柔らかき草

 「雨ニモマケズ」の詩は、宮沢賢治の没後、遺品のトランクにあった手帳から見つかった。詩作というより、自分への励ましや信条のようなものだったとされる▲東日本大震災の後、被災者を励ますために引用されることが多かった。心からの声援と分かっていながらも、四方からのマケズ、マケズ、マケズという声は、何もかも失った人、悲嘆に暮れる人にどう聞こえるのかと思った記憶がある▲2020年が幕を開けた。「復興五輪」をテーマの一つとする東京五輪・パラリンピックは、歴史に刻まれるに違いない。熱気を期待し、選手の努力が報われるよう勝利を願う一方で、勝て、勝て、勝ての合言葉に、たじろぐ向きはないだろうかと思いもする▲歌人の伊藤一彦さんに一首がある。〈雨に負け 風にも負けつつ生きてゐる 柔らかき草 ひとを坐(すわ)らす〉。雨にやられ、風に倒れた草は時として、人を休ませ、慰める▲勝利の歓喜ばかりでなく、敗者の後ろ姿が心に深く刻まれる時もある。スポーツに限るまい。世界は勝つだけが全てではないと「柔らかき草」はささやいている▲この1年、たとえ負けや失敗があっても次に生かせばいい…と言えばやや堅苦しいが、長嶋茂雄さんの語録を借りれば軽妙になる。〈ワーストはネクストのマザー〉。あしたがある。(徹)

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