哀愁漂う「ガール・イズ・マイン」誰もが1位を信じて疑わなかった曲 1983年 1月8日 マイケル・ジャクソン / ポール・マッカートニーのシングル「ガール・イズ・マイン」がビルボードHOT100で最高位(2位)を記録した日

共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.25
The Girl Is Mine / Michael Jackson & Paul McCartney

マイケル・ジャクソンの人気最盛期!

レコード産業が巨大化し大衆音楽が一般層に急速に浸透しだした、いわゆるロック・エラ(1955年からのロックンロールの台頭)以降に出現したスーパースターの中でも、マイケル・ジャクソンはトップクラスに位置するだろう。

レコード / CD総売り上げ枚数は、ビートルズ、エルヴィス・プレスリーに次ぐもので、70年代以降出現したスターの中では断トツの枚数を誇る。

シングルの全米ナンバーワン獲得は13曲を数えるが(ジャクソン5を含めれば17曲)、ナンバー2ソングは、なんと2曲しか存在しない。70年代の「ロッキン・ロビン」と、80年代23番目に誕生したナンバー2ソングとなった「ザ・ガール・イズ・マイン」だ。

70年代から亡くなる直前の00年代まで常にコンスタントな人気を得ていたマイケル・ジャクソンだが、その人気の最盛期はというと、やはり人類史上最大の1億枚超えのセールスとなったアルバム『スリラー』前後となるだろう。

「スリラー」からのリードシングル、ポール・マッカートニーと共演!

この「ザ・ガール・イズ・マイン」は、『スリラー』(1982年11月発売)からの先行リードシングルとして10月にリリースされた。

まさしくマイケル・スーパースター化への狼煙として、そして『スリラー』メガセールスへの布石として、プロデューサーに(前作『オフ・ザ・ウォール』から継続起用された)クインシー・ジョーンズ、共演にポール・マッカートニーを迎えるという盤石の態勢で臨んだシングルだったというわけだ。

しかし、この盤石態勢のシングル作品は… 最高位2位という結果に終わった。1位獲得を当然の運命のように課せられた作品が、である。

あわてたかどうかは推測の域を脱しないが、レーベル側はすぐさま翌83年1月に第2弾シングルとして「ビリー・ジーン」を、間髪入れず同年2月に第3弾シングル「ビート・イット」をリリース。

見事連続2曲の全米ナンバーワンを獲得し、その後のアルバム『スリラー』メガヒットへの快進撃はつつがなく実現と相成った。

先行シングルでありながら PV が制作されなかった異色作

そんな経緯があったからなのか、どうもアルバム『スリラー』を後に語る際に、「ザ・ガール・イズ・マイン」の存在が希薄な印象を受けてしまうのは筆者だけではないはずだ。

やはり『スリラー』といえば、「ビリー・ジーン」、「ビート・イット」、そして表題曲「スリラー」といったビジュアル効果を伴った PV 攻勢による一連のシングルヒットに支えられた印象が強い。

先行ファーストシングルでありながら PV が制作されなかった、アルバムの中ではブラコン色の薄い、ある意味地味な異色作だったという要素も影響しているのだろうが、「ザ・ガール・イズ・マイン」とアルバム『スリラー』が頭の中で結びつくイメージは、他の一連ヒットに比すれば、希薄と言わざるを得ないのは確かだ。

最高位2位って立派な大ヒットソングであるし、なんといっても世紀のスーパースター共演だったのに(40歳のポールが臆面なくマイケルと女の子を取り合っていたのに!)、ちょっと哀愁漂う愛すべき作品、それが「ザ・ガール・イズ・マイン」なのだ。

この世紀の共演は1年後に再びタッグが組まれ、「セイ・セイ・セイ」で全米シングルチャートを制覇、見事雪辱を果たしている。

Billboard Chart
■ Rockin’ Robin / Michael Jackson(72年2位)
■ The Girl Is Mine / Michael Jackson(83年2位)
■ Billie Jean / Michael Jackson(83年1位)
■ Beat It / Michael Jackson(83年1位)
■ Thriller / Michael Jackson(84年4位)
■ Say Say Say / Paul McCartney & Michael Jackson(83年1位)

※2017年5月9日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: KARL南澤

© Reminder LLC