温かな救いの言葉

 初任校の小佐々中で、生徒がうれしそうに話していたのを思い出し、詠んだという。〈望(もち)の日は漁師の父が家にゐて家族四人で夕餉(ゆうげ)を囲む〉。「望の日」とは満月の日のことで、集魚灯に魚が集まらず、漁ができない。家族がそろう夕食のひとときを、生徒は心待ちにしていたらしい▲新春恒例の「歌会始の儀」が先ごろ開かれ、一般入選者の佐世保市立祇園中教員、柴山与志朗(よしろう)さん(60)=北松佐々町=のこの一首も朗詠された。三十数年前だろう、遠い昔から「きょうはお父さんがおるけん…」といった生徒の弾んだ声が聞こえるようでもある。食卓を囲む一家のにぎやかな声が響くようでもある▲入選が決まった昨年末、柴山さんは本紙でこう語った。公私ともに悩みを抱えていた40代の頃、「短歌と歌会に救われた」と▲苦しい時はその心情を吐き出すような、ひりひりした歌になる。歌友から励まされ、自分にも歌にも、少しずつ余裕と変化が生まれたという▲人は時に、誰かの言葉に救われる。「望の日」の食卓の一首も、苦境の中で救いを得た人が詠んだと思えば、温かさの増すようでもある▲いま家庭では、同級生とは、どんな会話が交わされているだろう。大学入試センター試験が終わった。ひと安心の声と、ねぎらいと、励ましと。温かな言葉が広がるといい。(徹)

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