家の掃除に余念がない妻。けれど夫の書斎だけは、決して、掃除機をかけようとしない。
ビラ配り屋が差し出したビラを、決して、拒まないと決めた女性。でも明らかに両手がふさがっているときはどうしたらいいのか。彼女は右手でも左手でもない「手」を思いつく。
部下を招いて食事会を催すのが好きな夫。彼の言いつけで、毎度有り余るほどの料理を用意する妻は、翌日、有り余ってしまった食材を使って、夫への復讐を図る。
本書は、日常のすき間に潜む小さなコダワリと小さな抵抗—レジスタンス—を描いた短編集だ。見開きを2回もめくれば終わってしまう物語の数々。たたみかけるようなリズムで繰り出されるそれらの物語に、読む側は「あるある!」とうなりまくる。どれを読んでも身に覚えがないなんていう読者が、いったいどこにいるだろうか。人と接して生きている限り、そして人と人が別の生き物である限り、どちらかがどちらかに何かをゆずりながら生きているし、それと同じくらい、ゆずることを拒みながら生きている。ゆずるか、拒むか。世界はその二色に塗りつぶされている。
そうやって考えると、日常のいたるところに、「戦い」の種は潜んでいる。とるにたらない、とりとめもない、小さな小さな戦いだけれど、これをゆずってしまったら、自分を自分たらしめてきたものどもが崩れ去ってしまうような。決してエスカレーターには乗らない男性。口を開けば愚痴ばかりの友人たちに辟易しているけれど、決してそれを表には出さない女性。ほら、町に出ればそこらじゅうでぶつかる人たちだ。町には「決して」があふれかえっている。
面白いのは、これらの物語を読み終えるとき、心に残っているのがイライラでもトゲトゲでもなく、爽快感であることだ。こんなに小さなことにイライラしている自分を、内に押し込めながら人は生きている。これらのイライラはあまりにも小さすぎて、ストレス発散に出かけるほどのものでもないから。でも、知らないうちに、だいぶ溜まっているのである。電車の中、頑なにドア口から動こうとしない乗客の背中をにらみながら。そのイライラを、この本は肯定してくれる。あなたの心が狭いんじゃないよ。実はみんな、抱いているんだよ。それを、表に出さないだけ。
今日も私たちは、ゆずるか拒むかの一日を始める。ゆずった方が、楽ではある。けれど「拒む」を選んだ者にもまた、幸多かれと願うのだ。
(筑摩書房 1600円+税)=小川志津子