阿木燿子の歌詞を深読み!山口百恵「さよならの向う側」に隠されたメッセージ 1980年 8月21日 山口百恵の引退シングル「さよならの向う側」がリリースされた日

ファイナルコンサートのラストを飾った「さよならの向う側」

百恵はファンにゆっくりと一礼した後、膝をつき、マイクをステージ中央に置き、そうして立ち上がるとそのまま静かに舞台裏へと去っていった。

これは、1980年10月5日… 日本武道館で開催された『山口百恵ファイナルコンサート』の最後の一幕だ。このときの真っ白なドレスと美しいステージングはあまりにも有名で、一連の所作を含めた伝説は今も多くの人によって語り継がれている。それ故、この演出だけが独り歩きしてしまい、このとき何を歌っていたのかさっぱり思い出せないという人も多いことだろう。

ステージのラストを飾るべく最後に歌った曲とは「さよならの向う側」(1980年8月リリース)である。それは、百恵が歌手として一番に信頼を置いている阿木燿子(作詞)と、宇崎竜童(作曲)によるスローバラードであった。

さて、「さよならの向う側」で阿木が紡ぎ出した言葉の数々は、山口百恵からファンに向けたメッセージだと語られることが多い。これに対し異論はない。この曲は、多くのファンが納得する素晴らしいメッセージソングに間違いないと思う。

けれど、本当にそれだけだろうか… と、僕の深読みアンテナが反応してしまった。キャンディーズのラストソング「微笑み返し」で阿木は、大ヒットシングルの曲名を歌詞に散りばめるという離れ業をやってのけた人である。通りいっぺんの解釈とは別に、何か深い意味が隠されていてもおかしくないだろう。

それでは「さよならの向う側」の歌詞深読みを始めてみよう。

山口百恵が抱えていた孤独と谷川俊太郎の一篇の詩

 何億光年 輝く星にも寿命があると
 教えてくれたのは あなたでした
 季節ごとに咲く一輪の花に無限の命
 知らせてくれたのも あなたでした

輝く星とはスター… つまり山口百恵を表していて、寿命=引退という、いつか終わりがやってくることの表現。また、季節ごとに繰り返し咲く花とは、引退、そして結婚するという、新しい人生への希望だと解釈できる。ただそれだけじゃないもっと深い意味があるはずだろう?

… というのが、今回の僕の見立てである。輝く星=スターという図式で表すのならば、何億光年という距離を示す歌詞は必要ないはずなのだ。

夜空に瞬く星たちは一見近くに見えるけれど、地球からは果てしなく遠いところに位置している。阿木は、そこに山口百恵… 総じてアイドルとして活躍するすべての存在と、一般社会の乖離を当てはめたのではなかろうか。

芸能記者に付きまとわれてプライベートが確保できない毎日。きらびやかな世界だけれど、昼も夜も関係ない芸能生活は精神を疲弊させる。それはテレビを挿んだ一般社会と比べれば、間違いなく異質な世界であろう。同世代の女の子に比べ、百恵は孤独だったに違いない。憂いのある表情が絶品だったのも、裏を返せばそういうことなのだと思う。

谷川俊太郎の処女詩集『二十億光年の孤独』の中にある同名作品に、

 万有引力とは、ひき合う孤独の力である

という一節がある。要約すると、人は求め合うことで、不安や弱さを補っている… という詩なのだけど、この谷川俊太郎の詩を文学部だった阿木はきっと知っていた。そして、この詩の意味するところが百恵の抱えていた孤独とリンクすることに気が付いたのだ。そこから何億光年という言葉を紡ぎだしたのだろう。

「無限の命」という言葉が持つ裏テーマは?

季節ごとに咲く一輪の花とは、『スター誕生!』からデビューする新人アイドルたちのことである。

百恵が芸能界デビューするきっかけとなった『スター誕生!』は、毎週放送される予選会を勝ち抜いた合格者が、1クール毎(季節ごと)に行われる決戦大会で、事務所やレコード会社に選ばれるオーディション番組だった。だからこそ “毎年” ではなく “季節ごと” の歌詞が当てはめられているのだ。そして、デビューしたアイドルに対して多くのファンたちが生まれゆく様子を無限の命と喩えたのだろう。

そう、ファンは引退してもずっとファンでいてくれる無限の命だと阿木は百恵に伝えたかったのだ。稀代の作詞家である… それくらい裏テーマ的な意味を盛り込んでいてもおかしくないはずだ。

阿木は、このたった4行の中に、百恵の歌手生活を振り返るとともに芸能界の荒波に揉まれ足掻いているアイドルたちの “愛と哀” を、百恵からファンへのメッセージというカモフラージュに潜ませ世に送り出したのだ。まさに天才の仕事である。

山口百恵が自らアプローチした作家、阿木燿子と宇崎竜童

日本テレビの音楽番組『スター誕生!』を勝ち抜き芸能界デビューするも、『スター誕生!』の審査員長だった阿久悠からは「歌はあきらめたほうがいいかもしれない」と評され、百恵はさぞかし思い悩んだことだろう。

花の中三トリオとして活躍が期待されたけれども、デビュー曲「としごろ」のセールスが思ったほど伸びなかったのだ。慌てた事務所は、少女の際どい性を歌詞に盛り込んだ「青い果実」へ路線変更をした。

これは想像だけれども、百恵本人は本意でなかったかもしれない。事務所の方針に逆らうことなど14~15歳の少女ができるわけがないからだ。どう考えても恥ずかしかったはずだ。けれども純朴な少女が歌う “青い性” は「ひと夏の経験」により大ヒットを記録する。世間一般が抱いたこの独特な背徳感が百恵をスターに押し上げたのは紛れもない事実である。

その後、映画やテレビドラマに出演、女優として活躍する一方で、百恵は阿木、宇崎夫妻に作ってもらった「横須賀ストーリー」を大ヒットさせた。この作家陣の変更は事務所スタッフではなく百恵自身からのアプローチだという。

この時から歌手生活後半に至るおよそ4年間、百恵は自分の人生を二人に預けたと言っても過言ではないだろう。二人が作る百恵の曲は次々とヒットを記録し、そのことからも確かで強固な関係が築かれていたのは言うまでもない。

エンディングで三回繰り返される「さよならのかわりに」の意味

その流れで考えると、百恵は阿木に引退の相談をしたはずだ。それは、絶大な信頼を寄せる宇崎夫妻に最後の曲を作ってもらいたい希望もあっただろうけど、頼れる大人として阿木を選び、そして内情を打ち明けたに違いない。

引退への決意やそれに至るまでの過程を切々と語る百恵… そんな百恵の思いに阿木は見事に応えてみせる。だからこそ「Last song for you」(あなたのための最後の歌)という歌詞を並べたのだろう。

これは、百恵からファンへの歌であり、阿木から百恵に贈られたメッセージという二つの意味を示している。つまり歌詞中の「約束をしないお別れ」とは、阿木から百恵への “透明な契り” であり、綴られた歌詞のすべてが「さよならのかわり」なのである。

タイトルである「さよならの向う側」とは、ファンに向けた「さよなら」の向う側に潜ませた、阿木から百恵へ贈る感謝と門出のメッセージでもあったのだ。

歌詞の最後、三回「さよならのかわりに」が綴られている。それは、阿木から百恵へ、百恵からファンへ、そして百恵から阿木へのアツい想いだと紐解いたところが、今回の深読みの到達点である。

カタリベ: ミチュルル©︎

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