「それぞれの五輪」福原愛さんに聞く【インタビュー全文掲載】

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 夏に迫った東京五輪。かつて大舞台を彩ってきた人たちも期待に胸を躍らせている。それぞれの「五輪」を大いに語ってもらった(2020年1月に河北新報紙面とオンラインニュースに公開したインタビューの全文を掲載します)。

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[福原 愛(ふくはら・あい)]3歳で卓球を始め「天才少女」として全国的な人気を集める。2004年アテネ五輪に日本卓球史上最年少15歳で出場すると、16年リオデジャネイロまで4大会連続代表入り。16年に結婚し、2児の母となる。18年に現役引退。仙台市出身。

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 彼女の笑顔に、そして涙に、多くの国民が魅了されてきた。「愛ちゃん」の呼び名で親しまれ、卓球女子で五輪2大会団体メダリストになった福原愛さん(31)は五輪に出る喜びもメダルの重圧も知っている。一線を退き、今は日本代表チームを温かく見守る。 (聞き手はスポーツ部・剣持雄治)

 ―東京五輪イヤーが明けました。

 「自国開催の大会が目の前で見られると思うと…。想像がつきませんね。毎日がお祭り? みたいな気分なのかな。日本選手の重圧は相当だと思います。プラスにできる選手もいれば、重圧を背負ってしまう選手もいるでしょう」

 ―五輪に4大会連続で出場しました。

 「今でも夢だったんじゃないかと思えます。メダルを見ると、ようやく実感できるんです。『あ、本当だったんだ』と。ガラスの靴を持ったシンデレラのように。他の人ができないことを経験し、自分の人生を豊かにしてくれるのが五輪でした」

 ―2大会でメダル。色も違いますが、思い出もまた違いますか。

 「2012年ロンドンの銀メダルはうれしい、ハッピーの塊でした。これまで卓球界でメダルを取ったことがなく、夢がかなった達成感で満ちていた。一方で16年リオデジャネイロで獲得した銅は苦しさが詰まった、もぎ取ったメダル。プレッシャーがすごく、メダルを取れなかったら日本に帰れるだろうかと考えていました」

 ―リオ大会での苦しさは観客席にも伝わってきました。

 「重圧はありましたが、ここまで練習したから大丈夫という自信もあったんです。08年の北京までは負けた悔しさが心の中に残り、ロンドンの経験を踏まえ、リオは大丈夫だと。シングルスの3位決定戦で負けて、団体も準決勝で敗れて…。短期間で焦り、メダルを取れなかったらどうしようという気持ちになりました。期待に応えられなかったらと思うと、苦しかったですね」

 ―大会後は東日本大震災の被災地に足を運びました。

 「ロンドン大会の時、メダルを取って来ると約束しました。人生初めての有言実行。それまでは『メダルを取ってきます』と言わないようにしていました。期待させて私が取れなかったらみんなを失望させてしまうだけだから。でも、震災があって、仙台の子どもたちと約束したんです。表彰台で首にかけてもらった時より、仙台の子どもたちにかけてあげた時の方が比べものにならないほどうれしかったです。メダルが100倍くらいの大きさなら、ケーキのように一人一人に切り分けてあげたかった」

 ―現役引退から1年余り。ラケットを置いて初めて迎える五輪が東京大会です。

 「今まで応援してくれた人がどれだけ大変な思いをして駆け付けてくれたのか、選手とは違う立場になって感じます。結婚して、妻になり、母になるからこそ分かることがあるのと同じですね。言葉が通じない国で、チケットやホテルを手配して、会場まで移動するって大変なことです。選手として勝つことしか考えていなかったので、観客の皆さんの大変さを知った時、申し訳ない気持ちになりましたね」

 「ある大会で、試合モードに入っていたのでファンのサインを断ってしまったことがありました。その人にとっては私が試合に勝つよりもサインをもらえる方がよかったのかも。今になり、勝つよりサインを優先すればよかったと後悔しています」

 ―周囲の心配をしてしまうあたりが、福原さんらしいですね。

 「応援する人の交通手段、海外の選手が日本の地下鉄に乗れるかなとか、過ごしやすいかなとかいろいろ考えちゃいますね。五輪チケットの1次販売で、台湾の家族からの要望で、卓球、陸上、バレーボール、開会式などを申し込んだんですが、全く当たりませんでした。チケット一枚買うだけでも皆さん苦労しているんだと、実感しました」

 ―今の日本代表チームをどう見ていますか。

 「私がいた時より、レベルアップしています。中国を倒す目標は当時からありましたが、現実味を帯びている。金メダルも取れるかもしれませんね。特にすごいのがリオで代表だった(伊藤)美誠ちゃん。たった3、4年でこんなに変わるんだと。ウルトラマンがウルトラマンゼットになった? ガンダムが装備を付けたような? いや、セーラームーンで例えた方が分かるかも。テレビアニメのヒーローがパワーアップ、武器を増やしていく感じがします」

 ―今、日本代表チームにいたら何をしていると思いますか。

 「おにぎり担当かな。美誠ちゃんには具材のサケが飛び出ているような特大サイズ。(石川)佳純ちゃんはノートを取ったり、映像見たりしながら食べるから手が汚れないように一口サイズ。(平野)美宇ちゃんは中の具材より外見重視ですね。ノリを工夫してかわいくしたいです。私はそっと見守っているのが一番いい」

 ―東京五輪で競技以外に期待していることはありますか。

 「昨年の正月、台湾の家族と一緒に仙台で過ごしました。牛タンは大盛況で連日食べても飽きなかったようです。付け合わせの南蛮みそも好評でした。テールスープもお代わりしていましたね。海外の方には、五輪だけでなく、旅行でも日本を楽しんでもらいたいと思います」

 ―地元を離れて20年ほどたちますが、仙台への思い入れは変わりませんね。

 「オレンジ色の仙台駅を見るだけで安心するんです。現役の時から、心がいっぱいいっぱいになると、ひっそりと仙台に帰っていたんですよ。駅近くのホテルの和室に泊まって、お布団で寝て、朝ご飯も部屋で済ませました。観光客みたいに牛タン食べて、ずんだ餅、ずんだシェイクも買いました。生まれ育った家はないけど、仙台への思いは強くなっている。スイミング、勉強、庭遊び…。10歳までの楽しい思い出があったから、より大切にしたいと思うんです」

 「実は私、自分の1歳の誕生日の記憶があります。どうお祝いしてもらい、何をもらって、どこに座ったか。こういう記憶力って卓球にも生きていたんです。対戦相手が以前戦ったことのある選手だったら、その時のことを思い出しながらプレーしていました。五輪の時は4年前の自分の行動や気持ちを思い出していました。その積み重ねが4大会目のリオにつながりました」