JAGATARA(OTO、南流石)- 虹色のファンファーレが聞こえるかい

もっと人のために踊りたい

──最初に、今回、Jagatara2020を始動するに至った経緯を教えて下さい。

OTO:ずっと前のことだけど、僕が今暮らしている熊本の農園に南が突如やって来たことがあったんです。

南:2014年の9月11日だったかな。OTOの誕生日に突然行ったら面白いかなと思って、何も言わずに行ったんだよね。それで久しぶりにいろいろな話をして、その時に30回忌のことも話した。私は、アケミが亡くなってからの年月をずっとつないでいきたいと思っていて、時々ライブでJAGATARAの曲を歌ったりしていたんだけど、熊本に行ったのはその一環だった。

──その日からJAGATARAの復活がだんだん具体的になっていったんですね。

OTO:アケミの30回忌のことはずうっと頭にあって、僕はそこに標準を合わせて生きてきたような所もあった。その時にもし自分が健康で元気だったら、何か自分にできることをやろうと。実は去年、イベント「東京ソイソース2019」の計画中に、S-KENから「OTOが東京に来るって決めたらまとまると思う」と言われて、JAGATARAはブランクも長いし、その前に一度集まってやるのはウォーミングアップにいいかなと(笑)。それでソイソースに出ることを決めて、みんなと久しぶりに会ったらすごく楽しかった。だったらこのまま2020年に向かっていこうと。

──OTOさんは2009年に東京から熊本に移住し、2011年に福島で原発事故が起こってからは関東にもう行けないと判断して、それ以来一度も東京に来てなかったんですよね。

OTO:そうだね。「関東には行かない」と宣言して、サヨコオトナラの活動もストップしていた。2014年に南が熊本まで来てくれた後、そのことの意味をいろいろ考えたんです。あの時、南は「今まで私は私の踊りを作りたくてやってきたんだけど、その私というのは今はもういらないということに気づいた」と言ったんですが、僕の中でも「ああ」と思うことがあった。僕も農園ではずっと自分というものをオフにすることを考えていたんです。だから南の意識と同じ流れに立っているなと。それはアケミのいた頃のJAGATARAとはまた違った、これから先の新しいつながりになっていくんだろうなと感じたんだよ。そこからまたJAGATARAが始まった気がしている。

南:「セルフレス」が1つのキーワードだった。私は3歳の頃から踊りを始めて、それからずっと自分の踊りを追求してきたけど、自分のために踊るとか、自分のために何かをやるという人生はもういらないなと。簡単に言うと、もっと人のために踊りたいと思うようになったんだよね。アケミからずっと「お前はお前の踊りを踊れ」と言われ続けていたんだけど、その本当の意味は「お前が勝手なことをやれということではない」と気づいた。

──アケミさんは「じゃがたらなんか見に来なくてもいいんだ、おまえたちはおまえたちの友だちを作れ」と言ってましたが、その言葉にも通じますね。

南:そうかも。私はその時、もう自分のために何かをやるのってダサいって感じてたんだよね。

OTO:僕がいま居るアンナプルナ農園を開いた正木高志さんはインドのヴェーダーンタ哲学を深く勉強されてきた方なんですが、僕はそれを知った時、こんな面白い哲学があったのかと。しかもそれが3500年ぐらい前からずっと培われてきたということは、僕にとってものすごいカルチャーショックだった。そのヴェーダーンタ哲学の中心になっている考えが非二元論の「自己放棄」という考え方で、もともと自分と宇宙は一体であるということなんです。この考えを知ってから、アケミの歌を聴くと、ああ、アケミはこういうことを言っていたのかというのがすごくよくわかる。僕は農園に入った時、とにかく農作業に集中したかったから一切の音楽をオフにしたんだけど、それでも、農作業中、辺りは空と森しかないもんだから、突然、空からアケミのフレーズが舞い込んで来る。あの言葉の意味はこういうことだよと。例えば「無数のガラス玉が宇宙にはじけ飛び出す」(「つながった世界」)がどんな意味なのかとか、いままでよくわからなかった歌詞のフレーズをまるで解説してくれているような、ものすごい体験をした。それは今でも続いているんだけどね。

──農園での体験があって、また音楽に気持ちが向かったんですか。

OTO:それでまたすぐ音楽に向かうことはなくて、その時は、なんというか、自分が農作業しかやることがない状態が本当に嬉しかった。僕がそういう生活に入ったのは、3・11に福島の原発事故が起こったというのがやっぱり大きい。それまではサヨコオトナラで音楽の旅をしながら、それぞれの地域の生産者とつながっていけば、安全な食べ物を確保できると思っていたのが、いよいよそれも不可能になるなと。それぞれが自立したコミュニティの中で僕は音楽をやっていると思っていたんだけど、でも自分が音楽をやるだけの能力しかないと思うと、なんか薄ら寒いんですよ。お客さんに向かってギターを弾いていても、自分は米ひとつ作れないのかと思うと、なんか俺、カッコ悪いなと。それは自分が自分でそう感じたということですが、だったら俺は今回の人生で農業をやることにしようと決めた。すべての人がそうしなければいけないとは全然思わないけど、僕の場合はやった方がいいなって。そういう生活になって、はたして音楽をやる時間を作れるかどうか分からないけど、まずはその暮らしに入ってから音楽が生まれてくるのをずっと待ちわびよう。そういう音楽がいいかどうかではなく、僕が一番聴きたいのがそういう暮らしの中から生まれた音楽だから。それを他力本願でなく自分でやるしかない。それで新しい音楽に出会うことができたら最高だなって。

Jagatara2020(2019年/撮影:池田敬太)

朝焼けを待ちながら 終わりのないダンスはつづく

──Jagatara2020の始動で、30年ぶりの新曲が生まれましたね。

OTO:アケミの30回忌を前に、新曲もあった方がいいんじゃないかという話になり、今回2曲作りました。僕が作ったというよりも、僕は器として曲の骨組みだけを作って、さっき言ったアケミの言葉が降りてくるじゃないけど、その中にいろんなものが入ることでみんなの曲になっていくのを楽しんだ。この2曲ができたことで、僕が今の暮らしの中で待ちわびていた曲に出会えたことが一番嬉しいですね。

──『みんなたちのファンファーレ』は南さんが作詞してますが、どんなふうにできあがったんでしょうか。

南:OTOからデモテープをもらって詞を書くことになったんだけど、その時、アケミの元にみんなが足踏みしながら集まってくるようなイメージが浮かんできて「123イエス!」って歌詞を新たに足して、OTOにフレーズを付けてもらった。

OTO:ソイソースのライブで南はセンターで歌ったんだけど、お客さんとバンドの真ん中に南がいる姿が、曲を書く時にイメージとして浮かんでいた。その景色を想像しながらこの曲を書きました。

南:その時、私もお客さんとバンドを繋ぐ存在になりたいなと思ってた。

OTO:1983年に出た『家族百景』のB面に『日本株式会社』という曲があるんだけど、曲の最後の方でアケミがフリースタイルで歌っていて、「虹色のファンファーレが聞こえるかい それがゴキゲンの合図だ」というフレーズがある。僕はこの言葉が、新しいビジョンのコールのような気がしていて、アケミが亡くなってしばらく経ってから、この言葉が一番最後のタイトルだと思っていた。『夢の海』という曲の中には「太陽は口を開き 時の声をあげる」ってフレーズがあるんだけど、アケミの中ではずっと新しい時代の到来がテーマで、みんなでそれを迎えるために歌っているんだよね。「暗黒大陸じゃがたら」の暗黒は80年代の日本そのもので、『みちくさ』の中では「闇から闇へと葬り去られる時代」から「WAKE UP、起きろよBaby」と歌われるし、『都市生活者の夜』では「午前四時少し前」という一番闇の深い時間に「朝焼けを待ちながら 終わりのないダンスはつづく」と歌われる。無明の世界の中で光を求めるというのがアケミの中のテーマであり、生き方なんだよね。以前の僕はそういう認識がなさ過ぎて、アケミが抱いていた深刻さとか、危機意識には及びもつかなかった。アケミはよく地球と一つになったことがあると言っていて、それはさっき言ったヴェーダーンタ哲学では非二元論を経験したってことなんだけど、アケミは80年代の時点で、彼の言葉でいう所の「宇宙的レベル」でそれ感じていたわけで、まさに30年後の今の時代に向けてメッセージを発していたんだと思う。

──80年代のバブル絶頂期にそういう危機感を持っていた人は本当に少なかったでしょうね。

OTO:そうだね。それでも鋭い人達は、言葉で説明はつかなくても、JAGATARAのライブでその危機感のすごいエネルギーを感じながら踊っていたんだと思う。ソイソース2019で驚いたのは、お客さんが、もちろんみんな踊っているんだけど、それに加えてみんなでかい声で歌ってたんです。アケミの言葉がこんなに残っていたのかとすごく感激した。僕はこの30年間、アケミのメッセージがあまり伝わらずに素通りされてしまうのかなあと思っていたんだけど、そんな心配はいらないとソイソースの時にお客さんに教えられた。

江戸アケミ

いじけるな、ガッツで乗り切れ

南:OTOが言ったようにソイソースでお客さんがみんな歌っているという現象を見て、自分が歌う歌を書くんじゃなくて、30年間待っていてくれた人達が歌う歌を書こうと思った。JAGATARAを好きな人が会場で歌っているイメージですね。

──『みんなたちのファンファーレ』はOTOさんが一旦音楽を辞めるという過程を経て生まれた、まさに新しい音楽だと思いますが、南さん個人にとってこの曲はどういう意味を持ちますか。

南:私とOTOは住んでいる場所もやってることも違うんだけど、似たような状況がありました。この曲を作る前に、私の中でずっとやってきた芸能の仕事に区切りを付けたんです。それを誰かに宣言したわけではなく、自分の中で自分と約束しただけなんだけど。芸能界で生きてきた自分とJAGATARAをやってきた自分が今まで平行していたけど、区切りを付けようという答えを出した時にこの曲ができた。もともと南流石という芸名は桑田佳祐さんが付けてくれたんだけど、「南流石」っていうのはJAGATARAに入ってから生まれたと思っているから。私のダサい所はそれを堂々と言わない所だね(笑)

──でも以前、テレビ番組でめっちゃ語ってましたよ。「本当の意味で私が生まれたのはJAGATARAからだ」って。

南:あ、言ってるね(笑)

──南さんは障害者施設で踊りを教えたり、ヨルダンの難民キャンプを訪れてシリア難民の子供達とダンスワークショップを開くなどの活動をされてますが、それは今回のJagatara2020とすごく繋がっているなと思います。

南:その通りで、JAGATARAがなければ、自分がこういう方向に行く道標はなかったと思うんだよね。もちろんOTOの今の活動にも影響を受けているし、全部リンクしている。私がいつも頭にあるのは、アケミの「いじけるな。ガッツで乗り切れ」。この2つの言葉で芸能界を生き抜こうとしていた。でも、それに疑問を持ち始めたのは、やっぱり3・11の震災以降ですね。ガッツで乗り切ろうとしていたことが、果たして本当に自分にとって価値があることなのか?と。そんな時にOTOのいる熊本に行ったんだよね。

OTO:そうかあ。「いじけるな」はかなり大事だからねえ。

南:生きてく中で哲学が救いになるということをOTOから教えてもらって、その影響も大きい。新曲の詞でもそれを言いたかった。なるべく簡単な言葉を使って書いているんだけど、実は、アケミの詩集の中にある「すべての宗教を否定するところから始まる」という言葉がテーマとして私の中にあった。

OTO:アケミは『それから』を出してその一年後ぐらいに逝っちゃうんだけど、その間のインタビューで「リズムで救われたいんだよ。でも宗教は嫌なんだ」って言っている。そこはすごく核心だと思っていて、やっぱりこの世の中は生きていく上で大変なことが多すぎる。明るい人間関係さえできればいいじゃないかって思うんだけど、それが厳しいのは、人間が生み出している厳しさがたくさんあって、それこそ戦争や原発もそうだし、人が人の自由を奪うような醜い状況が山ほどある。それがここ何年かで急速に加速していて、南米や香港だけじゃなく、世界中でたくさんの悲鳴が上がっている。そういう状況でサバイブしていくには方法を持たなければいけなくて、それは人任せにはできないし、自分の力で見つけて生きていくしかない。だからこそ、これまで長い間、人類が多くの苦しみを乗り越えてきた歴代の人達が考えた知恵が哲学として集約されているんだと思う。残念ながら人間は、苦しすぎると別の人に危害を与えるようになってしまうし、それを受けた人もまた苦しくなるという悪循環が起こる。ハラスメントが連鎖して自分たちの命の源である地球環境を汚しまくってしまった。アケミが生きていた頃と比べてもそれはどうしようもなくエスカレートしているんだけど、それでもできる限り元気に楽しく生きていきたいから、やっぱり素敵な友達が必要なんだと思う。

──今のひどい社会の中で絶望しないためには、いっそ鈍感になるしかないと思うんだけど、JAGATARAみたいな音楽が好きな人はそうはなれない。でも僕は東京ソイソース2019やJagatara2020に希望を感じるんです。このままいじけてる場合じゃないぞと。

南:「いじけちゃいけない」って凄い言葉だよね。だから今はJAGATARAメンバーの救済の時期だと思っていて、1月のライブに向けて、自分自身がまずアケミやJAGATARAからもらったものに感謝して救済される。その心でお客さんの前に立つ(笑)。今OTOが明るい人間関係って言ったけど、私にとっても一番大事なことは明るいってことなんだよね。明るく生きるのが一番大切。

OTO:『都市生活者の夜』の中に「子供達の明るいざわめきが街じゅうに響きわたるその日まで オレは決して忘れはしないあの日のすべての出来事を」って歌詞があるけど、その言葉につきると思う。明るいビジョンってそういうことだなと。明るくなるにはガッツがいるんだよ。許せないことも許すしかない状況が山ほどあるから。ハラスメントの連鎖をその都度切っていくのは大変なことだと思う。智慧に目覚めないと無理だと思うもん。頭でわかってもなかなかそこまで悟ったようにはふるまえない。アケミの言っていた「業をとれ」の課題です。アケミは「頭の中を掃除するんだ」というメッセージもたくさん出していた。これから先の人類に一番必要なメッセージだよ。そんなメッセージを出していた歌手は世界的なレベルで見ても数少ないんだよ。なんだろ?僕はレナード・コーエンくらいしか思い当たらない。余談だけどアケミやこだま(和文)さんや篠田(昌己)くんの音楽に共通するのは謙虚さだと思う。謙虚な音楽は少ないよ。

OTO

君も今日からJAGATARAだ

──アケミさんの命日である1月27日のワンマンライブの翌日にLOFT9でトークライブ「Jagatara2020ナンのこっちゃい生サロン」を開催しますが、これはどういうものなんでしょう?

OTO:JAGATARAのライブを観たことがない人がバトンを受け取ってくれる所を見たいというのもあるけど、それは人に望むだけでなく、自分も自分なりにバトンを受け取っていきたいなと思っていて、それで気がついたら今こんな山奥に暮らしているんだけど(笑)。今、僕の中で生活費のために音楽をするという考えは全くなくて、自分が本当に必要な音楽をするために、日々を暮らしていきたい。それは、たぶん南もそうで、本当に踊りが必要な所に行って、踊りを届けようとしていると思う。アケミはもともと音楽なんかどうだっていいと言ってたんだけど、それがこういう事なんだとようやく分かったというか、多分アケミが言わんとしていたのは、世の中にはそれぞれの人生で果たしていく役割を全うしている人達がたくさんいて、そういう人達とのつながりを作らないと明るい人間関係はできないんじゃないかということ。香港の状況とか見ると、もう政治も国も人間に対して何もできないことが分かる。残るのは一人一人の意識しかない。その意識のネットワークを作るのが一番大事で、Jagatara2020が集まることの核はそこだと思っている。当日、LOFT9にどんな人が来るのか分からないけど、僕はそこに来た人の話をできるだけ聞きたいし、つながることがしたい。そういう声を聞く機会ってこの30年間ほとんどなかったんです。JAGATARAが『南蛮渡来』を出した頃、いろんな人がボランティアでレコードの納品を手伝いに来てくれて、その中には高校生のケラリーノ・サンドロヴィッチもいたんだけど、アケミは手伝いに来てくれた人達に「よーし、今日からお前もJAGATARAだ」って言ってたんです。その時の僕はなんとなく上から目線な言い方だなと思っていたんだけど、アケミの言った真意は、同じ場所でつながって動く人達との意識共同体という意味で「君も今日からJAGATARAだ」って言ったんだと最近わかった。今まさしくそういう意識が必要で、アムラーじゃないけど全国のジャガタラー達と出会いたい。いろんな現場にジャガタラーがいると思うし、そういう人達とこれから先どんどん出会っていきたい。

南:だから今回はバンドを再結成しただけじゃなくて、もっと範囲が大きい。バンドはその一部にすぎないから。

南流石

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