被爆・戦後75年 長崎新聞が体験談募集 44人から応募

読者から寄せられた被爆・戦争体験

 被爆・戦後75年に合わせて被爆や戦争の体験を語り残してもらおうと、長崎新聞社が昨年9~10月に呼び掛けた体験談募集には、県内外の44人から聞き取りの希望が寄せられた。
 応募のうち、空襲体験や家族の出征を含む「戦時中の生活」が28人を占めた。佐世保市の女性(86)は戦時中、学校の廊下で軍歌を歌いながら行進し、空襲警報が発令されると山に身を潜めた。戦後は緊張を強いられる生活から解放されて「戦争が終わった安堵(あんど)感があった」とつづった。
 戦後の引き揚げ体験は8人。旧満州・大連から家族と着の身着のままで引き揚げてきた長崎市の男性(87)は、原爆で焼け野原になった長崎の町を見てぼうぜん自失した悲しみを記し「核兵器のない美しい地球にしてほしい」と願った。同じく大連から家族6人で帰国した諫早市の男性(81)は「引き揚げ者」を理由に学校でいじめを受けたという。
 被爆体験は8人だった。3歳で被爆した長崎市の女性(78)は家族と防空壕(ごう)に逃げ、幼心に恐怖を覚えた経験を寄せた。「たいした経験とは思わず人に話したことはなかった」というが、若者たちの平和活動を目にするうちに「知っていることを話したくなった」と心情が変化したという。
 入市被爆した諫早市の女性(96)は、焼け野原となった爆心地の光景が忘れられないと記した。体験を語れる人が減り続けている現状に危機感を抱き「語れるうちに話したい」と家族に依頼して応募した。
 寄せられた体験は、便せん数枚につづったものも目立ち、次世代に過去の過ちを繰り返してほしくないという切実な思いがにじんでいる。諫早市の男性(84)は「戦争が終わって残されたのは食料不足と貧困だけだった」と振り返り「いまわしい戦争の思い出が大切な証言になる」と、体験が平和への「道しるべ」となることを願った。
 長崎新聞社は今後も寄せられた体験談を取材し、紹介していく。

© 株式会社長崎新聞社