41年ぶり甲子園へ 創成館・下野部長「幸せです」

選抜出場決定を祝い選手らに拍手を送る下野部長(右)。諫早高3年時以来、41年ぶりに甲子園の土を踏む=諫早市、創成館高

 24日に春の甲子園出場を決めた創成館高(諫早市、奥田修史校長)。1988年、保健体育教諭として赴任した野球部元監督の下野研児さん(58)は、この日を特別な思いで迎えた。2008年に一度は指導から離れたが、今月から部長としてチームに復帰。「幸せですよね」。自らも県立諫早高時代にプレーした“聖地”に41年ぶりに立つ。
 高校3年だった1979年夏。「1番捕手」で甲子園の土を踏んだ。初戦で敗れたが、試合開始のサイレンが鳴り終わる前に安打で出塁するなど、攻守で躍動した。「あっという間で夢のような時間だった」
 日体大を卒業後、24歳で豪州へ渡り、工場で働きながらクラブチームでプレーした。現地の子どもたちの指導にも携わった。その後、地元の諫早市に戻り、前身の「協立」から「創成館」に校名変更した野球部の初代監督になった。
 2001年まで監督、02年から08年までは部長としてチームを指揮。「甲子園を目指して、ずっとグラウンドにいたような気がする。自分も若かったし生徒とぶつかることもあった」。常に正面から生徒と向き合った。結果、1996年秋に九州大会初出場、2005年夏は県大会で4強入りした。
 だが、夢舞台には届かなかった。「いい選手もいたのに、勝たせてやれなかったのは指導者の差。未熟だったということ」。08年秋、現在の稙田龍生監督(55)の就任に合わせて身を引いた。
 以降、チームは春夏合わせて5回、甲子園に出場。その勇姿は応援団の一人としてアルプススタンドから見詰めた。いろんな思いもあったが、生徒の引率も含めて学校業務に力を注いだ。
 稙田監督に要請されてチームに戻った今月。ノックで久しぶりに硬式球を打った。しびれるような金属音。「1球目はバットが折れたかと思った」。そう苦笑いするほどのブランクも感じたが「やっぱり気持ち良かった」。そんなベテランの加入に、稙田監督も期待を寄せる。「たくさんのOBもいる中で、その存在は心強いですね」
 約2カ月後、41年の時を経て甲子園の土を踏む。「私はいいから選手を取り上げてほしい」と控えめな姿勢は以前から変わらないが、胸に秘めた思いは熱い。
 「昔の生徒たちの頑張りのおかげで今がある。子どもたちが一生懸命プレーできるようにバックアップしたい。足を引っ張らないようにしないとですね」

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