苦境からはい上がってきた桃田選手、今回も 原発事故、違法賭博問題…乗り越えた先に数々の偉業

昨夏のバドミントン世界選手権男子シングルスで2連覇を達成し、ユニホームの日の丸を指さす桃田賢斗選手=2019年8月、スイス・バーゼル(共同)

 遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれたバドミントン男子シングルス世界ランキング1位の桃田賢斗選手(25)=NTT東日本=が15日夕、日本に帰国した。東京五輪を今夏に控えた中での災禍に、そのショックは計り知れない。

 「この先どうなるか分からなくて4年後なんか全く見えない」

 この言葉は2016年4月、同僚との違法賭博問題を受けて開かれた記者会見で桃田選手が発した言葉だ。無期限の試合出場停止処分を受け、リオデジャネイロ五輪の出場もなくなった。 それでも、翌年に処分が解かれて以降はトップ選手としての地位を徐々に取り戻し、18年には世界選手権で初優勝。

 桃田選手は様々な苦境からはい上がり、第一人者として数々の〝初〟が付く偉業を達成してきた。その足跡を振り返りつつ、東京五輪本番で、これまでどおりのすばらしいパフォーマンスを見せてくれることを祈りたい。(構成、共同通信=松森好巨)

 香川県出身の桃田選手は小学生日本一になった後、福島県富岡町の富岡一中に進学。3年だった09年には全日本総合選手権の予選に当時の最年少記録で出場した。

バドミントン全日本総合選手権予選の男子シングルスに出場した桃田賢斗選手=2009年12月、代々木第二体育館

 福島県立富岡高1年時には東日本大震災が発生。武者修行先のインドネシアにいた桃田選手はテレビで被害を知ったという。東京電力福島第1原発事故の影響で、練習場所は同県猪苗代町に移転。避難所だった体育館を使い、限られた時間の中で練習に励んだ。そして高校3年だった12年、世界ジュニア選手権を日本人として初めて制覇した。

世界ジュニア選手権男子シングルスで優勝を決め、ガッツポーズする桃田賢斗選手=2012年11月、千葉ポートアリーナ

 高校卒業後はNTT東日本に入社。国内、海外で実績を積み重ねていき、リオ五輪前年の15年には、世界選手権で日本勢初の銅メダルを獲得。同年の全日本総合選手権でも初優勝を飾るなど、21歳にしてリオ五輪でメダルを期待されるバドミントン界のエースにまで駆け上がっていった。

全日本総合選手権男子シングルスで初優勝し、表彰式で笑顔の桃田賢斗選手=2015年12月、代々木第二体育館

 ところが、16年4月に同僚と都内の違法カジノ店で賭博をしていたことが発覚。記者会見で「今まで育ててくれた方々を裏切ることになり、本当に深く反省している」と謝罪した。その後、日本バドミントン協会から無期限の試合出場停止処分を科された。

違法カジノ店で賭博行為をした問題で記者会見するバドミントンの桃田賢斗選手=2016年4月、東京都千代田区

 処分期間中、社会貢献活動などに取り組んだ桃田選手に対し、同協会は17年5月に処分を解除。同月には復帰戦にのぞんだ。

日本ランキングサーキット大会でプレーする桃田賢斗選手=2017年5月、さいたま市記念総合体育館

 復帰して以降は目覚ましい活躍をみせる。18年8月の世界選手権で五輪、世界選手権を通じて日本男子で初の金メダルに輝くと、翌月には男子シングルスの世界ランキングで、ダブルスを含めた日本勢男子で初めて1位となった。

バドミントン世界選手権の男子シングルスで、日本男子初の金メダルを獲得しガッツポーズする桃田賢斗選手=2018年8月5日、中国・南京(共同)

 昨年の世界選手権も優勝し、日本勢として初の2連覇を達成した。年が明けてからも、五輪イヤー最初の国際大会となるマレーシア・マスターズを制覇。東京五輪で男子シングルス初の金メダル獲得―。そんな期待が高まるなかで起きた13日の事故だった。

事故で顔を負傷し、病院でマレーシア首相夫人から見舞いを受ける桃田賢斗選手(左)=13日、クアラルンプール近郊プトラジャヤ(ベルナマ通信提供・共同)

 事故により桃田選手は顔面3カ所の裂傷と全身打撲を負ったが、治療を担当したマレーシアの医師は「1カ月ほどで練習に戻れ、今後の競技に影響はないだろう」との見解を示している。帰国後は日本でも精密検査を受ける予定で、3月中旬の全英オープン(バーミンガム)での実戦復帰を目指していくという。

 桃田選手は事故後、入院先の病院に駆け付けた日本代表の朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチに「まだバドミントンはできるか」と尋ねたという。焦りはあるだろう。まずはしっかりと静養してほしい。心身ともに万全の状態に戻った上で復帰し、はつらつとしたプレーを見せてほしい。そう願わずにはいられない。

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