年30人が心神喪失無罪の時代も 重大犯罪続き判断厳格化、相模原殺傷事件の結論は

By 竹田昌弘

 相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者19人が刺殺され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件の裁判員裁判が8日、横浜地裁で始まり、殺人や殺人未遂などの罪に問われた同園元職員の植松聖被告(29)は殺傷行為などを認めた。弁護側は事件当時、精神障害の影響で刑事責任能力がない心神喪失か、著しく低い心神耗弱の状態だったと主張し、裁判の争点は責任能力の有無・程度に絞られた。そもそも責任能力、心神喪失、心神耗弱とは何か、どのような基準や枠組みで判断するのか、どんな判決が宣告されてきたのかをまとめてみたい。(共同通信編集委員=竹田昌弘) 

事件翌日、送検のため神奈川県警津久井署を出る車の中で笑みを浮かべた植松聖被告=2016年7月27日午前、相模原市緑区

■ 責任能力、刑法上の非難に値するかどうか

 責任能力とは、刑法上、刑事責任を負うことのできる能力とされ、裁判員裁判の担当裁判官からヒアリングした司法研修所編「裁判員裁判と裁判官―裁判員との実質的な協働の実現をめざして」には、次のような裁判官から裁判員への説明例が掲載されている。 

 「罪を犯した人に対し刑罰を科すことができるのは、正常な精神作用の下で(つまり、自分の行為が悪いことと分かっていて、自分の意思で思いとどまることができたのに)、罪を犯した場合に、刑法上の非難に値するからです」 

 「しかし世の中には、精神病などの精神障害の圧倒的な影響により、犯行に及んでしまう人がいます。罪を犯したとしても、精神障害のためにそのような事態になった以上、その人に対し、罪を犯したとして非難し、刑事上の責任を負わせることはできません。このような場合を、心神喪失といいます。刑法は、心神喪失者の行為は、罰しないと定めています(39条1項)」 

 「次に、心神喪失ほどひどい状態ではなくても、やはり精神病などの精神障害による著しい影響を受けて、犯行に及んでしまう人もいます。この場合は、正常な精神作用によって罪を犯したといえる部分も残っているので無罪にはなりませんが、一般人と同じ程度に、その行動を強く非難することはできません。このような場合を、心神耗弱といいます。刑法は、心神耗弱者の行為は、その刑を減軽すると定めています(39条2項)」 

■ 新宿バス放火、深川通り魔、羽田沖墜落で論議高まる

 責任能力を巡る判例をたどると、まず戦前の最高裁に当たる大審院が1931年12月3日の判決で、心神喪失は「精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力(弁識能力)またはその弁識に従って行動する能力(制御能力)のない状態」、心神耗弱は心神喪失の状態まで達していないものの、弁識能力や制御能力が「著しく減退した状態」とそれぞれ定義し、踏襲されてきた。 

 責任能力が疑われる場合、専門医による精神鑑定(面接・問診、脳波検査、心理テスト、供述調書をはじめ捜査記録の分析、関係者との面接など)が実施される。裁判では、その鑑定結果などから、①精神障害の有無・程度(医学的診断)、②それが弁識能力、制御能力に与えた影響の有無・程度(心理学的分析)、③責任能力の有無・程度―を順次検討するが、最高裁は「法律判断であり、もっぱら裁判所に委ねられるべき問題」として、①と②も含めて裁判所が評価するという基準を示している(83年9月13日の決定)。 

 翌84年7月3日の最高裁決定では、責任能力の有無・程度は犯行時の病状、犯行前の生活状態、動機・態様などを総合して判定すべきだという判断の枠組みを示した。「総合判断」を促した判例で、最高裁判事を補佐する調査官(裁判官)の解説では、実務上大きな意義があるとしている。総合判断のポイントとして、動機が了解できるかどうかや犯行の計画性、罪証隠滅工作の有無などを挙げている(高橋省吾氏「最高裁判所判例解説刑事編昭和59年度」法曹会)。

放火され、乗客6人が焼死、17人が重軽傷を負ったバス=1980年8月19日、東京・新宿駅西口

  80年代前半は、東京で新宿駅バス放火事件(80年8月、6人死亡)、深川通り魔事件(81年6月、4人死亡)、日航機羽田沖墜落事故(82年2月、24人死亡)が相次ぎ、二つの事件の被告は精神鑑定に基づいて心神耗弱と認定され、無期懲役(求刑は新宿駅バス放火が死刑、深川通り魔は無期懲役)となった。エンジンを逆噴射させた日航機の機長も、統合失調症による心神喪失で起訴されなかった。責任能力の論議がかつてないほどに高まる中、最高裁は83年と84年の二つの決定によって、判断の基準・枠組みを明確化し、心神喪失と心神耗弱の認定を厳格化する方向へ舵を切ったとみられる。 

滑走路の手前に墜落した日航機=1982年2月9日、羽田空港沖

■二つの最高裁決定後、心神喪失認定は年1桁に

  犯罪白書によると、心神喪失による一審無罪は、71~80年は13~30人で推移していた。多かったのは、71年の30人、74年27人、72年24人の順。しかし、二つの最高裁決定の後は心神喪失と認定されるケースが次第に少なくなり、86~2007年は1桁が続く。とりわけ1990~2000年は全て5人以下で、99年と2000年はゼロだった。 

 1990年代に責任能力の有無・程度が争われた事件として、幼女4人連続誘拐殺人事件がある。宮崎勤被告の精神鑑定結果は〈a〉性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない、〈b〉多重人格を主体とする反応性精神病の状態にあり、是非善悪の弁識能力もそれに従って行動する能力も若干減弱していた、〈c〉統合失調症に罹患(りかん)し、識別能力はあったが行為の制御能力を一部欠いていた―の三つに分かれた。〈b〉〈c〉鑑定によれば、心神耗弱だが、東京地裁は97年4月14日の判決で、責任能力を認めた〈a〉鑑定を採用し、求刑通り死刑を宣告した。死刑は最高裁で確定し、2008年に執行された。 

 裁判員裁判の開始を翌年に控えた2008年、心神喪失による一審無罪が11人に上り、22年ぶりに2桁となった。同年4月25日の最高裁判決では、精神障害の有無・程度やその影響に関する鑑定意見は公正さや能力に疑いが生じたり、前提条件に問題があったりしない限り、十分尊重すべきだという基準が示された。裁判員裁判に向け、鑑定人と裁判所との役割分担をはっきりさせたとみられるが、精神科医からは「鑑定結果を軽視する裁判所の風潮に歯止めをかける」(吉川和男氏「わが国の責任能力判定の行方」司法精神医学第5巻第1号)といった声が上がった。ただ09年以降は、また1桁が続いている。 

■「精神障害の影響か、もともとの人格に基づく判断か」

  09年から始まった裁判員裁判では、責任能力の有無について「精神障害の影響のためにその罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」「精神障害の影響のためにその罪を犯したのか、正常な精神作用によって犯したのか」「精神障害の影響により、自分の行為について、してもよいことなのか悪いことなのかを判断する能力や、その判断に従って行動をコントロールする能力が失われていたために、罪を犯したのか」というおおむね三つの視点のどれかから検討し、判断している(前出の司法研修所編「裁判員裁判と裁判官」)。 

 最高裁によると、09年5月の裁判員制度施行から19年10月までに、裁判員裁判で心神喪失と認定され、無罪となった被告は14人。心神耗弱により、刑を減軽されたのは366人という。 

 例えば、京都地裁の裁判員裁判で12年12月7日に言い渡された無罪(求刑懲役5年)の判決によると、被告の男性(42)はビデオ店でDVDを万引し、追いかけてきた店長にナイフで切りつけ、重傷を負わせたとして強盗致傷などの罪に問われた。妄想型統合失調症であることに争いはなく、検察側は心神耗弱を、弁護側は心神喪失をそれぞれ主張した。鑑定医は精神障害が事件の計画、遂行に強く影響していたなどと証言し、判決はこの証言などから、事件当時は活発な妄想を主症状とした「急性増悪状態」と認定。「ビデオ店は法務省の手先で、被告の生活を妨害しているので、万引してDVDを換金するのは正当防衛」という動機は理解できないなどとして、心神喪失の疑いが強いと結論づけた。 

 同居していた会社員の男性=当時(50)=を刺殺したとして、殺人罪に問われた女性(31)の裁判員裁判で、札幌地裁は18年6月19日、無罪(求刑懲役6年)の判決を宣告した。検察側は起訴前の精神鑑定に基づき、責任能力に問題ないと主張したが、起訴後に鑑定した医師が公判で「飲酒による急性アルコール中毒やかつて使用したという覚醒剤の影響で、判断能力が低下していた可能性がある」と証言。地裁は起訴後の鑑定結果を採用し、死亡した男性の口の中に豆腐を入れるなど、支離滅裂な行動をしていたことも踏まえ「善悪を判断する能力や行動をコントロールする能力が全くなかった可能性がある」と判断した。 

 この2件では、犯行への精神障害の影響を肯定する鑑定結果に加え、犯行の動機や態様が理解できないことを重視している。 

入所者16人が殺害され、職員を含む26人が負傷した津久井やまゆり園=2016年7月26日午前、相模原市緑区(共同通信社ヘリから)

■ パーソナリティ障害か大麻精神病か

 相模原障害者施設殺傷事件では、検察側が医師の証言に基づき、植松被告はパーソナリティ障害(人格に偏りがあるが、病的な妄想を生じさせない)にとどまり、責任能力があると主張している。検察側の冒頭陳述では、▽動機は障害者施設での勤務経験や見聞した社会情勢から生じたもので理解可能、▽ハンマーや結束バンドを購入して準備し、職員が少ない夜間を狙い、まず職員を拘束するなど、計画的な犯行、▽現場から逃走後、警察署に出頭し、違法性を認識していたこと―などの点に着目するよう求めた。 

 これに対し、弁護側は別の医師の証言に基づき、植松被告は大麻精神病や妄想性障害、統合失調症その他の精神障害であった疑いがあり、犯行はその強い影響下で行われ、当時は心神喪失または心神耗弱の状態だったと主張している。 

植松聖被告(フェイズブックから)

 弁護側の冒頭陳述によると、植松被告は15年ごろ「イルミナティ」と呼ばれるカードが未来の事を反映すると妄信するようになり、同年12月ごろには「自分は選ばれた人間。伝説の指導者である」などと発言するようになった。16年2月15日に衆院議長公邸に手紙を持参し、その後、相模原市が措置入院させた。このときの医師は大麻精神病や妄想性障害と診断した。 

 16年3月2日に退院後も大麻を使用。同年10月に犯行を決行しようと思っていたが(事件2日前の)7月24日深夜、大麻を一緒に使用していた知人から「やくざに命を狙われている」と言われて犯行を早めた。さらに「尾行されている」「車に発信器を付けられている」と思うようになり、車をファストフード店に放置したこともあった。タクシーに乗った際は、身を隠すようにシートで横になっていた。 

 この頃、一緒に食事をした知人の女性には「意思疎通できない人を殺す」と発言し、この女性は友人に「もう手遅れ。関わらない方がいいレベル」とLINEでメッセージを送っている。植松被告は自宅でも「ださい」「きもい」などの幻聴が聞こえることがあった。 

 大麻は13年から16年の犯行直前まで週に4~5回、多いときには1日数回使用していた。大麻を長期的に常用すると、妄想などの精神疾患が発生する。植松被告は大麻精神病などによって行為の善悪を判断し、それに従って行動をコントロールする能力がなかったと、弁護側は主張している。 

相模原障害者施設殺傷事件の公判が開かれる横浜地裁の法廷。裁判員はまだ入廷していない=1月8日(代表撮影)

 今回の裁判員裁判では、検察側、弁護側双方の主張と医師の証言、事件に至る経過などを踏まえ、84年の最高裁決定で示された「総合判断」に基づき「精神障害の影響のためにその罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」などの視点から結論を出すとみられる。

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