芭蕉の句碑、地域文化財に 川崎市教委、新たに68件選定

八丁畷駅近くにある松尾芭蕉の句碑(川崎市教委提供)

 川崎市教育委員会は、地元の生活や風土に根差して継承されてきた貴重な地域文化財として、松尾芭蕉が詠んだ俳句の句碑など68件を新たに選定した。昨年度に創設した制度で、今回の決定で地域文化財は計131件となる。

 地域文化財は、市内の社寺や町内会、自治会や小学校などから推薦を受け、市文化財審議会の意見を踏まえて決定している。今回は▽有形文化財35点▽無形民俗文化財3点▽有形民俗文化財24点▽記念物6点-が対象となった。

 有形文化財のうち「歴史資料」には、市内に2カ所ある芭蕉の句碑など計16件が選ばれた。句碑の一つは1830年に俳人の一種(いっしゅ)が建立したもので、川崎区の八丁畷駅近くにある。1694年に芭蕉が江戸から故郷の伊賀に向かう際、多摩川を渡り、川崎宿まで見送りにきた弟子たちと別れる際に詠んだとされる〈麦の穂を たよりにつかむ 別れかな〉の句が刻まれている。もう一つは宮前区の影向寺にあり、〈春の夜は さくらに明て しまひけり〉の句が刻まれている。

 市教委によると、〈麦の穂を-〉の句碑は芭蕉が実際に句を詠んだ土地に建てられた。このようなケースは、箱根山で富士を詠んだ句碑など数基しかなく、非常に貴重という。

 このほか、麻生区岡上の「捨馬禁止の高札」も歴史資料として登録された。高札は1685年に作られたとされ、同地区の名主に伝わってきた。馬を捨てる者が多かったことから、厳罰に処すとの内容が書かれている。

 有形文化財の「建造物」としては、中原区上小田中の「泉澤寺鐘楼」など12件が決定した。泉澤寺の鐘楼は「はかま腰付」という立派な下層部分を備えており、格式高いものという。

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