マラソンにこだわり10年 アジア選手権で銅メダル獲得・松尾良一選手(大村城南高-旭化成)

アジア選手権の銅メダルを手に、さらなる飛躍を誓う松尾。後ろは宮崎県延岡市のシンボルになっている旭化成恒富工場の煙突=旭化成陸上部グラウンド

 42.195キロを走るのは、当然しんどい。でも、ゴールした後の何とも言えない充実感は、何度味わってもいい。松尾(旭化成)にとって21回目のマラソンとなった昨年12月、アジア選手権(中国)。自身初の日本代表として挑み、銅メダルをつかんだ。優勝争いにこそ絡めなかったが、日の丸をつけて走った経験は「大きな財産になった」。
 走り始めた3、4歳のころから大村市立玖島中時代まで、陸上ファンの父が“先生”だった。大村城南高で初めて陸上部に入部。仲間と一緒に走るのが楽しくて、また陸上にはまった。貧血を治療したのも良かったのか、だんだんタイムも良くなっていった。
 卒業後の進路を決める時、頭に浮かんだのは、父が好きだった長距離の名門、旭化成だった。高校時代、全国的な実績は残せていなかったが、陸上部の俣野剛監督(現小浜高教)に相談してチームの合宿に参加させてもらうと、割といいパフォーマンスができた。体の強さなどが評価され、予想以上に早く話がまとまった。
 それから10年。ずっとマラソンにこだわってきた。2010年の入社当初に「マラソンで勝負したい」と願い出て、初挑戦したのが高卒3年目の4月という異例の早さ。以来、年間約3回のペースでレースに出てきた。
 そのベースになっているのが、調整力の高さと粘り強さ。これまで途中棄権も大崩れもなく、すべて確実に走り切ってきた。中でも結果を出せているのは、会社の拠点が舞台となる2月の延岡西日本マラソン(宮崎)。14年に2時間12分11秒の自己ベストで2位に入ると、16年からは2年連続で頂点に立った。
 常に結果が求められ、出せなければ肩をたたかれてしまうチーム。部員20人強のうち、在籍年数は上から3番目になった。でも、支えてくれている周りの人たちへの恩返しのためにも、ここで歩みを止める気はない。「2人の子どもの記憶に残るまで」という思いも、走り続けるモチベーションの一つだ。
 だからこそ、次は世界の舞台で日の丸をつけられるように、さらに高いレベルを追求しようと心に決めている。競技人生のゴールは、まだ先にある。

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