やまゆり園 事件考 被害者はいま(1) 家族の絆強め前へ

家族団らんで笑顔を見せる尾野一矢さん=2019年12月18日、横浜市港南区

 津久井やまゆり園で20年余りにわたって暮らす尾野一矢さん(46)は、事件で瀕死(ひんし)の重傷を負った。元職員の植松聖被告(29)から意思疎通が取れない障害者と断じられ、標的にされた。心身ともに深い傷を刻印されてからの3年余り、どんな思いで過ごしてきたのだろう。不安のどん底を経験した家族は事件を機に絆を一層強め、地域での新生活に希望を見いだそうとしている。

 冬の柔らかな日差しに包まれた昨年12月中旬、同園芹が谷園舎(横浜市港南区)で暮らす一矢さんの元に、父母の剛志さん(76)、チキ子さん(78)=座間市=が訪れた。週1回の家族だんらんの場だ。

 一矢さんがチキ子さん手作りのおにぎりを食べ終えると席から立ち上がり、取材でそばにいた私(44)に近寄ってきた。「一本橋」と告げ、右手を差し出した。手と手を触れ合わせるいつもの遊びをしようという合図。幼少の頃、姉とその友人と一緒に楽しんだお気に入りの手遊びという。

 「いっぽんばーし、こーちょこちょ。にーほんばーし、たーたいて。さんぼんばーし、つーねって。階段上って、おっちょこちょい」

 私はそう声を掛けながら手のひらを合わせ、手先から上腕に向かって中指と人さし指で交互に触れて最後におでこを軽くつついた。目の前には、一矢さんの柔らかな笑顔が広がった。緩やかな時間が流れ、父母と介助者の大坪寧樹(やすき)さん(51)もそばでほほ笑んでいた。

 別れ際、一矢さんから「成田さん、また来る?」と問われ、「また来ますよ」と再会を約束した。何度も訪ねるうちに名前を覚えてくれたようだ。

 来訪者と他愛のないやりとりを重ねる一矢さん。やまゆり園で3年ほど勤めた被告には、一矢さんと心を通わせる瞬間はなかったのだろうか。

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