モンティ・パイソンのテリー・ジョーンズが77歳で逝去。俳優、コメディアン、演出家として活躍した彼の経歴を辿る

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モンティ・パイソンのメンバーで、俳優、コメディアン、演出家として活躍したテリー・ジョーンズ(Terry Jones)が2020年1月21日に77歳で逝去したことが、彼の代理人によって報告された。テリー・ジョーンズは、2016年に、コミュニケーション能力に影響する神経変性疾患の一群である、前頭側頭型認知症(FTD)と診断されていた。

テリー・ジョーンズの親族は、声明でこう述べている。

「深い悲しみと共に、愛する夫で、良き父だった、テリー・ジョーンズが死去したことをご報告します。テリーは、珍しい認知症の一種であるFTDとの長く、勇敢で、陽気な闘病生活の末、2020年1月21日の夕方、妻であるアンナ・ソーダーストロムに看取られながら77歳でこの世を後にしました。ここ数日間、テリーは、彼の妻、子供たち、親類、そして多くの親友たちと共にロンドン北部の自宅で過ごしながら、最後は静かに息を引き取りました。優しく、面白く、温かく、創造力豊かで、真の愛情に満ちたテリーの、妥協なき個性と容赦ない知性、並外れたユーモアは、60年もの間、何百万人という数えきれない方々に喜びを与えてきました」

モンティ・パイソンでの仲間で、近しい友人、共作者だったマイケル・ペイリンは次のように追悼のコメントを寄せている。

「テリー・ジョーンズは僕の大親友で、最もかけがえのない友人の1人でした。彼は心優しく、寛大で、思いやりに溢れ、人生を満喫することに情熱を持っていました。彼は、同世代で一番面白い作家、そして芸人の1人である以上に、全てを兼ね備えたルネサンスのコメディアンでした。作家でも、演出家でもあり、司会者、歴史家、そして才能溢れる児童文学作家でもあった彼は、誰もが望むような、温かく、素晴らしい友人でした」 ウェールズの北海岸に位置するコルウィン・ベイに生まれたテリー・ジョーンズは、幼少期にイングランドへと移り住み、サリーで育った。その後、進学したオクスフォード大学で英文学を専攻する傍、所属していたコメディ・グループ “オックスフォード・レビュー” で出会ったのが後に親友となるマイケル・ペイリンだった。

同大学を卒業後、テリー・ジョーンズは、マイケル・ペイリン、そして後に英国コメディ界のスターとなる、ジョン・クリーズ、グレアム・ガーデン、ビル・オディ、エリック・アイドル、ピーター・クック、デヴィッド・ジェイソンらと共に、 『The Frost Report』、『Do Not Adjust Your Set』、そして『Utter History of Britain』といった一連のTVコメディ番組で脚本家兼芸人として活躍した。

1969年、テリー・ジョーンズとマイケル・ペイリンは、ケンブリッジ大学の卒業生だったジョン・クリーズとグレアム・チャップマン、そしてエリック・アイドルとアニメ作家のテリー・ギリアムらと共に BBCのコメディ番組の制作に加わった。テリー・ジョーンズとマイケル・ペイリンが脚本の大部分を手掛けた 『空飛ぶモンティ・パイソン』と題されたこの番組は、 1974年まで放送された。

カオスでシュールな演出と大胆なフォーマットを採用した 『空飛ぶモンティ・パイソン』は、数々の奇抜なキャッチフレーズと共にコメディの在り方に革命をもたらし、同世代のコメディアンたちを大いに刺激し、BBC史上最も影響力のある番組の1つとして知られている。 中でもテリー・ジョーンズ扮する女性キャラクターは、彼が手掛けたうんちく満載の脚本と共に同番組を特徴付ける重要な要素となった。

『空飛ぶモンティ・パイソン』の第2シリーズ放送直前に、同番組で使われたスケッチ・コメディー(コント)をまとめ、映画として撮影しなおした『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』(アメリカで番組をブレイクさせようという究極の意図の元、1971年に制作された)の発表後、モンティ・パイソンはオリジナル映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の制作に乗り出し、テリージョーンズとテリー・ギリアムが今作の共同監督を務めた。

彼は、モンティ・パイソンの民主主義的直感を重視し、「僕たち6人全員が笑ったネタに関しては、“大丈夫だ、これでいこう”と思えました。僕たちにとっては、 スクリーンを見ている皆さんが、僕たちが読み合わせの時に笑ったシーンで、同じように笑ってくれるかどうかが重要なんです」

続く映画『ライフ・オブ・ブライアン』では、テリー・ジョーンズが単独で監督を務め、テリー・ギリアムは映画のデザイン担当に専念することになった。ジョージ・ハリスンが弁護士のデニス・オブライエンと1979年に共同設立した映画製作会社“ハンドメイド・フィルムス”に後援された同映画は、商業的な成功を収めた一方で、「聖書」をテーマにしたその物語は、宗教団体を中心に世界中で論争を巻き起こした。

同映画の中で、ローマ帝国の圧政の中、イエス・キリストと同じ日に隣の家で生まれ、東方の三賢者に救世主と間違えられそうになった主人公のユダヤ人の青年ブライアン。彼の母親役を演じたテリー・ジョーンズは、集まった崇拝者たちに対し、「彼は救世主なんかじゃないわ、ただのわんぱく小僧よ」とわめきちらす名シーンを残した。

1983年にテリー・ジョーンズが再び監督を務めた、モンティ・パイソンにとって最後の映画『人生狂騒曲』は、数々のスケッチ・コメディとミュージカル、そして複雑な効果を取り入れたシーンで構成された非常に手の込んだ作品となっている。今作には、テリー・ジョーンズが演じた映画のキャラクターの中でも間違いなく最も有名な、巨漢のクレオソートが登場し、物語の最後には小さなミントウェハースを食べた彼の体が大爆発する。 モンティパイソン活動終了後も、テリー・ジョーンズは、マイケル・ペイリンと共同執筆した大ヒットTVシリーズ『リッピング・ヤーン』や、1987年に自身が監督した、郊外に住む売春宿の番頭であるシンシア・ペインの実生活に基づくコメディ映画『Hなえっちな変態SMクラブ』など、様々なプロジェクトを手掛けていった。続く1989年にテリー・ジョーンズが監督・脚本を手掛け、主演のティム・ロビンスが海賊エリック役を演じる映画『エリック・ザ・バイキング バルハラへの航海』は、1983年に出版された自身の絵本が原作となっている。

『エリック・ザ・バイキング バルハラへの航海』同様に、テリー・ジョーンズは、自身の古代や中世の歴史への熱烈な関心を、『十字軍物語』(1995年)、『Terry Jones’ Medieval Lives』(2004年)、『Barbarians』(2006年)といったTVシリーズに投影した 。 また、彼は詩人ジェフリー・チョーサーに関する2冊の本を出版したり、1996年から1998年までの2シーズンにわたって放送された、ドラゴンの視点から騎士道の歴史を語った子供向けテレビ・アニメ『Blazing Dragons』の制作も手掛けている。 テリー・ジョーンズは『Nicobobinus』をはじめとするオリジナル童話を含む、多作な児童文学作家でもあった。

ソーシャルメディア上では、テリー・ジョーンズへ追悼メッセージが後を絶たない。

TVコメディ・シリーズ『ザ・チック・オブ・イット』の原作者であるサイモン・ブラックウェルは自身のTwitterでこう追悼している。

「モンティ・パイソンの中心人物で、愉快なテリー・ジョーンズ。“リッピング・ヤーン”は今観ても本当に面白くて、8歳の頃の僕は、“Bert Fegg’s Nasty Book for Boys and Girls”を読んで笑い転げていたものです。彼が逝ってしまって、とても悲しいです」

また、俳優のスティーヴン・フライはこうツイートしている。

「(モンティ・パイソンの番組に登場した)あの巨大な足がついに下りてきて、あなたを踏みつけてしまったのですね。あなたのおかげで本当に楽しかった。あなたは僕にこの上ない快楽と喜びを与えてくれました。本当に魅力的で素晴らしい才能でした」

Written By Tim Peacock