線路脇にある小屋が不思議【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線 その2

盛駅を出発したリアス線は大きく左(東)にカーブしながら築堤の上を行きます。この後、山の名前は分かりませんが、正面の山を右方向にトンネルで抜けてゆきます。

その前に盛川を渡ります。この段階ではリアス線は東に向かっています。橋梁を渡ると右にカーブして進行方向を南向きに変えます。

佐野トンネルに入ります。

トンネルを出ると、駅予告票があって、陸前赤崎駅。東日本大震災前は100mほど手前に駅がありました。

盛から3.7km。単式ホームのシンプルな駅です。

駅名標。1970年(昭和45年)国鉄盛線(盛〜綾里9.1km)開業時に陸前赤崎駅も作られました。「貝塚めぐり」とあるのは駅周辺に多くの貝塚が遺っているからです。2011年(平成23年)東日本大震災で被災。ホームは陥没、駅付近の築堤も激しく崩れました。2013年(平成25年)4月南リアス線盛駅〜吉浜駅間復旧に伴って約100m釜石寄りに移設、再建されて営業を再開しています。駅名標は2019年3月23日のリアス線全通を機に新しくされた様です。

ホーム。バリアフリー化されています。横の家も震災後の再建でしょうね。新しいです。

東日本大震災前、2009年9月に久慈駅から盛駅まで乗った時の前面展望で陸前赤崎駅。佐野トンネルが今よりも100m近いことになります。

※2009年9月撮影

2960mの長い綾里トンネル、釜石側の坑口、つまり後方展望になります。2016年11月に釜石駅から盛駅に向けて三陸鉄道に乗った時に撮った前面展望。現在はトンネルの銘板が白地の新しいものに替わっていると思います。

※2016年11月撮影

鉄道設備に無知なので、時折線路脇にある小屋の正体が分かりません。保線小屋? 右の道路に立つ看板は剥げていますが辛うじて”Meiji-ya“と読めます。何でしょう? 喫茶店の跡かな。実家の近所にあったスーパーは”MEIDI-YA“でした。

奇妙な偶然というのか、2016年11月にも同じ場所を逆方向から前面展望を撮っていました。看板の背後はそのまま森なので、木の成長を考慮しても店があったとは想像し難いです。いわゆる「カップル用ホテル」の入口だったにしては”Meiji-ya“という名前は違和感があります。謎です。

※2016年11月撮影

三陸鉄道リアス線は無闇にトンネルが多いのも特徴ですが、こうして山間を走ってゆきます。

では、【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その3 に続きます。

追記:

このコラムは、2019年10月から11月にかけて書きました。御存知の様に2019年10月に関東〜東北を襲った大型で強い台風19号によって三陸鉄道リアス線も大きな被害を受けました。10月23日の三陸鉄道発表によれば、線路77ヵ所で路盤流出、土砂流入、のり面崩壊、また電力信号通信関連では15ヵ所でケーブル管路流出、信号器具箱浸水などの被害を受けました。被害状況はこちらをご覧ください。

その結果、全路線の約70%が運休になっています。10月末日の時点で運行されているのは、盛駅〜釜石駅間と宮古駅〜田老駅間になっています。

釜石駅〜宮古駅と田老駅〜久慈駅間は代行バスによる運行になっています。

台風19号やその後の大雨で被災された皆様と三陸鉄道にお見舞い申し上げます。また1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

コラムの後に同じ文言を繰り返すのも読んでいる方には鬱陶しいことと思いますので、明日からはこの追記を省きます。あらためて三陸鉄道から復旧に関する発表があった時点でコラムに追記いたします。ご了承ください。

(写真・記事/住田至朗)

「【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線」一覧

© 株式会社エキスプレス