相模原殺傷8日初公判 19歳女性の母が手記 娘は「甲」でなく「美帆」  

遺族が直筆のコメントとともに公開した、「津久井やまゆり園」で撮影された19歳の美帆さんの写真(遺族提供)

 神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で19人が殺害された事件で、犠牲者の1人である19歳の女性の母親が7日、この末娘の名前を「美帆」と明かし、報道各社に手記と写真を寄せた。8日に始まる裁判員裁判で呼称が「甲A」と決まったが、「美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います」と葛藤をつづった。

 母親にとって、美帆さんは「本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘」だった。自閉症で会話は困難だったが、絵本に描かれた電車を指さし、名前を教えて、とねだる姿を覚えている。特急スペーシアと京浜東北線がお気に入りだった。

 アンパンマンやミッフィー、ジブリ映画の「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」を好んだ。3人組バンド「いきものがかり」の音楽に合わせ、「ノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます」。

 そんな愛くるしさが、周囲を引きつけた。「人の心をつかむのが上手で、何気にすーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように接していました」

 出先では「大人のお姉さん風」だったが、母親には「甘ったれの末娘」と映った。中学の途中から園とは別の児童寮に入所し、親元を離れ、たくましく成長する様子が手記ににじむ。

 入所したての頃、一時帰宅後に寮に戻っても「帰らない」といったそぶりで嫌がり、車から降りようとしなかった。2年ほどすると、リュックを背負って泣かずに帰寮できるようになっていた。

 月1回の面会。バイバイというように手を振って見送る美帆さんを眺めて思った。「ずいぶん大人になったな」。「親として淋しい気持ち」もあったが、「私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだな」と感じていた。

 事件2日前、最後の姿となった写真も寄せた。成人を控え、「もう少し髪が伸びたら晴れ着を着て一緒に写真を撮るのが楽しみでした」と振り返る。

 名前の公表を決意したのは、「甲A」の呼称が耐えられなかったからだ。一生懸命生きていた愛(まな)娘は、「ちゃんと美帆という名前がある」「甲でも乙でもなく美帆です」。被告の量刑だけを決める公判にならず、「悲しい事件が2度とおこらない世の中にする」ために、社会が考える契機にしてほしいと願う。

 事件から3年半。歳月を重ねるたび、かなわない思いが募る。「会いたくて会いたくて仕方ありません」

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