2020年の幕開けとともに、各メディアで2010年代を振り返る企画が行なわれている。
今回は『givemesport』から、「アーセナルにおける2010年代のワーストイレブン」をご紹介する。
GK:マヌエル・アルムニア
アーセナルは長年に渡って数名の寂しいゴールキーパーを抱えてきた歴史があり、その中でアルムニアは間違いなく厳しい存在だった。
驚くべきことに彼は2004年に加入した後175試合に出場し、3シーズンに渡ってレギュラーを務めることになった。素晴らしいセーブもするもののミスが多い選手であり、お買い得だったがアーセナルにふさわしい選手だったかは疑問だ。
右SB:シュテファン・リヒトシュタイナー
2017年の夏に加入したスイスの大ベテランDFは、非常に難しいシーズンを過ごすことになった。経験をもたらすどころかチームに馴染めず、23試合の出場に終わった。
アーセナルでのプレーはわずか1シーズンのみになり、夏にチームを離れていった。
CB:セバスティアン・スキラッチ
ヴェンゲル監督による「最悪の補強」候補といえる。400万ポンド(およそ5.8億円)でリヨンからやってきたDFは、最初こそスタメンだったものの、散々なパフォーマンスの後で序列を下げていった。
2011~2013年にわずか7回しかプレーできず、アーセナルが彼をあっさり放出したのは当然であった。
CB:シュコドラン・ムスタフィ
ムスタフィはアーセナルで悪夢を見ている。バレンシアで高い評価を受けていたセンターバックであり、2016年夏には3500万ポンド(およそ50.9億円)という価格でロンドンへ。
しかし彼は500万ポンド(およそ7.3億円)の…いや、300万ポンド(およそ4.4億円)の選手のようにプレーしたことすらない。アーセナルでの時間もそろそろ終わりに近づいているようだ。
左SB:アンドレ・サントス
アンドレ・サントスはひどかった。それ以外の言葉はない。
ピッチでのパフォーマンスのみならず、マンチェスター・ユナイテッドとの試合でファン・ペルシーとシャツ交換するなど、ファンの感情を逆なでする選手だった。
RMF:デニス・スアレス
スアレスがバルセロナからのローン契約にサインした時、アーセナルの界隈では多くの興奮があった。
ただ、彼はプレミアリーグで成功するために必要な身体的能力に欠けており、怪我のために適応の時間も許されなかった。わずか6試合の出場に終わる。
CM:グラニット・ジャカ
ジャカは実際それほど悪くはないが、彼は貧弱な意思決定と突発的なチャレンジによって、アーセナルのファンとの関係が崩れかけていた。
実際にファンからのブーイングに反撃し、そしてキャプテンを剥奪された。ミケル・アルテタ監督就任後は復調しているが、ファンとの関係についてはまだ修復まで時間がかかるだろう。
CM:キム・シェルストレーム
本当に奇妙な獲得だった。彼がやってきたのは2014年の1月であったが、スウェーデン代表の彼はデビューまで数カ月を要した。
さらにそれからたった4回しか出場せず、何の感銘も与えなかった。
LMF:ジェルヴィーニョ
リールから2011年の夏にやってきたジェルヴィーニョ。1080万ポンド(およそ15.7億円)もの移籍金が支払われた。
しかしその期待ほどのパフォーマンスは見せられず。ロンドンで低空飛行を続けた彼は2013年にローマへと去っていった。
CF:ヤヤ・サノゴ
サノゴはとてもプアだった。20歳という若さで加入したという点で擁護できなくはないが、アーセナルを退団してからも眠ったままだ。
2017年にアーセナルを離れるまで20試合に出場し、わずか1ゴールしか決めることができなかった。
CF:マルアヌ・シャマフ
このモロッコ人はアーセナルでかなりいいスタートを切った…ように見えたが、すぐに急速に低下した。
彼はアーセナルで23試合に出場。最後の2シーズンでは3ゴールしか決められなかった。
サブ:エマニュエル・エブエ
アーセナルで長くプレーした選手だが、2010年からの彼は難しい立場になっていた。ウィガン戦では途中出場から途中交代に。
サブ:ヨアン・ジュル
彼がアーセナルで11年間を生き延びたということはとても印象的な事実だ。
サブ:カール・ジェンキンソン
ジェンキンソンは間違いなくアーセナルのカルトヒーローだ。ただ、このクラブで要求される水準に達した実力だけがなかった。
サブ:エマニュエル・フリンポング
アーセナルで16試合出場したフリンポング。全く成績は残さず、そのまま退団していった。
サブ:ヘンリフ・ムヒタリャン
ひどかったとは言わないが、アレクシス・サンチェスの後継者と考えると…。
サブ:パク・チュヨン
チャンスが与えられなかったことは事実だが、出場した6試合でも特に良くはなかった。