第二十一回「勝海舟の父、勝小吉のぶっ飛んだ少年時代」

はい、2020年ですか。気づけばとんだ未来に来たもんですな。どんな1年になるのでしょうか、厄年なので不安半分、楽しみ半分。そして東京オリンピックですか。東京といえば江戸、江戸といえば江戸城、江戸城といえば無血開城、無血開城といえば勝海舟、勝海舟といえば親父の勝小吉、ということで今回は勝小吉さんにズームイン!

勝海舟は幕末に渡米経験やいろんな人との交流を経て広い視野と先見性で江戸幕府を支えたり、海軍を作ろうとしたり、江戸の城と町を討幕軍の総攻撃3日前に西郷隆盛との会談で戦火から守ったりと有名かつキーマンでお馴染みですが、この親父、小吉さんがぶっ飛んでます。

小吉さんは1802年、男谷(おだに)平蔵の三男として生まれます。早速、小吉さんの武勇伝は5歳から始まります。3歳年上の長吉くんと凧揚げしてて喧嘩になり、小吉さん、石を持って長吉くんをぶん殴り、唇をぶち破ります。長吉くん大出血、それを見てた父親・平蔵に「なに人様の子どもを傷つけるか!」と下駄で頭をカチ割られ、小吉さんも大出血。その後、ずっと頭の傷跡は残ったとか。まぁこれは小吉さんの武勇伝というか平蔵がやり過ぎエピソードか。

6歳で貧乏旗本・勝家に養子に出された小吉さん。7歳の時に1対2、30の大喧嘩。普通に苦戦、岩場に追い込まれて竿でぶっ叩かれます。脇差を抜いて応戦しますが、もはやこれまでと腹を切ろうとします。が、近所のおっさんたちが止めに入ってうちに連れて帰ってくれました。この時の度胸に近所の子どもたちは小吉の手下になり、ガキ大将成立です。

8歳の時はしょっちゅう喧嘩してたみたいで、8対4、50の喧嘩もかましてます。向こうは竹槍までも繰り出し、こちらも脇差を振り回し、もはや合戦です。多数のケガ人を出し、小吉さんは親父に叱られ30日間部屋に押し込められます。親父さんは「こいつは手に負えんが、ちゃんと武芸を習わせておこう」と道場に通わせて剣術や柔術を学ばせます。

んである日のこと。柔術道場にみんな持ち寄りでうまい菓子を食おう会みたいな時、小吉を疎ましく思ってた道場生たちに帯で縛られ、天井から吊るされてしまいます。縛られてる下で美味そうに菓子を食うみんな。菓子も食いたいし、悔しいしな小吉。一矢報いたい小吉は、上から小便を菓子と奴らにぶち撒けて菓子を食えなくしてやりました。気合いが違いますね。

絶えず喧嘩はやりまくり、12歳の時に学問をやりますが、勉強は全然やる気にならず、乗馬に夢中になります。喧嘩、剣術、乗馬はかなりの腕前になります。

そして14歳の時。「こんな人生つまらん。上方(大阪のほう)に行って人生楽しく過ごそう」と家から7、8両(今の価値で30万円くらいでしょうか)を盗んで家出。箱根手前の小田原に泊まってた時、2人組に「関所の手形持ってんの? 持ってないなら小銭で代行してやるで」と関所の意味もわかってなかった小吉さんは小銭を渡して2人組に関所を通してもらいました。いい人もいるもんだ、と2人と一緒に旅することにしました。しばらく経って、浜松で寝てる時に2人組に身ぐるみ剥がされ、金も全部持ってかれました。

文字通り裸一貫の小吉さん。同情した宿のオヤジがヒシャクをくれて、それに小銭を入れてもらって伊勢神宮でも参って来ればいい。と乞食をやりながらの伊勢詣でを提案。実際そうすると、世間は意外と捨てたものではなく、小銭を稼いで伊勢詣で。そこで乞食をしばらくして「やっぱ江戸に帰ろ」と来た道を戻ります。静岡辺りで馬の練習をしている14、5人の侍を見かけます。そして小吉さん、まさかの「めっちゃ馬下手だな、てめぇらwww」と指差して爆笑。当然、速攻でボコボコにされます。しかし「下手を下手って言って何が悪い!」とボコボコの顔面でさらに悪態。

すると40代くらいの侍が「そんなに言うなら乗ってみろ!」と言うので襦袢(じゅばん)1枚で馬に乗ってみせました。颯爽と乗りこなす小吉さん。「この乞食、もしかしたら侍の子じゃなかろうか」と40代くらいの侍。さらに「宿がないんだろ、うちに泊まれ」と小吉を自邸に招いてくれました。そこで美味しいご飯を頂き、風呂にも入れてもらって、奥方に髪を綺麗にしてもらったそうな。服まで用意してもらって、そこで1週間、子どものように可愛がってもらったんですと。

と、まぁワンパク小吉さん。14歳の家出からまだ戻ってませんが、続きはまた来月! この家出旅、この後に一大事が起こります。

挿絵:西 のぼる 協力:新潮社

© 有限会社ルーフトップ