伝説のインディーレーベル「4AD」ディス・モータル・コイルが後世に与えた影響 1984年 10月1日 ディス・モータル・コイルのアルバム「涙の終結」がリリースされた日

4AD のビジュアル面を支えたデザイナー、ヴォーン・オリヴァー

2019年12月29日、4ADレーベルのデザイナーを務めたヴォーン・オリヴァーがこの世を去った。

4AD といえば、バウハウス、コクトー・ツインズ、ピクシーズといった、名前を挙げるだけで眩暈がしてくるような綺羅星のごときインディーバンドを数多く輩出した紛れもなく伝説のレーベルだ。

その「4ADサウンド」とも呼ばれる特徴的サウンド(主にリヴァーヴの多用)をビジュアル面でアシストしたのがこのオリヴァー氏で、英国の大手新聞『ガーディアン』は「インディー音楽史において鍵となる50の出来事」と題した2011年の特集で、モダン・イングリッシュの「ギャザリング・ダスト」のカバーデザインをオリヴァーが手掛けたことを、なんと “23位” に位置付けている。その一つ上が、ジョイ・ディヴィジョンの「イアン・カーティスの自殺」と言えば、オリヴァーに対する評価がどれだけ高いか分かるだろう。

というわけで 4AD のイメージを形成する上で欠かせない人物だったオリヴァーが手掛けたアート作品は数多くあるわけだが、今回のコラムでは、その中でもレーベルの創設者であるアイヴォ・ワッツ=ラッセルが中心となったユニット、ディス・モータル・コイルのアルバム『涙の終結(It’ll End in Tears)』を取り上げたい。

コクトー・ツインズをはじめ、レーベルお抱えのバンドの面々が参加しているのに加え、バズコックス / マガジンのハワード・ディヴォートも「ホロコースト」という曲でヴォーカルでゲスト参加していたりと、アイヴォの豊かな人脈が活かされたデビューアルバムだ。

ディス・モータル・コイル「涙の終結」が後世に与えた影響

このアルバムはカバー曲も多く、ティム・バックリィの「警告の歌(Song to the Siren)」、ロイ・ハーパーの「アナザー・デイ」(この二曲はコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーがボーカル)、ビッグ・スターの「ホロコースト」などが収録されている。今でこそ高い評価を得ているが、当時のポストパンク流行のイケイケドンドンな時代では受け入れられるはずもなかった “ヒッピー風な” ミュージシャンたちを掘り起こし、その価値を認めさせた功績は計り知れない。

後世に与えた影響も計り知れず、ゴスロック亜種として知られる “ダークキャバレー” の代表的ミュージシャン、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズのアントニー・ヘガティー(現・アノーニ)は、「90年代に NY に引っ越したとき、パンク風のドラッグクイーン達はみんな『涙の終結』を10代のときに聴いていて、夜のクラブで口パクで歌ってたよ」と証言している。

実際このアルバムはゲイカルチャーにかなり受容されたという。また、女性ボーカルがほとんどを占める子宮的サウンドスケープも同様で、すべてを許容する大らかさがある。余談だが、あのシニード・オコナーも17歳のときの母の交通事故死を「警告の歌」を何度も聴くことで乗り越えたというから、セラピーの効果もあるのだ。

評価はジェンダー / クィア方面からにとどまらない。僕が昨年末に上梓した『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)の担当編集・大久保潤さんによれば、ブラックメタルの面々もディス・モータル・コイルのようなゴスい雰囲気をもつ 4AD サウンドに影響を受けたと証言するバンドが多いというから、影響力の底知れなさに驚く。

「すべてを許容する大らかさ」と先ほど書いたが、アイヴォが英国の音楽雑誌『メロディ・メイカー』に語るところによると、ルー・リードの退廃路線が極まった、アルバム『ベルリン』のような “絶望の美” も効果として狙ったというから、ブラックメタルの人間にも響くダークな雰囲気も同時にあるのだろう。

デヴィッド・リンチの映画でも使われる予定だった「警告の歌」

そして影響は映画界にまで及んでいる。このアルバムに参加したジョン・フライヤーは「全曲が口による映画」と本作を形容したが、実際に「警告の歌」はあの異端映像作家デヴィッド・リンチが恋人のイザベラ・ロッセリーニとともに聴き惚れたお気に入りの一曲で、傑作『ブルーベルベット』のプロムのダンスシーンで使われる予定さえあったという。

そして、コクトー・ツインズのリズ・フレイザーとロビン・ガスリーの二人に映画のプロムのシーンで疑似演奏もやってもらいたい、とさえリンチは考えていたほどだ。ところが、楽曲使用に関してはティム・バックリィの遺産管理者から二万ドルを要求されて実現はならなかった(映画が三百万ドルの低予算ですからね…)。

念願叶わぬリンチだったが、音楽担当のアンジェロ・バダラメンティに頼んで「警告の歌」と似たような楽曲を作ってもらい、同場面に使用することになる。バダラメンティはリンチの求める「宇宙的で天使的な声」の持ち主を探し求め、結果友人のジュリー・クルーズに声をかけ、名曲「ミステリーズ・オブ・ラブ」が生まれるのだ。

クルーズとバダラメンティという、僕たちがのちに『ツイン・ピークス』以降のリンチ映画で思い知らされることになる独自のサウンドを決定づけるチームは、こうして組まれたことが分かる。だからリンチワールドを理解するには、ディス・モータル・コイル(ようするに4AD)の世界観を理解する必要があるわけである。

オリヴァーと並んで評価したい、写真家ナイジェル・グリーソン

ここまで音楽と映画の関連ばかり云々してしまったが、そもそもヴォーン・オリヴァーが手掛けたジャケットは映画から抜き出したスチルのように美しい。一応オリヴァー作ということになっているが、むしろ彼の片腕ともいえる写真家ナイジェル・グリーソンによる功績が大きいのではなかろうか。

グリーソンは共通の友人を通じて知り合い、本作の被写体にもなったイヴェット(のちパラス・シトロエン)を発掘し、この無意識界に潜っていくようなアウトフォーカスの白黒写真を撮った。

彼によればデヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』とルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』に着想を得たというから、とことん「リンチエスク(リンチ風)」な一枚だと分かる。

と、知ったかぶってうだうだ書いてきたが、最後にタネ明かしをすると、今回のコラムの内容はマーティン・アストンというジャーナリストが2013年に書いて、その年の「ブック・オブ・ザ・イヤー」を5つも獲得した名著『4AD物語(Facing the Other Way - The Story of 4AD)』をかなり参照している。

ボーカルが自殺し、それをテレビ屋でもあるレコード主がチェ・ゲバラ神話のように仕立てていったファクトリー・レコードには目に見える「神話」があるが、同時代にも関わらず4ADにはそうしたものがないだろうと思っていたところ、本書は600ページを超える分量だから驚きだ。もっとも、レマ・レマという、たった一枚だけEPを出したに過ぎないバンドのサウンドの特徴や内部軋轢だのに関して、冒頭5ページも割かれるのだから、このページ数になるわな…。僕たちが知らないだけで “物語” はちゃんとあったのだ。

というわけで次回もこの本を題材にしようかと思ってます。標的は、たぶんコクトー・ツインズ。

カタリベ: 後藤護

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