川崎宗則との合言葉は「大変とは大きく変わること」 恩師が語る日米台で愛される男の素顔

今季は台湾で兼任コーチとしてプレーした川崎宗則【写真:Getty Images】

台湾プロ野球・味全ドラゴンズで兼任コーチとしてプレーした川崎宗則

 かつてダイエー・ソフトバンク、ブルージェイズなどでプレーし、昨季は台湾プロ野球・味全ドラゴンズで兼任コーチとしてプレーした川崎宗則内野手。日本、米国、台湾と全てのリーグで愛され続ける男の魅力は一体、何なのか。今でも“師弟関係”で繋がる森脇浩司氏が語ってくれた。

 1999年のドラフト4位指名を受けダイエーに入団した川崎。当時、森脇氏は“薩摩のイチロー”を「線は細いが、将来のホークスを背負う存在になる」と感じ取っていた。何千、何万本とノックを受けても食らいつく芯の強さには目を見張るものがあり、デビューしてから1年は毎試合後に1日の反省と明日への準備と題しコミュニケーションを計ったが、日に日に目が輝き自主性、自発性が芽生え創意工夫するようになっていった。

「元気がありユニークな一面もあるが、そういった姿を見せられるのは誰にも負けない練習量、それを経た自信があるからでしょう。ムネの姿はホークス、メジャーに行っても何も変わっていない。ホークスを退団して台湾に挑戦したのもいかにも“ムネらしい”決断だった」

 2011年までソフトバンクでプレーし球界を代表する遊撃手に成長したが、同年オフにメジャー挑戦を宣言。地位と名誉を捨ててマリナーズとマイナー契約を果たした。ゼロからの挑戦にも川崎らしさが溢れていた。

イチローに聞いた川崎のメジャー挑戦 「誰にも止められない」

「当時、ほとんどの日本人はメジャー契約、環境面などの待遇を選んでメジャーに挑戦するなか、ムネは違った。マイナー契約、年俸は日本時代より大きく下がり、通訳だっていない。それでも『野球が好き』という一心。挑戦する姿をずっと応援していきたいと思わせる人間ですよ」

 忘れもしない2010年6月。ソフトバンクを退団していた森脇氏は、野球の勉強を兼ねて渡米していた。カージナルスのトニー・ラルーサ監督、ホセ・オケンド三塁コーチらとミーティングを行い野球観を共有。そして川崎が憧れを抱いていたイチロー氏とも話す機会があった。プロ入りから預かってきた“我が子”の挑戦についてイチロー氏に尋ねてみた。

「他の日本人選手はアメリカならどれくらいできるかと計算の中で行くけど、ムネは単純にアメリカで野球をやりたいから来る。単純なその思いだけ。それだけの思いを持って来るのだから誰にも止められないですよ」

 試合前にも関わらず30分も話してくれた。その目は真剣そのものでイチローの心の豊かさを強く感じ、改めてムネがイチローに敬愛の念を抱くのも当然のことと理解出来た。イチロー氏の言葉に自身の思いと共感した森脇氏も深くうなずいたという。

「不安なんてものは存在しない。どの世界でも共通するが、常に変化を求め、チャレンジする気持ちがムネを支えている。そして不思議と関わった全ての選手、チーム、国までも明るく、笑顔にさせる力を持っている。いい風を、今必要な風を吹かすことができるのが“川崎宗則”という男だと思います」

オリックス監督時代は川崎の獲得が噂されたが…

 2015年シーズン途中まで務めたオリックス監督時代は何度も川崎の獲得を求めていたが、決して口にすることはなかった。これまで歩んできた2人の関係性があるだけに強要することだけは避けたかった。

「ムネにはムネの人生がある。いつも自分自身で決断し挑戦する姿を、常に見てきただけに。何度も会っていたが『もしサポートできることがあれば言ってくれ』とだけ伝えていた。ムネが加わればチームに与える影響は大きく化学反応が起こると確信していたが、口にはしなかったね」

 川崎が3か月限定で入団した「味全ドラゴンズ」は来季は2軍リーグに参加し、2021年から台湾プロ野球の1軍に参入予定となっている。今後、再び台湾でプレーするかは未定だが川崎の挑戦が終わることはないと確信している。

「今まで沢山の選手、首脳陣の方々を見てきたが“本当に野球が好き”と強く感じたのは西本幸雄監督、王貞治監督、イチロー、そして川崎宗則だ。ムネらしい挑戦を今後も見守っていきたい。『大変とは大きく変わること、変化しチャレンジし続けよう』が我々の合言葉だった」

◇森脇浩司(もりわき・ひろし)

1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。14年にはソフトバンクと優勝争いを演じVの行方を左右する「10・2」決戦で惜しくも涙を飲んだ。17年に中日の1軍内野守備走塁コーチに就任し18年まで1軍コーチを務めた。球界でも有数の読書家として知られる。現在は福岡六大学野球の福岡工大の特別コーチを務め、心理カウンセラーの資格を取得中。178センチ、78キロ。右投右打。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

© 株式会社Creative2