長渕剛が母と歩んだ壮絶人生を初告白、中居正広に語った母の言葉とは?

長渕剛が1月24日放送のTBS系バラエティー「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(午後8:00)の2時間スペシャルに登場。昨年末、主演映画の完成披露舞台あいさつを急きょ欠席、急性腎盂腎炎(きゅうせいじんうじんえん)で緊急搬送されていたことが明らかになり世間を騒がせた長渕剛が、復帰以来初めてバラエティー番組にゲスト出演する。肉体、精神ともに「強い」そして、正直「恐い」イメージのある長渕が、自らの原点である両親との“誰も知らない”壮絶な物語を涙ながらに初告白する。

長渕は生後すぐ仮死状態に陥り医者も諦めかけたが、母の懇願により注射を1本打ってもらったことで奇跡的に九死に一生を得たという。その後も病弱だったが、家が貧しく母は栄養不足で母乳が出ず、けれどミルクを買う金もなく、米の研ぎ汁で育てられた。すきま風が吹き抜ける木造モルタル、四畳半一間の長屋暮らしだった長渕家。長男・邦人を生後すぐに亡くしたこともあり、母は過保護なほどに剛を溺愛していた。少年時代の長渕は、大好きな両親のいさかいに心を痛めながら、差別や格差に満ち、どんなに頑張っても報われない現実に、やるせなさと「金」や「権力」への嫌悪感を強めていった。

そんな長渕の人生を変えたのが、中学3年生でのギターとの出会いだった。内に秘めた“心の叫び”があふれ出し、高校3年間で300ものオリジナル曲を生み出した。今回、スタジオでは、長渕のこれまでの貴重な作詞ノートを特別に公開する。その後、長渕は大学へ進学。だがそれは建前で、福岡のアーティストたちの登竜門だったライブ喫茶「照和」に通い詰め、一躍人気歌手に。そして、20歳でヤマハのコンテストで優勝。デビューの話が舞い込み、大学を中退してプロデビューを目指すことにしたが、学歴がなく苦労した父は大反対し、生まれて初めて本気で殴られたそう。それでも長渕は歌手の道に進み、「巡恋歌」「順子」などがヒット。さらに歌手だけでなく、俳優としても強烈な個性を発揮し、「家族ゲーム」「とんぼ」などドラマ史に残る名作に出演した。

ようやく世間に認められ始めた25歳の時、母が末期の大腸がんだと判明。必死に東京の病院を探し、紹介された病院で手術を受けた母は何とか持ち堪えたが、その一方で「金で命も買えるんだな」「貧乏人は病気も治せないんだな」と痛感。数年後、追い討ちをかけるように母はアルツハイマー型認知症と診断され、がん闘病からさらに10年以上も続く介護生活が始まった。やがてツアーや音楽スタッフとのあつれきや心労が重なり、長渕自身も倒れ、ツアーを中止せざるを得ないほど追い込まれてしまった。死んでしまいたくなる衝動の中で生まれたのが、「STAY DREAM」。やはり、ここでも長渕を救ってくれたのは「歌」だった。母を自宅に引き取り自ら介護をしようと試みたが、お風呂で母の体を洗った時、涙が止まらなくなり、結局病院に頼ることに。同時期に自らの子どもが誕生し、希望ある「生」と「死」にゆく母とのはざまに揺れながら、母を歌った「MOTHER」を作った。スタジオで中居に語ったのは、母が自分のことを忘れてしまったときのこと、そして、母が最期まで言い続けた言葉について…。最後に、長渕はスタジオで特別な歌を熱唱する。

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