既視感を感じます【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線 その13

東日本大震災という厄災の巨大さは、沿線に広がる奇妙な更地からも痛いほど分かります。旧山田線を進行する間、この光景を堪えて撮影します。17.5パーミルの勾配を上ってゆきます。

山に向かって少し勾配を登ってきました。枕木は半分PC枕木です。右手の家辺りから津波を被っていない様子です。

大槌トンネル(842m)。

トンネルを出ると大槌地区。この地名は東日本大震災のニュースなどで散々耳にしてきました。残念ながら津波の被害が大きかった地区が続きます。航空写真で見ても新築の家しかないことに愕然とします。

小槌川を渡ります。この川の上流も新築の家だらけ。小学校がまるごとなくなっていました。

新しい路盤、新しい線路、PC枕木。右側は更地・・・・。典型的な被災地、復旧路線です。

既視感を感じます。鵜住居駅とソックリの大槌駅。被災前は相対式ホーム2面2線で跨線橋がありました。

側線があります。

島式ホームの左奥に新しい駅舎があります。

駅名標。1938年(昭和13年)鉄道省山田線の駅として開業したのは鵜住居と同じです。当時は終着駅。翌1939年(昭和14年)釜石駅まで延伸開業。JR東日本の駅になって、2011年の東日本大震災で駅舎・構内が流失。2019年3月三陸鉄道に移管されて再開。

震災直後の惨状が記憶に残っています。200人乗り100トンを越える新しい観光船が津波で内陸に150m入った民宿の2階の屋根に乗っている映像にも驚きました。19mの津波で4,000棟を越える家屋が倒壊しました。(いわて震災津波アーカイブ希望のデータ)

大槌町の人的被害は、死者1,233人、関連死を合わせると1,286人と膨大です。震災の前年、2010年(平成22年)の町の人口が15,277人でしたから住んでいる人の8.4%が亡くなってしまったのです。悲劇は、津波から逃げようとしていた町役場の方々が町長以下課長クラス全員が津波にのみ込まれてしまった為に地震後に行政機能が完全に麻痺してしまったことでした。岩手県の中心である盛岡からはクルマで数時間かかることもあって被害が外部に伝わらず孤立状態に陥りました。

改めて新しい旧山田線(現リアス線)を通ると、ほとんど残っていなかった路盤が作り直され新しいレールが敷かれていることに深く感動します。JR東日本さんいい仕事してます。

個人的には、大船渡線気仙沼〜盛間も復興して欲しかった。

【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その14 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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