四半世紀、検証の時

 広い公園の周りにマンションや店舗ビルが整然と立ち並んでいる。「建物はほぼ全て、あの後に建て直したんです」と公園の脇で説明を聞いて、言葉を失う▲ひと月ほど前、メディアの勉強会で神戸市長田区を訪ねた。阪神大震災の被害が著しかった所で、建物は倒壊し、火が燃え広がった。JR新長田駅の北側、新長田北エリアの42ヘクタール余りは、その後の土地区画整理で町が一変している▲22年間、まちづくり協議会の会長を務めた野村勝さん(81)から説明を受けた。震災から2カ月後に都市計画が決まったが、住民は避難先で突然それを聞かされ、「ごっつ(とても)怒った」▲渋々ながらも合意形成の役目を引き受けた野村さんは、被災者が入るマンションを建てるため、こちらも被災者である住民に立ち退いてもらうよう頭を下げ続けた。初めは反対一色だったが「50年後、100年後に、ええ町をつくってくれたなあ、と言われるのを夢見て」、踏ん張ったらしい▲「検証」の時だと野村さんは言う。確かに一方的でもあった復興の道筋はあれでよかったか。大災害のたび「想定外」と行政は繰り返すが、阪神大震災の教訓は生きているのか。国民も今なお、災害を人ごとと思っていないか▲四半世紀の道のりを振り返り、この先も考えるべき「1.17」が巡り来る。(徹)

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