消えた天才の今。飛び級で代表入りし、日韓W杯に出場するはずだった幻の選手

過去TBS系列のテレビ番組『消えた天才』に出演された小松原学。中学生でU-17、高校生でU-18,19と、世代別日本代表にも毎年のように飛び級で選出され、中田浩二や中澤佑二選手らにも「天才」と言わしめた小松原学は、なぜ開花しきれなかったのでしょうか?本記事ではその生い立ちと現在に迫ります。

小松原学のプロフィール

名前:小松原学(コマツバラ マナブ)

生年月日:1981年4月2日

出身地:群馬県 

身長:182cm

ポジション:FW

利き足:右

現役時代

小学生のころから頭角をあらわしていた小松原学選手は、地元群馬のサッカークラブにて全日本少年サッカー大会で活躍。その後は中学生ながらU-17日本代表に飛び級で選出されるなど、世間的にも「天才」と評判を得ます。

さらに高校生になると稲本、小野、遠藤、小笠原、中田、高原ら「黄金世代」と呼ばれる選手がひしめくU-18日本代表にまたも飛び級で選出。さらにベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)にて、17歳の時に当時Jリーグ最年少出場記録を樹立。チームメイトだった中田英寿ら一流選手にも負けず劣らずの活躍を見せ、高校2年生の時には25試合で5ゴールをあげる活躍を果たします。

自惚れと怪我により早すぎる現役引退へ…

しかし、その活躍でメディアに注目されて以降、才能に自惚れてしまったことから態度や素行の悪さが目立ち始め、徐々に調子を落とします。実際に小松原選手自身も当時を振り返って…

「自分を最高の選手だと思っていて、ムカつく相手にラフプレーを仕掛けるのは日常でした」と述べています。

そしてその後は右足と左足を交互に怪我してしまったことを発端に、徐々に試合にも出られなくなります。最終的には2001年に湘南ベルマーレから解雇を言い渡され、ヴァンフォーレ甲府、2004年からはJFLのFCホリコシなどでプレーするも、24歳の若さで現役を引退しています。

小松原学は整体師として独立

24歳の若さで現役を引退した小松原選手は、その後柔道整復師、鍼灸あん摩マッサージ師の資格を取得します。

整体師として大成し、ケツメイシなど有名アーティストに同行するほどの人気整体師として名を馳せます。2012年にはPass鍼灸整骨院を開院し、見事独立を果たします。現在の年収はJリーガーだった頃を超えたとも仰っていることから、充実した日々を送っていることが予想できます。

出典: https://smart-flash.jp/sports/40071

引退後の小松原学とサッカー

サッカー界では引退後Jeoサッカークリニックを立ち上げ、若者の育成に貢献されています。また、2014年には特定非営利活動法人Rafagaフットボールクラブを立ち上げ。整体師の方で稼いだお金を回しながら運営を続けており、専用グラウンドやクラブハウスも作るなど、育成に対する熱い思いが伺えます。

他にもプレミアリーグU-11群馬の立ち上げ運営に尽力するなど、整体師と若者のサッカー育成という二足のわらじで活躍されているのです。

また、実は自身も選手として2016年に東北社会人サッカーチームのブランデュー引前でプレー。1シーズンのみ現役復帰を果たしています。

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