浅草・雷門の提灯に使われているのは福井県の郷土工芸品!?『若狭和紙』とは

若狭和紙とは

平成6年に福井県の郷土工芸品に指定された若狭和紙。
小浜市のきれいな水と厳選したコウゾ(木)の皮を使って作られる、頑丈な和紙です。

かつては和傘や障子紙、襖紙などに使用されており、現在はその美しい色合いを生かし、和紙人形の材料などに使われることもあります。

また、京都の染色仕事に使われる型染原紙は、丈夫な若狭和紙が使われることも多いです。
さらに、東京・浅草にある浅草寺雷門の提灯に使われているのも若狭和紙なんです。

ちなみに、郷土工芸品と同じようなもので『伝統的工芸品』がありますが、こちらは経済産業大臣が指定するもの。
一方、郷土工芸品は県指定の工芸品です。
現在福井県の伝統的工芸品は7件、郷土工芸品は28件が指定されています。

また、福井県には越前市周辺で作られる『越前和紙』もありますが、こちらは伝統工芸品に指定されています。

若狭和紙の歴史

若狭和紙の歴史は延暦(782~806年)の頃まで遡るとされており、『延喜式』(平安時代の法律の施行細則)には、若狭(小浜市を含む現在の福井県南部)は紙を漉く国、原料を産する国として記載されています。

さらに『若狭国志』には、延喜(901~922年)の頃に若狭から都へ庸(税)として紙が送られていたことが、
『若狭郡県志』には現在の小浜市湯岡、和多田、おおい町名田庄三重などで紙漉きが行われていたことが書かれています。

かつては『和多田紙』『名田庄紙』(越前から伝わった)の2つの系列がありましたが、名田庄紙は明治時代には絶え、現在は和多田紙の伝統が受け継がれています。

また、製造が盛んになったのは江戸時代の始め頃と考えられており、小浜藩主酒井忠勝が、和紙の原料となるコウゾやミツマタの栽培を奨励したことがきっかけとされています。

しかし現在、若狭和紙の紙すき技術を受け継いでいるのは和多田地区でわずか数戸だけとなっています。

若狭和紙の製造工程

原料となるのは、主にコウゾなどの木ノ皮。
若狭和紙は紙の質を高めるために、コウゾの黒い皮を削ぎ落としてから使います。

コウゾを数日間水につけて柔らかくしてから煮沸し、繊維をほぐれやすくして、さらにあく抜き、不純物の除去を2〜3回繰り返します。

その後、コウゾを砕いて繊維状にし、水、トロロアオイなど(粘り気を与えるための材料)を加えて混ぜます。

これを漉き、圧搾して水を切ってから乾燥させます。

色や模様を付ける場合はさらに、のりをつける(糊置き)→天日干しをする→顔料を塗る→模様が入った型を使って別の色を塗る→のりを洗い流す→乾燥させる、という手順を踏みます。

以下では、若狭和紙の紙漉き体験ができる施設などもご紹介しています。

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