消えた天才の今。たった15分間のプレーで6万人の観客を沸かせた悲運の天才

多くの事故や怪我に見舞われた羽中田昌。本記事では第61回高校サッカー選手権でわずか15分のプレー時間ながら、約6万人の観衆を集めた伝説的なエピソードを始め、Jリーグの監督や解説者としての魅力にも迫ります。

羽中田昌のプロフィール

出典: https://shun-tame.com/sports/745/

名前:羽中田昌(ハチュウダ マサシ)

生年月日:1964年7月19日

出身地:山梨県 身長:167cm

ポジション:FW 利き足:右足

1980年~、名門・山梨県立韮崎高校でプレー

羽中田昌は幼少期から切れ味の鋭いドリブルを武器に注目され、小学,中学時代には全国大会に出場。その活躍もあり、高校は地元の名門校・韮崎高校のサッカー部に入部。自身の努力と才能により、1年生の時から見事レギュラーとして定着します。

1年生のときに出場した全国高校サッカー選手権大会ではベスト4。2年生のときに出場した際は自校の準優勝に貢献し、羽中田昌は優秀選手にも選ばれました。その後は日本高校選抜にも選出され、自身の成長が期待できるヨーロッパ遠征が決まります。しかしその直後に悲劇が起こるのです。

病によりキャリアの中断…しかし諦めずに伝説を作る

1982年の3月、遠征に行く直前羽中田は腎臓病を患います。それにより医者からは3か月の入院生活、選手としてプレー禁止を言い渡され、キャリア中断を余儀なくされます。

しかし必死のリハビリに励んだ羽中田は、自身最後の高校サッカー選手権大会に「15分限定」で出場されることを許可され、準決勝の清水東戦に交代出場。その試合では羽中田が出場するという話を聞きつけたファンが何と約6万人集まり、得意のドリブルなどで大観衆を沸かせました。

ちなみにこの伝説的な試合は漫画家の堀内夏子氏に感銘を与え、自身の作品『オフサイド』の主人公・熊谷五郎のモデルとしたとも語っている。

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バイク事故…そしてサッカー選手人生に終止符…

高校サッカーが終わり、多くのクラブからの誘いを断って大学進学を決めた羽中田は浪人。しかし、その浪人生活中にバイク事故に遭ってしまい、脊髄損傷という深刻な怪我を負ってしまいます。最終的にはその怪我が要因で下半身不随となり、サッカー選手としてのキャリアに終止符を打ちました。

1986年からは山梨県庁にて働きますが、1993年のJリーグ開幕を見ていた羽中田はサッカーの仕事を諦めきれず、山梨県庁を辞職。指導者への道を志し、1995年には勉強のためバルセロナへと渡ります。帰国後は2000年から解説者の仕事などを務め始め、BS朝日のサッカー番組『SOCCER2002』の司会も行っています。

羽中田昌、監督としての人生

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羽中田昌は2006年に身体障害者としては日本で初めて日本サッカー協会・S級ライセンスを取得。Jリーグなどプロクラブでの指導を行えるようになります。

そして2008年には現在J2に属する『カマタマーレ讃岐』の監督に就任し、1シーズン指揮を執りました。監督キャリアとしては、その後の2012年に関西サッカーリーグ1部に所属する『奈良クラブ』、2015年には関東サッカーリーグ1部に所属する『東京23フットボールクラブ』、2018年にはブリオベッカ浦安にて指揮を執ります。しかし、いずれも成績不振で解任されています。

現在は解説者を中心に活動し、「スカパー!」にてヨーロッパリーグの中継解説を務めるなどのお仕事をされているようです。

切っても切り離せない「奥さんの支え」

羽中田昌の人生を語るうえで鍵となるのが、今の奥さんである「まゆみさん」の存在です。

高校時代から羽中田昌の熱烈なアプローチにより交際を始めたまゆみさんは、病気や事故などを全て見てきている人物。その都度訪れた別れの危機などを乗り越えて支え続けてきたとのことですから、羽中田氏にとってはなくてはならない存在だったことは間違いありません。

今後のサッカー人生においても、素敵な奥様の存在は必要不可欠になるでしょう。

夢からはじまる~羽中田昌物語~(1/2)

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