「メジャーで仕事がしたい」ー夏は米国、冬はメキシコで働く日本人トレーナーに迫る

メキシコウィンターリーグでトレーナーを務める金村幸治氏【写真:福岡吉央】

金村幸治氏は夏はMLB傘下マイナー、冬はメキシコWLでトレーナーを務める

 メキシコで行われている野球のウインターリーグ「リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ」に携わっている2人の日本人がいる。1人はベナードス・デ・マサトランでトレーナーを務める金村幸治氏。異国の地でメキシコ人に混じって野球界で働いている金村氏の仕事に迫った。

 ベナードス・デ・マサトランのベンチの入り口で、首脳陣に混じり、赤いポロシャツ姿で真剣な眼差しで試合の戦況を見つめている日本人スタッフがいる。アスレチックトレーナーとして16年からベナードスで働く金村氏だ。今年で同チームに帯同して4年目。MLB傘下の選手が参加しているウインターリーグでは、選手のケアのため、MLB球団所属のトレーナーを雇わなければならないというルールがあり、夏もメジャー傘下の球団でアスレチックトレーナーを務めている金村氏が、ベナードスではその役割を果たしている。

 夏は米国。冬はメキシコ。英語とスペイン語の両方を流暢に操る金村氏だからこそ務まる仕事だ。メキシコのウインターリーグはレギュラーシーズンが約3か月。プレーオフを加えても、約4か月の短いリーグだ。そのため、いかに早くケガした選手を復帰させられるかが求められるのだという。

「米国の場合はチームという組織の中で方針が決まっているので、その方針に沿ったやり方が求められますが、メキシコの場合は復帰時期の判断など、トレーナー個々の能力が試されます。夏のシーズンと比べて短期決戦なので、選手の登録、入れ替えの判断にも関わってくる。間に合わないならチームは新しい選手を獲得しなければいけませんし、シビアな判断が求められます」

 MLBに毎週定期報告を行うのも仕事。MLB傘下の選手がケガをした場合は、その選手の所属先のコーディネーターに連絡し、状況を説明するのだという。
 
「米国ではメジャー級の選手は組織でケアしますが、ラテンアメリカのウインターリーグではトレーナー個々の勝負。マッサージやメニュー、考え方などを伝えることで自分の実力を認めてもらい、選手に理解してもらうしかない。どこの国から来たかも分からないような奴がなんだ? ってところから始まるんですが、自分の実力を試されるので、刺激になりますし、自分のことを認められ、選手に気に入ってもらえた時は嬉しいですね。お前の言われた通りにやったら動けるようになったと言われたら、そりゃ嬉しいですよね」

 なぜ、夏の米国だけでなく、冬のメキシコでも働くのか。金村氏はラテンアメリカ野球の醍醐味が理由だと明かす。「米国の野球ってクールにやろうとするけど、こっちはヒットを打つたびに喜ぶし、パフォーマンスもあって日本に近い。米国でそれをやると侮辱としてとられてしまうけど、ラテン特有の感情の表し方が好きなんです。試合後は勝っても負けてもロッカーでビールを飲む。米国の野球は仕事という感じがしますが、こっちは選手も野球を楽しんでいますよね」。

大学卒業後に渡米、ドミニカ共和国でもトレーナー業務に従事

 現在32歳で、福岡県出身の金村氏がトレーナーを志そうと思ったのは、剣道部に所属していた中学生の時だという。ケガで治療院に通っていた時に、スポーツに関わる仕事に憧れを持った。その後、早稲田大学スポーツ科学部に進学。大学でスポーツ科学を学ぶとともに、狭山ヶ丘高アメフト部のメディカル・コンディショニングコーチを務め、アメフトXリーグ3部チームでのインターンも経験した。アスレティックトレーナーの仕事が米国発祥だったことから、米国留学の必要性を感じていた金村氏は大学卒業後、米国に留学。半年間語学学校に通った後、アーカンソー大学の大学院で2年間勉強を続け、アスレチックトレーナーの国家資格を取得した。

「高校までずっと剣道をしていましたし、野球をしたことはなかったんですが、野球を見るのが好きだったんです。どうせならプロスポーツのトレーナーになりたいなと思っていました。日本でプロスポーツといえば野球。米国で野球畑を経験していれば、もし日本に帰国しても役に立つかなと思ったんです」

 12、13年には大学院と並行して、ロイヤルズ2Aでインターンを経験。大学院卒業後の14年にリハビリアシスタントとしてマーリンズに入団した。そのマーリンズ傘下でWBCに3度出場したドミニカ人のミゲル・テハダと出会ったことが、彼をラテンの世界へと導いた。14年オフ、ドミニカのウインターリーグでプレーする予定だったテハダに、同行するよう誘われたのだ。結局、テハダは病気を患い、シーズン途中からしかプレーできなかったが、金村氏はそれまでの経験を買われ、アギラス・シバエーニャスとアシスタントトレーナーとして契約。ラテン系の選手と交流を深める中で、ラテンの国の面白さを感じるようになっていったという。

 そして15年には、アギラスでの経験が買われ、ドミニカ共和国にアカデミーを新設したカージナルスに採用され、現地のアスレティックトレーナーとしてアカデミーの選手たちを担当することになった。当時、約60人いた選手の中で英語が話せたのはわずか2人だけだったが、米球界でのスペイン語の必要性を感じていた金村氏はスペイン語を必死に勉強し、対応したという。

 メキシコ行きの話は、マーリンズ時代の上司から舞い込んだ。16年夏、カージナルスのルーキーリーグを担当していた金村氏は、ベナードスがトレーナーを探していることを聞いて応募。採用され、今季で4年目になる。夏のシーズンはその後、18年までカージナルスでマイナーリーグ担当のアスレティックトレーナーを務めた後、19年にブレーブスに移籍。昨年はルーキーアドバンスドを担当し、来季は1Aを担当する予定だという。

「メキシコとドミニカを比べると、ドミニカのウインターリーグでプレーする選手はほとんどがMLB傘下でプレーしているので英語が話せるため、そこまでスペイン語力は問われませんが、メキシコのウインターリーグは、夏もメキシコでプレーしていてメキシコから出たことがない選手も多く、彼らはスペイン語を使いたがるので、メキシコのほうがスペイン語力は求められますね」

 ベナードスでは17年には楽天の日系ブラジル人、ルシアノ・フェルナンド外野手、今季はDeNAの濱矢廣大投手がプレーした。彼らにはメキシコの文化的なことや生活面のアドバイスなどを送ってきたという。金村氏は「日本から外に出て違う国で自分を試そうとしている選手を見ると、応援したくなりますよね」と目を細める。異国の地での日本人選手との出会いも、刺激の1つとなっている。

最も嬉しかったのはイチロー氏との会話「トレーナーになってよかったと本当に思った」

 メキシコのウインターリーグではトレーナーの仕事に専念できるが、米国での仕事はトレーナー業以外の業務も兼任しなければならず、さらに大変だという。遠征先に新たに契約を結ぶ選手が来た時は契約書類を用意してサインさせなければならず、ミールマネーの配布も担う。ほかにも書類作成、送付などの業務もあり、チームの誰よりも労働時間は長い。

「シーズン中は12時から24時半くらいまで球場にいます。月曜日も試合があることが多いですし、休みは月に2日くらい。米国も移動はバスですが、トレーナーはコーチ扱いになるので、バスで2席を使える。でもメキシコは2人掛けに2人で座る。米国は長い時は15時間以上の移動もありますが、メキシコは(米国への麻薬密輸ルートにあたるソノラ州、シナロア州を移動するため)夜中に軍の検問で起こされるので、あれが1番辛いですね」

 トレーナーをしていて1番嬉しかったことは何かと聞くと、選手の復帰ではなく、意外な答えが返ってきた。「昔から憧れていたイチローさんと話せたことです。たまたまカージナルスのキャンプ地がマーリンズと一緒だった時に、マーリンズにいた知人がイチローさんに、カージナルスにも日本人がいるよと伝えてくれたんです。それを聞いたイチローさんがわざわざロッカーまで呼んで下さって、話をすることができました。もしトレーナーをしていなかったら、こんなことはなかったですからね。その時はトレーナーになってよかったと本当に思いましたね」。金村氏は感動の対面をこう懐かしむ。ちなみに、ケガをした選手が復帰することは、離脱していた期間やケガの重さに関わらず、一様に嬉しいそうだ。

 トレーナーは基本的に1年契約。その仕事ぶりが評価されなければ翌年の契約オファーは届かない厳しい世界。その中で何年も働いてきた。当然、選手とは密に接する。ドミニカのアギラスで勤務していた時には、マニー・ラミレスが金村氏のマッサージを気に入ってくれ、お礼代わりに、毎回自炊した料理を球場に持ってきて差し入れしてくれたこともあったという。自らの腕前が直接選手からの信頼につながるのだ。

 今後の目標は、メジャーのチームを担当することだという。「今後はまだ米国で挑戦したいですし、マイナーではなくメジャーで仕事がしたいですね」。その一方で「この経験を生かして日本のプロ野球で働いてみたいという思いもあります」という金村氏。そしてメキシコではウインターリーグで優勝し、カリビアンシリーズに出場することが目標だ。チームは現在、リーグの王者を決めるプレーオフの真っ最中。金村氏はメキシコ王者、そしてカリブの頂点を目指す仲間とともに、勝利を追い続けている。(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

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