「難民は犯罪者だ」通りに響く怒声  右派台頭の町、刺殺事件が住民引き裂く ベルリンの壁崩壊30年(3)

 殺人犯は難民だった。2018年8月、ドイツ東部の都市ケムニッツ。未明のビル街でドイツ人男性(35)が刺殺され、23歳のシリア人の男が捕まった。ドイツに近年、大量に流入した難民の1人だった。右派や愛国団体は憤り、事件後も市内をデモ行進して気勢を上げる。「難民は犯罪者だ」。ベルリンの壁崩壊から約30年。現地では難民敵視の声が響いていた。(共同通信=森岡隆)

「われわれが国民だ」と書かれた横断幕を手に、難民排斥を訴える右派のデモ隊=2019年8月、ドイツ東部ケムニッツ(共同)

 ▽統一の恩恵から取り残され

 ドイツ国旗が揺れ、シュプレヒコールが上がる。「外国人は出て行け」。約600人の男女がケムニッツの目抜き通りに広がって行進する。未成年から高齢者まで多くが一般の人々だ。ケムニッツは人口25万の工業都市で、かつて社会主義国の東ドイツに属していた。

 「この国は外国人であふれている。ドイツ人は流入に立ち向かえ」。デモの先頭を進む女性教諭ウータ・ニュルンベルガーさん(45)が訴える。東ドイツ出身で、ベルリンの壁が崩壊した1989年、街頭デモに加わった。この年、東ドイツでは民主化を求める大規模デモが繰り広げられ、壁崩壊の原動力となった。90年には東ドイツが消滅し、統一ドイツが誕生。「ついに自由を手に入れた。高揚感で満ちていた」

 しかし、もろい東の経済は西の資本主義との競争にさらされ、東では企業閉鎖と人員整理の嵐が吹いた。西との経済格差は今も埋まらず、東では統一の恩恵から取り残されたとの思いが渦巻く。

 ▽攻撃の矛先、移民にも

 そこに現れたのが大量の難民だった。メルケル首相は2015年、内戦を逃れたシリアなどからの人々の受け入れを決断し、数年のうちに100万人以上が流入した。多くは若い男性で、ケムニッツをはじめ国内各地の施設などで暮らす。

 ケムニッツがあるザクセン州ではシリア人が2万人を超え、最大の外国人グループとなった。州警察が捜査したシリア人容疑者は大量流入前の14年に900人だったが、16年には8倍に。ケムニッツでも人口の1割近くを外国人が占める。

 ニュルンベルガーさんは「市民殺害などあってはならない。ドイツがこんな国になると想像もつかなかった」と話す。

 18年の刺殺事件の反応はすぐに現れた。犠牲者のドイツ人男性は悲劇の象徴となり、国内各地から難民排斥を掲げる右派勢力がケムニッツに押し寄せた。左派も集まり、双方の1万人以上が対立して複数の負傷者が出る騒ぎに発展した。ケムニッツのドイツ人極右グループは事件に反発し、首都ベルリンで殺傷事件を企て逮捕された。

 攻撃の矛先は市内で長年暮らす移民にも向かい、トルコ人経営の料理店は深夜に放火された。ナチス・ドイツ政権下で迫害を受けたユダヤ系住民も標的になり、ユダヤ料理店には覆面の男たちが乱入した。殴られて負傷した経営者のウーウェ・ジュバラさん(55)は「店の前に豚の頭を置かれたり、店に(ナチスの)かぎ十字を描かれたりもしたが、ここまでひどいことはなかった」。

ケムニッツ中心部を行進する右派のデモ隊=2019年8月(共同)

 デモ隊は町の中心部から住宅街を進む。掲げるのは「われわれが国民だ」と書かれた横断幕。89年の街頭デモで人々が国民主権を求めて叫んだスローガンだ。ドイツで難民の横暴を許すな―。当時、政権を退陣に追い込んだ合言葉が今「難民排斥」に使われる。

 ▽引き裂かれる町、怒りの正体どこに

 幼い子供を持つデモ隊の女性タチヤナ・カイザーさん(32)は「外国人が犯罪を持ち込み、子供の安全が脅かされている。不安でいっぱいの母親の姿を政治家に見せつけたい」と語気を強める。メルケル氏の退陣を求める掛け声が響き、デモ隊に罵声を浴びせた市民との小競り合いが起きる。デモ隊を見て硬い表情で涙ぐむ人もいる。

刺殺事件を受け、ケムニッツで抗議活動をする右派支持者ら=2018年8月(ロイター=共同)

 ケムニッツは東ドイツ時代、社会主義革命に影響を与えた思想家にちなみ「カール・マルクス市」と呼ばれた。地元生まれの女性アネ・メンクさん(71)が思い出すのは難民問題と無縁だった当時の静かな暮らしだ。だが「今は職のない外国人が町をうろつく。昔は夜、1人でバスに乗れたのに」

 この日、デモに反対する左派の数百人も沿道に陣取り、デモ隊に「町から出て行け」と叫んだ。参加した地元の女性フランチェスカさん(50)は友人や同僚、買い物先の店の従業員からも、外国人敵視の言葉を聞くようになった。以前にはなかったことだ。地元の選挙でも難民排斥派の右派政党が躍進する。

 「人々を突き動かす怒りの正体が分からない。この町は引き裂かれてしまった」。フランチェスカさんは住み慣れたケムニッツを離れることも考え始めた。(終わり)

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