キティ・ジェノベーゼ事件【大勢見ているのに誰も助けない傍観者効果】

キティ・ジェノベーゼの死から生まれた悲しい事実

※Kitty Genovese

キティ・ジェノベーゼ(ジェノヴィーズとも)という一人の女性が暴漢に襲われ長時間乱暴されたあげくに殺害された。

アメリカ、ニューヨーク州クイーンズ郡キュー・ガーデン地区で1964年に起きた事件である。

当時27歳だった彼女は、事件当日、深夜まで働いており、住宅街の一角にある駐車場に車を止め、さぁ家に急ごうという時に暴漢に襲われた。周囲は住宅街であり、彼女の家のアパートまでわずか30mという距離だった。

逃げる彼女を執拗に追いかけ、背中をナイフで数回刺された。深夜の住宅街で彼女の悲鳴が響き渡った。

何度も助けを求め、何時間も暴行された

周囲は住宅街であり、彼女は深夜であっても叫べば誰かが助けてくれると必死に声をあげて叫んだ。いくつものアパートの明かりが店頭した。窓をあけ身を乗り出し声を出した男性もいた。

その結果、怖気ついた暴漢は一旦逃げる。重症を負いながらも生きていた彼女は、必死にアパートの入り口までたどり着く。しかしそこで、戻ってきた暴漢に再び襲われた。

「Help me!」何度も助けを求める彼女に、次々と窓の明かりが灯る。窓から覗いていた夫婦はこんな会話をした。

「なにやら大変そうだ。事件かな?」「もう誰かが通報しているわよ。あまり関わらないほうがいいわ」

そうして、事件発生から45分後、ようやく一人の人間が通報し、3分後にパトカーが到着。全身を17箇所も刺され、衣服をずたずたに切り裂かれ、犯され、財布からお金を盗まれたキティ・ジェノベーゼは4時15分に到着した救急車の中で息を引き取った。

ニューヨーク・タイムス紙に記された「38人の目撃者」

※参考 ニューヨーク・タイムズアーカイブ

2週間後のニューヨーク・タイムス紙に記されたこの記事は世間を震撼させた。

約1時間にも渡る暴行を受けた末死亡したキティ・ジェノベーゼのことを「見ていた」と申告したのは38人にも上ったのだ。

しかし、その中で通報したのはたった一人。それも、事件から45分も経った後だった。さらに通報した男性は、通報するより前に友人に電話をかけ「どうしたらいい?」と相談していた。

この事件は、住宅街で起きたこと、静かな深夜に大声が響き渡ったことから何人もの住民が明かりをつけ、その事件を目撃していたのだ。

ビブ・ラタネとジョン・ダーリーによる「傍観者効果」

後に二人の心理学者Bibb LataneJohn Darleyの二人はこの事件をもとにある研究を行った。

それは「多くの人がいたからこそ、誰も行動を起こせなかったのではないか」という仮説のもとの実験である。

学生を2・3・6名のグループにわける。そして、一人一人が電話ボックスのような個室にはいり、マイクとインターフォンを渡され壁越しに相手と あるお題に対して議論を行ってもらう(その際、学生たちにはその議論が主題と説明している)。その後、実験協力者の一人が突然持病の発作を起こしたふりをする。

激しい過呼吸のような呼吸音や椅子の倒れる音を聞いて、他の人物が何秒後(何分後)に助けるような動作を行うかの時間を計るのが彼らの真の目的である。

結果は「発作を起こした者ともう一人」のパターンだと、大体の場合が発作を起こしてすぐにもう一人が助けに行き、援助行為の確率は100パーセント近く。つまりほとんどの人がすぐ、もしくは少し時間がかかっても助けに行った。しかしそれが「発作を起こした者・もう一人・さらにもう一人」の3人の場合だと2人の場より時間がかかった。

さらにこれが6人(発作を起こした1名・それ以外の者5名)の場合だと援助に走るまでの時間はさらに長くなり、40%もの人間が、死ぬかもしれない発作を起こしている人物が近くにいるにも関わらず、何の援助行動も起こさなかった。

実験から導き出された結論と「責任の分散」

当初、キティ・ジェノベーゼの事件が起こった時に「都会の人はなんて冷たいのだ!!」と非難が飛んだ。

しかし、ラタネとダーリーによる実験の結果、「多数の目撃者がいたからこそ、誰かが助けるだろうという気持ちが働き、結果的に誰も助けなかった」という結論が導き出された。

そしてそれは、人々に衝撃と深い悲しみをもたらした。キティという一人の若い女性は、こうして多数の目撃者の目の前で亡くなったのだ。

これを二人は「責任の分散」と呼び、これらは後に他の様々な心理学者が似たような実験を行ったが、ほぼ同じ結果になっている。

教訓にすべき事象

キティの悲しい死と彼ら二人による実験の結果から私たちが学べることは、「困っている人がいたら助けよう」ではない。もちろんその気持ちも大切だが、実際、38人の目撃者の誰も彼女を見殺しにするつもりはなかった。

彼ら、もしくは彼女らに特別なことなど何もなく、ニューヨークに生きる一般の人間である。それなりに正義感もあり、またそれなりに逃げることもあるだろう。もし自分たちの身に同じような事件が起きた時、自分は必ず助けようと思う志は立派だが、常にそう思い実際に行動に起こせる人の方が稀であろう。

私たちができる簡単なことは、もし自らが事件や事故の当事者となった時、「助けて」ではなく「そこのメガネの人」「そこのネクタイの人」「ベビーカーを押しているおかあさん」などと名指しするとよい。

もちろんそんな事件が起きないことが1番であるが、事故や病気もいれると、当事者になる可能性はそれなりにあるはずだ。38人の傍観者は、助ける気持ちがなかった訳ではないことを逆手にとり、我々は他者を助ける気持ちを持ちながらも自らの身を守ることも大切である。

このような悲しい事件が二度と起きないことを願うばかりである。

(文/kokoru)(画像出典:wiki(C),public domain)

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