【人ビト令和】住職兼音楽家・二階堂敦さん 説法に演奏に心ほぐす

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「明るくて話が上手な住職と言われましてね」。門徒の女性(右)と談笑する二階堂さん(中)。左は和美さん
コントラバスを演奏する二階堂さん(左)。寺の仕事はいったん忘れて音と向き合う(岩国市)

 ▽沖縄から妻の実家へ

 音楽と仏教。共通項を考えるようになったのは、シンガー・ソングライターで僧侶の女性との出会いから。沖縄県でコントラバスの演奏家をしていた40代、その女性と結婚し妻の実家がある大竹市に移り住み、浄土真宗本願寺派の大龍寺住職を引き継いだ。寺とは無縁の人生だったが「これもご縁」。音楽活動を続けながら、読経や説法で同様に聴き手の心を解きほぐす仏の道を両立させている。

 江戸時代後半に始まったとされる同市元町の大龍寺。ジャズや沖縄民謡…。昨秋にあった「大龍寺音楽祭」で境内は多彩なジャンルの音楽に包まれた。住職を継いだお披露目の法要に合わせ、前夜祭として企画。ゆかりの音楽家仲間がお祝いに駆け付けた。「うれしいやら照れくさいやら」

 自らもコントラバス奏者として登場。高さ2メートルある相棒を奏で、住職を支える坊守の妻和美さん(45)と「夫婦協演」して盛大な拍手を浴びた。

 和美さんは「いのちの記憶」などで知られる歌い手。この代表曲は、スタジオジブリのアニメ映画「かぐや姫の物語」の主題歌となった。夫として、また同じ音楽家として「剛速球の名投手のよう。大きな声で歌もうまい」と評する。

 転勤族の家庭で、生まれたのは静岡県。大阪府のニュータウンで育った。沖縄県内の大学に進み、「居心地がよくて」そのまま定住して音楽の道へ。塾講師などをしながら「どこか流される感じ」だった。

 和美さんとの出会いは2010年春。彼女が新譜のベーシストを探していた。良き仲間として音楽活動を共にした。実家の寺を案じる和美さんに寄り添い、住職を継ごうと決めた。得度は13年。翌14年には住職になるための「教師」の資格を取った。「大竹は住みやすい町で、自然となじんでいった」と振り返る。

 住職になったのは17年末。退いた義父了淳さんと2人体制で出発し、まずは門徒の月参りから始めた。義父が担っていた葬儀や法事に同行するようになり「背中を見て学んだ」。門徒の村中悦子さん(70)=元町=は「仏門に縁がなかったのに、とても話しやすい」と感じたという。

 昨年3月下旬、了淳さんが79歳で他界。敦さん自らが喪主を務め、見送った。「敦さんは皆さんに育ててもらったんだな」。和美さんはそう思ったという。

 柔和な人柄から「ガンジーさん」の愛称で親しまれる。コントラバス奏者として音楽ユニットを組んで即興的なライブを続け、スペインやドイツでも公演してきた。「自分で言うのも何だけど、那覇名物の愛されキャラだった。僧侶になるというのは飛躍しすぎた話で、当時は沖縄に激震が走ったらしい」と振り返る。今は住職に全力投球。「両立といっても住職9、音楽1の配分」と笑う。

 音や声を発して聴き手の心を解きほぐす―。仏教と音楽の共通項を悟り、気負いはない。住職お披露目の法要で、門徒に「初めて念仏を唱えたのは6、7年前。皆さんの方が明らかに先輩です」と語り、笑いを誘った。「外部からの視点を大切に、地域に開かれた寺に」。力まず一歩ずつ進むつもりだ。(白石誠)