「昭恵夫人」は責任回避の呼称か 気になる男女の呼び分け

By 江刺昭子

「桜を見る会」で招待客と記念写真に納まる安倍首相と昭恵夫人=2019年4月

 まもなく通常国会が召集されるが、国会における議員の呼称が気になる。議長や委員長が発言者を指名するとき、男女を問わず「君」付けで呼んでいるからだ。1890年の第1回帝国議会以来だそうだが、女性の政治参加をいっさい認めなかった時代の慣習をそのまま踏襲していていいのだろうか。

 接尾語としての「君」は、同輩や目下の人に使用することが多い。明治時代には書生言葉でもあったことから、主に男性に対して使われる。しかし現代の一般社会では、男女の別なく「さん」付けで呼びあうのが普通である。

 国会で初めて男女ともに「さん」を用いたのは、1993年に女性初の衆議院議長になった土井たか子さんだった。目が覚める思いだった。「尊敬の念を持って呼んでいる」と土井さんは語っている。

 2018年には、衆院予算委員会で女性初の委員長になった野田聖子さんが「さん」付けで指名して注目された。だが、どちらもあとが続かない。

 地方議会でも見直しの動きがあり、男性は「君」、女性は「さん」と使い分けたり、男女とも「議員」と呼ぶところもあるが、なかなか広がらないようだ。男女共同参画を進めるうえで、また議会と一般社会の垣根を低くするためにも、呼称から議会改革を進めてほしい。

初の女性衆院議長に選ばれたときの土井たか子さん=1993年8月、国会

 メディアが用いる呼称も影響が大きい。議員のような社会的地位のある人については、新聞は「さん」ではなく主に「氏」を用いているようだ。そうすると、土井たか子氏、野田聖子氏にすることになる。

 そもそも「氏」と「さん」の区別は何が基準なのだろう。敬意をこめる場合に「氏」を用いるのであれば、それ以外の人は敬意を払われていないことになる。

 男性は「氏」、女性は「さん」と、新聞は長いあいだ性別で呼称を使い分けてきたが、現在は男女とも「さん」が主流になった。しかし、今も訃報欄などで使い分けしている記事もあって、抵抗を感じる。

 最近の例では、ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を受けたとして元TBS記者山口敬之さんを告訴し、東京地裁で勝訴したことを伝える記事。伊藤「さん」、山口「氏」と繰り返し書いてあり、悪いことをしたと認定された山口さんに敬意が払われているようで不快だった。

シンポジウムで意見を述べる伊藤詩織さん

 少し前までメディアに頻出していた「福原愛ちゃん」や「石川遼君」にも違和感があった。大人に伍してアスリートとして堂々と活躍しているのに、年齢が低いから「ちゃん」「君」呼ばわりはないだろうと。近年は若くても、男女ともほぼ「さん」に統一されたようだ。

 もう一つ、気になる呼称は「夫人」である。社長夫人、教授夫人、夫人同伴などと使われ、夫の付属物というニュアンスが強い。メディアではさすがにほとんど使われなくなったが、1990年代までは「サッチャー夫人」「(アウンサン)スーチー夫人」、女子テニス選手の「ビリー・ジーン・キング夫人」などという表現がまかり通っていた。

 彼女たちは誰かの妻としてではなく、自身の活躍や業績によって報道対象になっているにもかかわらず、である。しかし調べてみると、偉人伝の定番「キュリー夫人伝」は今でも多くの出版社から発行されており、「マリ・キュリー伝」としているのは数点にすぎない。

 戦前は社会的地位のある男性の妻が公的な団体のトップになるケースが多かった。「○○男爵夫人」「○○知事夫人」などと呼ばれ、愛国婦人会などの官製団体のトップとして戦争協力をリードした。しかし、この種の夫人たちは、本人の実力でその地位を得たわけではない。だから戦後はそれを逆用し、「なりたくてなったわけではない」と戦争責任から逃げた。

 近年、メディアを賑わしているのは「昭恵夫人」である。森友問題や「桜を見る会」など、歴代総理夫人のなかで動向が突出している。公務員のスタッフを身のまわりにおき、総理夫人の肩書きで講演したり、さまざまな団体の役職を務めたりしてきた。なのに、都合が悪くなると、公人ではなく私人だといって夫のうしろに隠れてしまう。

 夫の付属物ではなく、自立した社会人という自覚があるのなら、立場に伴う責任をとってもらいたい。その第一歩として、なにはともあれ「桜を見る会」の「昭恵夫人枠」招待客の名簿を公表するべきではないか。

 「夫人」と呼ばれることで、戦前の「夫人」たちと同様、逃げ切ってしまうことなど、あってはならない。(女性史研究者・江刺昭子)

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