨学院大付(山梨)と青森山田(青森)が激突。

山梨学院大付が1-0で勝利し、山梨県勢として初優勝を飾った。

初の決勝進出を果たした青森山田は、椎名伸志(当時3年/現カターレ富山)、柴崎岳(当時2年/現デポルティーボ)の中盤コンビが大きな話題に。

決勝で唯一のゴールを決めた山梨学院大付MF碓井鉄平は現在、椎名と同じカターレ富山でプレーしている(※期限付き移籍を経てこのオフに完全移籍)。

本田圭佑、CSKAモスクワでCL初ゴール

VVVフェンロで大活躍を見せていた本田は、1月にCSKAモスクワへの移籍を決断。

23歳でのロシア行きを疑問視する声もあったが、CLベスト16のセビージャ戦で衝撃的なフリーキックを叩き込みそうした声を打ち消した。

そして「ブレ球」の伝説は、南アフリカW杯へと続いていく。

インテル、イタリア初の「三冠」

この年、欧州の頂点に輝いたのはイタリアのインテル。

ジョゼ・モウリーニョ監督のもと、セリエA、コッパ・イタリア、CLを制し、イタリア勢初の三冠を達成した。

CL決勝ではバイエルン・ミュンヘンを2-0で撃破。

喜びに沸くチームをよそにモウリーニョはすでに退任を決意しており、表彰式後スタジアムの外でマルコ・マテラッツィと抱き合い涙した。

岡田ジャパン、南アフリカW杯でベスト16

大会前に国内で行われた親善試合でセルビア、韓国に完敗し、期待感に乏しい中で迎えた南アフリカワールドカップ。

しかし大会直前で採用した守備的なシステムが功を奏し、初戦でカメルーンを破ると、グループ突破がかかったデンマーク戦でも本田圭佑、遠藤保仁の連続FK弾などで快勝。

ベスト16でパラグアイにPK戦の末惜しくも敗れたものの、帰国会見でのチームの一体感などポジティブな印象を残した大会となった。

この大会が失敗に終わっていれば日本サッカーはもっと違った2010年代を送っていたかもしれない。

スペイン、W杯初優勝

「無敵艦隊」が悲願のワールドカップ初制覇。EURO2008とのダブルを達成した。

ビセンテ・デル・ボスケ監督のもと、ノックアウトステージではポルトガル、パラグアイ、ドイツ、オランダにいずれも1-0で勝利するなど勝負強さを発揮。

そのうちダビド・ビジャが2得点。そして決勝は、アンドレス・イニエスタの鮮やかなボレーシュートが決勝点となった。

大会最優秀選手(ゴールデンボール)はウルグアイを3位に導いたディエゴ・フォルラン。

まさか彼らが揃って日本のJリーグに来ることになるとは…。

香川真司、内田篤人、長友佑都が欧州へ

香川、内田、長友が揃って欧州へ旅立ったのは2010年夏のこと。それぞれドルトムント、シャルケ、チェゼーナを新天地として選んだ。

ユルゲン・クロップ監督と出会った香川は、ダービーマッチでの鮮烈2ゴールなど大活躍でいきなりリーグ優勝に貢献。内田もチームとともに初のCLベスト4進出を果たした。

長友はチェゼーナ、さらには年明けのアジアカップでのパフォーマンスが評価され、わずか半年で前年の三冠王者インテルへ移籍。

欧州での日本人選手の評価が飛躍的に上昇したシーズンといえる。

モウリーニョ、レアル・マドリー監督に就任

三冠を置き土産にインテルを退団したモウリーニョは、「白い巨人」レアル・マドリーの監督へ就任。

南アフリカW杯で活躍したメスト・エジルやサミ・ケディラ、アンヘル・ディ・マリアらのほか、愛弟子リカルド・カルヴァーリョもチームに加わった。

シーズンでは「最強」の呼び声高い2010-11のペップ・バルサにラ・リーガとCLの二冠を許したものの、コパ・デル・レイでは決勝でそのバルサを破り優勝。

モウリーニョの指導によりマルセロがサイドバックとして一本立ちしたのもこのシーズンである。

原ジャパンを経て、ザックジャパン誕生

岡田武史監督の退任を受け、JFAが次の日本代表監督に選出したのはアルベルト・ザッケローニ監督。

ただ就労ビザ取得が間に合わなかったため、9月に行われた代表戦2試合は原博実技術委員長(当時)が臨時で指揮を執り、パラグアイ、グアテマラをそれぞれ1-0、2-1で下した。

そしてザッケローニ監督の初陣となった10月の親善試合では、強豪アルゼンチンに岡崎慎司のゴールで1-0勝利。

新生日本代表として最高の船出を切った。

ベイル、CLインテル戦で衝撃のハットトリック

トッテナムはクラブ史上初のCL参戦。

そのグループステージで衝撃的な活躍を見せたのが、当時21歳のギャレス・ベイルだった。

三冠王者インテルを相手にゴラッソを連発し、プロ初のハットトリックを達成。

彼の破壊的なスピードが世界中に知れ渡った瞬間だった。

続くホーム戦でもインテルの右サイドを蹂躙。サイドバックのイメージがあっという間に消え去った。

アジア大会で男女サッカー初の同時優勝

中国の広州で開催されたアジア大会。

日本は男子がUAE、女子が北朝鮮をそれぞれ決勝で破り、史上初のアベック優勝を飾った。

男女ともに初優勝。しかも男子はロンドン五輪に向けた若いチームで臨んだ中での快挙だった。

この大会での成功が翌年以降の飛躍につながっていく。

名古屋グランパス、J1初優勝

クラブレジェンドであるドラガン・ストイコヴィッチ監督のもと、名古屋グランパスが悲願のリーグ初制覇を成し遂げたのも2010年。

FWジョシュア・ケネディ、MFダニルソン、DF田中マルクス闘莉王、GK楢崎正剛という縦のラインは、Jリーグ史上でも屈指。特にセットプレーでの高さは驚異的だった。

18節から首位を譲ることなく頂点へと駆け抜けた名古屋。

リーグMVPには楢崎がGKとして初めて選出されている。

FC東京、J2降格

一方、まさかのJ2降格を喫したのがFC東京。

前年に2度目のヤマザキナビスコカップ制覇を果たしていたが、スポンサー撤退もあり効果的な補強があまりできずにシーズン突入。

3年目の城福浩監督は9月に解任され、大熊清氏が後を受けたが立て直すことができなかった。

ともに降格したのは湘南ベルマーレと京都サンガF.C.。逆に、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府、アビスパ福岡がJ1へ昇格している。

2018年、2022年のW杯開催地が決定

運命の日は12月2日。史上初めてワールドカップ2大会の開催地が同じ日に決まった。

歓喜を手にしたのはロシアとカタール。日本も2022年大会の招致を目指していたがかなわなかった。

当時から多くの懸念を生んでいたカタール開催は、開催時期の変更などもありつつ着々と準備が進んでいる。

開幕は2022年の11月21日。だいぶ近づいてきたがまだ3年先である。

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