極東の島国より"父なるアメリカ"クリント・イーストウッドを睨み返すトークイベント「黄色い肌の異常な夜」開催!

トークイベント「黄色い肌の異常な夜 TO CLINT EASTWOOD FROM FAR EAST ISLAND」が2020年2月3日(月)ネイキッドロフトで開催される。

ハリウッドを、いやアメリカ合衆国そのものを代表/象徴/体現しているといっても過言ではない、巨匠クリント・イーストウッド(89歳)。西部劇の英雄――昭和の男の子たちがみんな憧れたその役で俳優として人気を爆発させたイーストウッドは、1971年、女性のストーカーに生活を脅かされるラジオの人気D J役を自ら演じた『恐怖のメロディ』で映画監督としてもデビュー。

以後、西部劇にとどまらず、サスペンス、ノワール、ミステリー、ラブロマンス、メロドラマ、冒険映画、ロードムービー、伝記映画、戦争映画、ミュージカル、実話…あらゆるジャンルで「名作」と呼ばれる作品を撮り続け、二度にわたるアカデミー賞作品賞&監督賞W受賞(『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』)、日本でも毎作毎作キネ旬ベストテンで一位ないし上位にランクイン、押しも押されぬ巨匠、生きる伝説として映画史に君臨し続けている。

優しくて力持ち。正義のために闘う、男の中の男。イーストウッドが描き、そして自ら演じてきた<ヒーロー>に、日本中の男たちは、しびれ続けてきた。本国アメリカに先駆け、「映画作家」としてのイーストウッドをいち早く発見し、歓迎し、支持してきた日本。日本でのイーストウッド賛美は、その他の国々と比べても異様だ。例えば、トランプ支持を公言しているにもかかわらず、日本ではなぜかその政治性が問われることはあまりない。戦後日本の(屈折した)保守/リベラルの垣根を、なぜかイーストウッドだけは、軽々と超越し、いやむしろ包摂すらしているかにみえる。

確かにイーストウッドは複雑だ。まるでアメリカのように。戦争のように。セックスのように。考え始めると、すぐに壁に突き当たる。落とし穴にはまる。取り込まれてしまう。こんなにも巨大だと、このイーストウッドにこそ、あるいは日米同盟の陰謀があるんじゃないか?なんて大それた下衆の勘ぐりさえしたくなる気持ちにさせる。

思えば『恐怖のメロディ』の直前、師ドン・シーゲルのもとイーストウッドが俳優のみに専念した最後の作品となった『白い肌の異常な夜』(1971)は、女たちから誘惑されまくるという、男なら誰もが鼻を荒げるハーレムの宴が、気持ちよくて最高なユートピアなどではなく、モテまくるのは実は地獄である、と告げたものだった。しかし、そこで描かれた女の世界とは、あくまで男が妄想する「女の園」、男が興奮する「女の性欲」ではなかったか。それから時代は移ろい約半世紀、イーストウッドが、誰がどう見ても「男の中の男」ではない、女にモテない“普通”の男たちを、合衆国を救った<ヒーロー>として描いたのと同じ2017年、“ガーリー・カルチャーの旗手”ソフィア・コッポラが、『白い肌の異常な夜』での男/女のまなざしの力学を鮮やかに反転させ、女たちの秘密の世界を「私たちの園」、「私の性欲」として活写したのは偶然だったか、必然だったか。

2020年の日本では『白い肌の異常な夜』は、『ビガイルド/欲望のめざめ』からさらにもう何周も反転するだろう。奇しくもここでもイーストウッドは、男は、世代の異なる複数の魅力的な女たちに囲まれてしまった。『15時17分、パリ行き』の男たちとは異なり、イデオロギーを必要とせず、ヒーローになる必要もなしにプライドを保つ方法をすでに知っている三人の女性の論客、即ち町山広美さん/五所純子さん/児玉美月さんに、ハーレムになんてそもそも憧れてない、ニッポンの知性・佐々木敦さんをMCに迎え、極東の島国より”父なるアメリカ”クリント・イーストウッドを睨み返す宴「黄色い肌の異常な夜」が始まる。

現在前売りチケット発売中、イベント詳細はこちらをチェック。

© 有限会社ルーフトップ