「神戸讃歌」被災地と共に ヴィッセル神戸、復興の歩み歌声に乗せ

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応援歌「神戸讃歌」を合唱するヴィッセル神戸のサポーター。ホームゲームではスタジアムに歌詞が表示される=ノエビアスタジアム神戸(撮影・辰巳直之)

 2020年元日、東京・国立競技場。日暮れが近づき、照明の輝きが増す中、天皇杯全日本選手権を初制覇したヴィッセル神戸のイレブンとサポーターが応援歌を介し、一体になった。1995年の阪神・淡路大震災で被災したクラブと街の姿を重ねた「神戸讃歌(さんか)」が響く。あの日を知る者も、知らない者も、25年の歳月を思い、歌詞をかみしめた。

 〈俺達のこの街に お前が生まれたあの日 どんなことがあっても 忘れはしない〉

 〈共に傷つき 共に立ち上がり これからもずっと 歩んでゆこう〉

 激震が街を襲った95年1月17日はくしくも、クラブ設立後の初練習日だった。選手は被災し、日常生活すらままならない日々。ヴィッセル神戸は、被災地と共に船出した。

 応援歌「神戸讃歌」はその歩みを紡ぐ。震災から10年がたち、被災前の人口を上回る一方、まだ更地も残っていた05年、古参サポーターがシャンソンの名曲「愛の讃歌」の歌詞を書き換えて誕生。サポーターは選手入場に合わせて合唱し、試合に勝てば、選手と共に歌い、結束を強めた。

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 「何だろう、ズーンとくる。歌詞に重みがあるというか、サポーターと選手、クラブが一体なんだと思えるよね」

 三浦淳寛スポーツダイレクター(45)は神戸讃歌が生まれた年に神戸に加入した。当時、ユニホームの右袖には震災10年を刻むワッペンを着けた。今も、スタジアムにこだまする歌声に、目頭が熱くなる。

 サポーターには一人一人、歌う理由がある。

 神戸市垂水区で被災し、市職員として日夜、水道の復旧に当たった男性(58)は「もう昔のことだが、当時をつないでいかないといけない」と言う。歌声に乗せた願いは、震災後生まれのサポーターにも伝わり、同市須磨区の高校2年生の男子生徒(17)は「だんだん歌詞を覚え、震災の授業とリンクした」。神戸讃歌が震災への理解を深め、クラブの成り立ちを教えてくれた。

 「この土地が震災を乗り越えてきたことを忘れないよう、サポーターが歌い続けている。ヴィッセルとのつながりとして発信していることも、いいじゃないですか」

 昨夏の加入まで10年以上、横浜F・マリノスに在籍したGK飯倉大樹(33)は外部から来たからこそ、歌い継がれる意義を強く感じている。老若男女が一緒になって歌う光景を「神戸の文化」とも言う。

 クラブは17日、始動から四半世紀を迎える。

 〈美しき港町 俺達は守りたい 命ある限り 神戸を愛したい〉

 今季もまた、スタジアムに魂の歌が響く。(有島弘記) 【震災当時のヴィッセル神戸】クラブ発足後の初練習を予定していた1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。選手は自宅待機し、翌月、前身の川崎製鉄サッカー部が拠点とした岡山県倉敷市で始動した。震災の影響で筆頭株主のダイエーが撤退したが、5月開幕の日本フットボールリーグ(JFL)に参戦。後期に元日本代表FW永島昭浩らが入団したが、6位に終わり、Jリーグ昇格はならず。翌96年にJFLで準優勝を果たし、発足2年目にJリーグ昇格を達成した。