冷戦下、消えた五輪出場 無念の元選手「平和の祭典。政治を持ち込んだら駄目」

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「モスクワ五輪日本代表選手集いの会」に参加する南敏文(中央)。隣の瀬古利彦らと旧交を温めた(2019年12月21日、東京都・日本青年館)

 昨年12月21日。1980年モスクワ大会の日本代表選手82人が、都内で一堂に会した。東西冷戦下、日本のボイコットで出場できなかった「オリンピアン」たちだ。

 レスリングのグレコローマンスタイル68キロ級代表だった滋賀県の日野高レスリング部監督、南敏文(62)=大津市=は、仲間と歓談し、当時の辛苦を分かち合った。「五輪は平和の祭典。国、宗教、人種を超えて純粋に競い合う場所。政治を持ち込んだら駄目です」。五輪憲章の文言をなぞるかのように、静かに語った。

中立性は保たれず

 大会前年の79年、旧ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻し、米国が西側諸国にボイコットを呼びかけた。追従した日本や韓国、西ドイツは不参加を決めたが、スポーツの中立性が保たれていたフランスや英国などは参加。自身も代表だった日本オリンピック委員会会長の山下泰裕(62)は「日本にはスポーツの力がなかった。価値を、日本を動かす人に伝える力がなかった」と悔やむ。
 08年の第4回ロンドン大会。それまで個人参加だった五輪で、初めて国旗を掲げた入場行進が始まり、「国同士の競争」が幕を開けた。36年のベルリン大会では、ヒトラーが国威発揚に政治利用した。立命館大教授の権学俊(クォンハクジュン)(スポーツ政策論)は「スポーツは抜群の大衆性と熱狂性があり、社会的関心も高く、政治的プロパガンダの絶好の手段となる」と指摘する。
 国がスポーツに介入する現実は、今も続く。昨年11月、大阪市で開かれた柔道の国際大会「グランドスラム大阪」で、一人の選手に注目が集まった。サイード・モラエイ(27)。イラン代表だったが、8月の世界選手権で、敵対するイスラエルの選手との対戦を棄権するよう政府から圧力を受けた。指示に従わずに出場し、家族の身にも危険が及んだため、ドイツに渡って難民認定を受けた。
 認定後初となる大阪の大会でモラエイはメダルを逃したが、大勢の報道陣に囲まれた。「畳の上で練習できず、相手もいない。それでも戻れたことに感謝」。大粒の汗を流しながら、試合に出場できた喜びを口にした。母国からの弾圧は今も続くというが、「柔道は私の人生。五輪でメダルを取りたい」と決意する。東京五輪はモンゴル国籍で挑戦する予定だ。

「難民」に境遇重ね

 国家の枠を超えた新しい取り組みが、前回リオデジャネイロ大会から始まった。初めて結成された「難民選手団」。紛争などで祖国を離れたシリアや南スーダンの選手が五輪旗を掲げ、競技を通じてメッセージを伝えた。
 東京五輪でも出場予定の同選手団に、熱いまなざしを向ける人たちがいる。八幡市では、30人のシリア人が自動車輸出などに従事しながら生活する。アレッポ出身で、内戦から逃れ、同市にたどり着いたカリド・スルタン(30)は「国を追われてもギブアップせず、一番高い山に登ろうとしている。自分も頑張らないと」と、同じ境遇の代表に思いを重ねる。=敬称略

柔道グランドスラム大阪で多くの報道陣に囲まれるサイード・モラエイ(大阪市・丸善インテックスアリーナ大阪)