身売りされ遭難 南島でつかんだ幸せも戦争で一変 亡き父の手記を出版

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父朝忠さんが書き残した大学ノートを基に編集・製本した「オジーの海」を手にする大宜見勉さん=7日、那覇市内の自宅

 父が歩んだ苦難の歴史を残したい-。大宜味村喜如嘉出身の大宜見勉さん(71)=那覇市=が、1993年に95歳で他界した父朝忠さんの手記を基に、本「オジーの海」を自主制作した。幼少期の「糸満売り」の体験や、フィリピン・ミンダナオ島ダバオの戦火を生き抜いた日々など、父が晩年に戦前戦後をつづったノート2冊の内容をまとめた。「歴史の証言として残すことで、反戦平和につながれば」と願う。(社会部・新垣玲央)

 朝忠さんは1899(明治32)年、4男4女の次男として生まれた。家庭が貧しく、10歳の頃に借金返済までの利息分として働かされる「下男奉公」に。12歳の時には、親が前借金と引き換えに漁師の下で住み込みで働く「糸満売り」を経験した。

 身売りされて大宜味村から糸満町(当時)まで徒歩で連れられ、漁師には厳しく鍛えられた。その間、遭難や鼓膜破裂など幾多の苦難に直面した。学校には行けず、幼い頃から働き詰めの日々を送った。

 23歳で理髪業に転職してから移住したダバオでは、ようやく訪れた穏やかな日常が戦争で一変。身重の妻や幼子5人とジャングルに避難し、栄養失調やマラリアに苦しむ中、2歳の娘を亡くした。

 〈戦争というのは人間を想像もできない狂気に走らせる。普段は優しく声を掛け合い、笑顔であいさつしていた人々が国家間の対立で、ある日を境に敵同士になり武器を持って殺し合うのです〉と、手記は記す。

 戦争末期には敗走を重ねて同胞から食糧を奪うなど日本兵が〈山賊と化した〉とし、〈避難民には米軍に見つかるよりも、日本兵と遭遇するのが恐ろしくなっていた〉と回想している。

 大宜見さんは病床で手記を書く父の「本にできないかな」との言葉が忘れられない。出版を試みたこともあるが費用の面などでかなわず、10年ほど前には自ら編集してネット上のブログで公開した。今回製本する際にはイラストレーターとして培った腕を生かし、挿絵を描いて添えた。

 最初の本は昨年夏ごろ完成し、家族のほか、大宜味村と糸満市の教育委員会など関係先に寄贈した。大宜味さんは「父が歩んできた苦難を伝え、平和への思いを伝えたかった。遅くなったけど、これで少しでも親孝行できたかな」とほほ笑んだ。

大宜見朝忠さん