BC栃木加入の成瀬 入団会見一問一答、NPBは「正直厳しい」西岡は「怖い、いや優しい」

栃木ゴールデンブレーブスへの入団会見に臨んだ成瀬善久【写真:編集部】

中学以来の実家生活「地元の友達、周りの人たちに野球している姿を見せたい」

 昨季限りでオリックスを戦力外となり、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスへの入団が決まった成瀬善久投手が15日、栃木・小山市内で入団会見を行った。会見では、中学時代までを過ごした地元である小山市の球団へ加入した経緯、背番号「60」への思い、今後のキャリアなどについて語った。

 入団会見での成瀬の一問一答は以下の通り。

――入団のきっかけは?

「昨年にヤクルトを戦力外になったときに、同じチームで同じ小学校、中学校の先輩である飯原(誉士ヘッドコーチ兼外野手)さんから声をかけてもらい、そのときは『すぐ行きます』と伝えたんですけど、『まだプロ(NPB)にチャンスにあるんじゃないか、それからでも遅くない』と、あとは『地元に少しでも貢献しろ』と言われたのもありました。それでも去年も声をかけていただいて、プロ野球(NPB)では正直厳しいというのもありましたし、そのなかで少しでも野球ができる環境だったりとか、あとは高校から地元を離れていたのでまた地元で野球ができることに幸せを感じましたし、地元の友達、周りの人たちに自分の野球をしている姿を見せたいなという思いで決めました」

――昨季はBCリーグ優勝を達成した栃木ゴールデンブレーブスの印象は?

「ちょくちょく連絡は取っていて、前半のほうは苦戦をしていたのは聞いてました。でも野球って不思議と最初はよくても後半ダメだったら意味ないですし、その中で一番シーズンがしんどい時期に勝っていくっていうのは、優勝は1チームしか味わえませんし、みんなが1つに向かってやっていったって話は聞いていたので、去年入っていたらなって思いもありました。純粋に優勝は気持ちいいんだろうなと思いました」

――小山市に戻ってくるのは中学校以来?

「毎年帰ってはいるんですけど、実際に野球を見せるという意味では小山でやるのは中学校以来なので、もちろん時間は結構経ちましたけど、野球をやることは変わらないと思う。少しでもファンの皆さま、地元の人に野球っていいなと魅力は伝えていきたいと思っています」

――今後の生活の拠点は小山?

「実家がありますので、実家から通わせていただきます。ちょくちょく帰ってきてはいますが、長くいるのは久々に帰ってきたなと思う反面、慣れないところもあります」

――今後のスケジュールは?
「練習には合流しました。ちょっとブランクというか準備期間ですかね。プロ(NPB)と違って2月からキャンプインではないので、首脳陣のかたとお話をさせていただいて、焦らずにやってくれと言われたので徐々にペースを上げていければなと思っています」

――背番号「60」はロッテに入ったときの番号。それにかける思いは?

「『17』でもよかったんですけど、自分の原点であるのが『60』ですし、オリックスでは『46』もつけましたけど、昭和60年生まれですし、純粋に好きな番号なんですよね。もちろんロッテのときは変わりましたけど、プロに入ったときの愛着がある、この番号で頑張ってきたっていう思いもあるので、原点に戻るって意味では『60』がいいのかなと思いました」

――地元の小山、栃木はどんな存在?

「落ち着きますかね。シーズン中だと帰れませんし、その中で年末年始に帰ってくるとほっとするというか、地元の同級生だったり中学校の先生に会ったりするとやっぱり地元っていいなって。住みやすい場所というかリフレッシュできるのが幸せだなと思います。家族もそうですけど気分が安らぐというかそういう気持ちになれますね」

NPBに未練なし「こっちでやるぞって気持ち。1年でも長くやらせてもらった」

――NPBに残りたいという葛藤は?

「ないですかね。お話がいただけるならありがたいとは思っていましたけど、一昨年に1回目の戦力外を受けたときにお話をいただいて、それで去年も2年連続でそういうことが起きたらプロはそんなに甘くはないと思っていましたので、前からずっと飯原さんからお話はもらえてましたし、僕の中でもプロ(NPB)よりもこっちでやるぞって気持ちのほうが強かったですね。1年でも長くプロ野球でやらせてもらった。その先はないと思っていたので、区切りはしていました」

――今後のプラン、起用法は?

「まずは体をしっかり仕上げていくのが一番の前提ですし、選手でもありコーチでもありますけど、選手としては(寺内崇幸)監督が言ったところで投げる。どこで投げたいとかは特になくて、投げれるだけで幸せかなと思っています。なので投げれる状態に早く持って行かないといけないと思っています」

――今後のキャリアは? NPBには戻らない?

「正直厳しいと思う。NPBでは厳しいかもしれないが、選手として投げさせもらえるなら投げ続けたい。純粋に、何歳になっても。自分が壊れるまでといっても、あと何年できるかわからないですけど、1年1年が勝負ですし壊れてもいいよくらいじゃないと。その中で40歳になってもチャンスをいただけるのであれば、選手としてやっていきたい。プロに入ったときから40歳までやりたいと思っていたので、どこまで持つかわからないですけど、1年1年が勝負でこの世界では選手として結果が残せないのであればそれはもうダメだと思う。選手としての結果は残しつつも長くやりたいなと思っています」

――2016年に栃木ゴールデンブレーブスが誕生してからいつかやりたい気持ちはあった?

「地元に球団があるのはいいなと思っていた。どのタイミングかはわからないですけど、飯原さんからは『早く貢献しろ』と言われてましたし、連絡もくれてた。自分でも地元で野球ができるって思いながら、でもプロ野球(NPB)で続けたいって思いもありましたし、その中でNPBの話がなくなった時点で僕の中ではここしかないなと」

――先発ローテーションには元中日の若松駿太投手もいる

「若松は僕より全然若いですし、もう1度NPBに行きたいって思いも強いという話もしました。その中で少しでも手助けをしてあげたいですし、そういう場だと思っているので、自分が今までやってきたことを伝えられることは伝えて、違うなと思ったら排除してくれていいと思う。まずは本人次第、やる気があるかないかがスタートだと思うので、少しでも力になれたらなと思います」

――ロッテ時代の同僚の西岡剛内野手は昨季、栃木でプレーした

「シーズン中にちょっとだけお話はしました。まだ(西岡が)どうなるかわからない状況ですが、一緒にプレーできるのは楽しみ。怖い先輩だったので(笑)、いや優しい先輩なので、純粋に一緒にまたプレーできるのは楽しみです。僕の後ろで守ってくれてましたし、それ以上によく喝を入れてもらっていたので、そういうスタープレイヤーがいるのはこの年齢になっても緊張するなと思っています」

――NPB時代の1番いい思い出は?

「2010年に下克上したときですかね。ローテーションでフルで投げ続けたのは自分の中でプラスというか、内容の濃い1年だったと思っています」(工藤慶大 / Keita Kudo)

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