「体験の時代」に求められる事業の再定義 -CES2020レポート4

今回のCESでは、多くの主要プレーヤーが「体験の時代」を意識していた事は間違いないだろう。(参照:サムスン「テクノロジーは手段であり、人の体験が重要な時代へ」 -CES2020レポート3

改めて語るまでもなく、特にOMO社会が先行している中国では、BATはじめ中国版デジタルジャイアント達が実践してきた考え方でもある。

「体験の時代」とは、言い換えれば真に生活者中心の時代と言えるのではないだろうか。

すなわち、プロダクトアウトでテクノロジーによって生み出される機能や理想の社会を語る世界から、生活者一人一人(文字通り、マスとしての生活者ではなく個人として認識される一人一人)の体験をどのようにより便利に、より快適に向上していくかを出発点に語られる世界に変わったという事である。

CES2020の大きな方向性を概論したCTAのTrends to watchでも、IoTを再解釈した概念として「Intelligence of Things」が示された。モノが知性をもつ事によって、ユーザーである人やその時の状況を理解し、通り一遍ではないパーソナライズされた体験が提供できるようになる、という事と解釈している。つまりコネクテッドされた先の、しっかり体験価値にまで落ちている世界である。

これまでの10年はInternet of Thingsだったが、これからはIntelligence of Thingsだという

この「体験の時代」が本格的に到来するという事の意味は、とりわけ生活者向けサービスを提供するすべての業界にとって、自らの事業定義を生活者体験中心のコトバで再定義する必要に迫られている、という事ではないだろうか。

まず、プレスカンファレンスで講演を行ったP&Gの主張である。

彼らは「テクノロジーとヒューマニティをどう融合させるか」という事を宣言し、講演内でも再三にわたって「Consumer Experience」というワードが飛び出していた。

まさに、無機質でむきだしなテクノロジーという代物を、ヒューマニティ=人間性をもったサービスにブレイクダウンしていく事が、彼らが目指す生活者体験の創出につながると考えているのである。彼らの徹底した生活者目線のマーケティング力を、テクノロジーの活用にも存分に発揮しようとする宣言だった。

この中で紹介されたのが、スマート赤ちゃんケアのLumi by Pampersだ。

赤ちゃん用おむつに取り付けるセンサーとモニタリングカメラのセットで、おむつを替えるタイミングや日々の睡眠状態などを可視化する事で、お母さんは赤ちゃんのルーティーンを把握する事ができるとの事だ。これは、CES期間中に開設されたP&G LIFELABのサイトで販売が開始されている。

Lumi by Pampers:おむつに直接取り付けるセンサーでおむつ交換のタイミングや赤ちゃんの動きなどをセンシングする

実際、この手のソリューションはスタートアップによってこれまで散々提案されてきたものではある。

当然、多くのスタートアップが既にチャレンジしているのだから、大手企業がこうしたソリューションを思いつかなかったはずがない。しかし、実際にはこうした簡単なIoTソリューションでさえ、大手企業からは市場投入まで至っていなかったのが現実だ。

このイノベーションのジレンマを打ち破り、P&Gによって市場投入ができた理由の一つは、彼らが生活者の体験を主眼においたフィロソフィーを実践できているからでないか。

彼らの社内に流れる「Consumer is boss」の精神をきちんと体現し、「より良いおむつを作る」のではなく「赤ちゃんと母親のより良い体験を創る」ことに事業を定義できていたから成し得たのではないだろうか。

もう一つが、デルタ航空の基調講演である。

CES2020のオープニングを飾る初日朝の基調講演であり、これまで数々のテック企業が担ってきた役割である。それを、今回はデルタ航空が担っていた。(この重要な貴重講演を、テクノロジーのサプライヤーではなくテクノロジーを活用して生活者体験を創る側の企業が担った意義も大きいと感じる)

デルタ航空は昨年のCESにおいてIBMの基調講演に登壇し、IBM Watsonを活用した飛行機運航の効率改善について話していた。今年は自らが主役となり、あらゆるテクノロジーを駆使してユーザーのフライト体験を向上する取り組みについて紹介していた。

CES2020の開幕を飾る基調講演に登壇したデルタ航空CEOのエド・バスティアン氏

注目すべきはミスアプライドサイエンスというスタートアップの技術を活用した「パラレルリアリティ」と呼ばれるディスプレイだ。

一つの共通のディスプレイに、見る人によって異なる情報を表示する事ができる技術で、最大100人まで個別の情報を表示する事ができるという。天井に取り付けたカメラでユーザーを一人一人トラッキングし、その人が立つ方向にだけ、その人に最適化された情報を見せられるディスプレイである。

筆者も体験し、同時に他に3人(いずれも外国人)と一緒に体験したが、私から見たディスプレイには日本語で「Yuki様 ようこそ!成田行きの便はこちらです」という案内が表示された。

4人の体験者が一つの共通のディスプレイを眺めている状態。ここでは、それぞれの体験者の前に置かれた国を表すモニュメント通りの国名がそれぞれ表示されている。例えば、一番手前の体験者の目にはメキシコが、その一つ奥は盆栽のモニュメントだが、彼の目には日本が見えていることになる。
これが種明かし。視点の異なる鏡越しで見ると、それぞれの視点で別の画像が見えていた事がわかる。
別のモニターには、事前に筆者が選択した行先である東京と筆者の名前が表示されていた。しかし、他の体験者の目には異なった行先や名前が表示されているのである。特定の立ち位置を指定されるわけではなく、移動しながらどこから見ても、筆者用にカスタムされた画面が表示される。

もう一つは、空港における手続きや待ち時間の体験向上のため、荷物を自宅でピックアップして目的地のホテルまで届けてくれるサービスや、Lyftとの提携による空港外での移動についてのMaaS的統合などの発表がなされた。そして、このようなフライトの前後も含めた一連の行動をアシストしてくれるFly Deltaというアプリが紹介された。

デルタ航空はもちろん航空会社である。つまり、当然航空便の運航を担う会社であるわけだが、フライト中の体験だけでなく、その前後にある空港、更にその前後にある移動、ひいては自宅での体験においてもサービスの芽を伸ばしている。P&Gの事例同様、デルタ航空が「生活者が辿る体験」をしっかりとらえている証左に他ならない。

基調講演においてもエド・バスティアンCEOから「フライトは人と人をつなげること。」という話があった。自社のコアコンピタンスを、生活者体験におけるフライトの意味にまで咀嚼しているからこそ、フライトサービスの提供のみに留まらない、フライトの前後も含む移動体験全体の向上を事業にする事ができているのではないだろうか。

デジタルディスラプションによって産業の垣根はどんどん融解しつつある。

既存の自社事業を自らの足かせにしないために、「我々は何者か?」をユーザーの立場にたって見つめ直し、提供しうる生活者体験から事業を定義し直すことが求められている。

しかし、こうした生活者体験を中心においた事業の定義や言語化は、実は多くの企業で既に経営理念やビジョンとして語られている場合が多い。にもかかわらず、ほとんどの企業(とりわけ大企業)では、自社のこうしたすばらしい経営理念やビジョンは忘れ去られ、既存のサービスラインを活用していかに事業を強くするかという狭い視野に固定化されてしまっているのではないだろうか。それでは、本当に生活者が潜在的に求めている事、生活者の体験のために提案すべき事は何かという問いを立てる事ができず、遠くに飛躍することはできない。

生活者と向き合うあらゆる産業は、自らの提供価値を通じて生活者にどんな体験をもたらす事ができるかを深く問い詰め、今一度「我々は何者か?」を問い直す時代にきている。

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