薩摩スチューデントと明治維新

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■第47回 薩摩藩英国留学生の足跡とその周辺
大久保利通先祖の墓

○大久保利通先祖の墓
薩摩藩英国留学生であった五代友厚は、大久保利通とも親しいことで知られています。明治八年(一八七五)、大久保利通・木戸孝允・板垣退助らが大阪府に集い、今後の政府の方針(立憲政治の樹立)および参議就任等の案件について協議した「大阪会議」の際には、準備会談として五代の屋敷が使われていました。
大久保は下準備のため、約一か月もの間、五代の屋敷に入り、年末年始も五代の屋敷で過ごしたといいます。また、木戸も来阪すると五代の屋敷を訪ねて、ともに碁を囲んだと伝えられています。
大久保利通は文政十三年(一八三〇)八月に、鹿児島市高麗町で生まれました。大久保が生まれる前の大久保家は、経済的に非常に貧しかったことから一時期、鹿児島城下を離れて本市川上の地に移住していました。その当時の屋敷は、川上小学校の裏山にあったことから屋敷跡には記念碑も建っています。
大久保家の墓は、小淵脇と川上小学校北側にある長田神社付近に別れて建っていましたが、後に長田神社付近の墓が小淵脇へ移設されています。一番古い墓石は貞享二年(一六八五)で、最も新しい墓石は宝暦十年(一七六〇)です。

次回2月20日号は「コワニェと串木野鉱山」です。

薩摩藩英国留学生記念館
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