アリスの多彩な魅力が詰まったヒットアルバム『ALICE VII』

『ALICE VII』('79)/アリス

昨年5月からスタートしたアリスの全国ツアー『ALICE AGAIN 2019-2020限りなき挑戦―OPEN GATE―』。2月7日&8日の両日、そのツアーファイナルである大阪城ホール公演が行なわれるということで、それに先駆けて今週はアリスを取り上げる。自分はそれほど熱心なアリス・リスナーだったわけではないけれども、コラムを書き進める内にいつも以上に個人的な想いが湧き上がってきた。それはアリスが間違いなく一時代を築いたグループであって、それを意識しない者にも影響を与えていた証拠ではないかと思う。

ラジオ番組で知った谷村新司の魅力

冒頭から個人的な話で恐縮だが、少しばかりお付き合いいただければ幸いである。筆者が初めてアリスを聴いたのは間違いなく深夜ラジオであった。そのラジオ番組は『MBSヤングタウン』だったから厳密に言えば深夜ではないのだけれど、そこでパーソナリティを務めていたのが谷村新司(Vo&Gu;)で、中学生になったばかりの頃、番組自体を毎日欠かさず聞いていたので、谷村=チンペイ氏の曜日もよく聞いた。出番は金曜日だったことは覚えていたので調べてみたら、確かに氏は1978年から1986年まで金曜日のパーソナリティであった(ちなみに1976年から1978年までは同番組の水曜日の担当だったそうだが、それは知らなかったので、筆者の『MBSヤングタウン』デビューは少なくとも1978年以降であることも確認できた)。

深夜ラジオを聞くこと自体、中1くらいにはちょっと背伸びするような行為であった。それがなぜかと言えば、インターネットなど存在しない時代、[人に届く本音、言葉を選んだ本音を聞けるのはラジオだけだった]からだと思う([]はラジオ番組『神田松之丞 問わず語りの松之丞』からの引用)。そこにはテレビではほぼお目にかかれない、もちろん教師や親は絶対に教えてくれないさまざまなトピックがあって、ティーンエイジャーになりたての男子にとっては刺激にあふれていた。とはいえ、そもそも中学生には根本的な知識が足りないので、パーソナリティが楽しそうに話している内容でもそれが何を話しているのかよく分からず…なんてことも、深夜ラジオデビュー間もない頃はしばしばあったように思う。

自分が最初にそれを感じたのはチンペイ氏のトークだったような記憶がある。主にそれは氏のエロ話において。のちに、エロトーク界の巨匠、笑福亭鶴光師匠のおかげもあってそうしたことも大分解消されていくのだけれど、最初期においては氏の話にポカーンとする時間も少なくなかったように思う。リアルタイムで何を話しているか分からないくらいだったので、今その内容はまったく覚えてないけれども、想像するに子供には高度な例え話をしていた…とかだったのだろう。チンペイ氏があの低音ヴォイスでジョークらしきことを話すと、もうひとりのパーソナリティであったばんばひろふみ氏が独特の笑い声を上げる。でも、女性アシスタントは明らかに呆れた苦笑い。その空気感からするとそれがエロ話であることは想像できても、具体的な内容がさっぱり分からない。それでも、ばんば氏の笑いにつられてこちらも笑っていたような気がするが、その何かいけない話を盗み聞きしている感覚もまた深夜ラジオの醍醐味でもあったように思う。

また、そんな風にあっけらかんとエロ話をする一方で、別の場面ではアカデミックな科学の知識を披露したり、曲紹介においては当然キリっと音楽の話をしたりと、チンペイ氏の引き出しの多さというか、その懐の深さからは鶴光師匠とはまた別の何かを感じていた。当時接していた深夜ラジオのパーソナリティからは、普段接している大人とは別種の大人が確かに存在することを実感させられてきたが、谷村新司氏もそのひとりで、自分にとって氏はその筆頭格と言っていいかもしれない。親しみやすさはあるものの、ラジカルでありつつ、ミステリアスでもあり、いい意味で掴みどころがないというか、逆に言えば余裕も感じられて、子供だった自分にとってはとにかく不思議な魅力に溢れた人物であった。

フォークに留まらない音楽性

ひいては、チンペイ氏のグループ、アリスにも氏と同様の感覚を抱いていたようにも思う。谷村、“ベーヤン”こと堀内孝雄(Vo&Gu;)のふたりがアコギを抱えて歌っているところからするとフォークグループではあるようだが、その楽曲は所謂フォークとは異なったロック寄りのものもある。そもそもメンバーにはドラマー、矢沢透(Dr)もいるので、グループの根底はビートが支えている。歌の旋律は概ね口ずさめるほどに大衆的でありつつ、アッパーなものから、しっとりとしたもの──誤解を恐れずに言えば、子供の自分には辛気臭いと感じたものまで多彩なメロディーを持っている。歌詞は恋愛を綴ったものが多いことは中学生の自分でも分かったが、そのシチュエーションが掴めないのはチンペイ氏のラジオでのトークに近い感覚もあった。そんなこんなで、リアルタイムでは筆者が子供だったこともあって、アリスとは自分にはその全体像を完全に把握し切れないグループという印象が強い。言い方を変えれば、懐が深いグループであったと言えるわけだが、今回、凡そ40年振りに『ALICE VII』を聴き返してみると、当時、自分がアリスに抱いていた感覚が蘇ると同時に、このグループのポテンシャルや、その本質のようなものが初めて分かったような気がする。以下、本作の気になったポイントをザっと記してみたい。

M1「Wild Wind-野性の疾風-」とM2「12°30'」から、このグループは少なくとも我々が想像する典型的なフォークグループではないことがはっきりと示されている。簡単に言えば、ともにブルージーなのだ。アコギのストロークは意外にも…と言ったらいいか、かなりシンプルで、そこに大きなポイントが置かれているわけではないことは間違いない。それよりも全体的にオルガンが渋く鳴っていたり、M2ではブラックミュージック的な女性コーラスが重なったりと、ブルース、ソウル、ロックの匂いがプンプンする。

ブルージーな感じはそれ以後も続くのであるが、とはいえ、そう単純な話ではないのがこれまた面白い。アルバムの先行シングル的な位置付けだったと思われる、続くM3「夢去りし街角」もひと筋縄ではいかない、なかなか興味深いナンバーである。メロディーは堀内孝雄らしいと言える、やや演歌チックな印象だが、展開はA、Bメロの繰り返しで、歌謡曲、今で言うJ-POPとは性格が異なる。はっきりとしたサビがない分、転調することで歌の起伏を出しており、それによってベーヤンならではの歌唱を聴くことができるのもポイントだ。加えて、M3は所謂“ウォール・オブ・サウンド”を取り入れているのも注目に値するだろう。ウォール・オブ・サウンドから多大なる影響を受けた日本人アーティストのひとりである大瀧詠一が、そのサウンドの集大成と言っていい自身のアルバム『A LONG VACATION』や、プロデュース作である松田聖子「風立ちぬ」を発表したのが1981年。『ALICE VII』のリリースはそれより2年くらい早かったというのもまた興味深い事実ではある。

M3ほどではないけれど、M6「永遠に捧ぐ」のサウンドもほんのりとその香りが感じられるところで、この辺りからもアリスがアコギ基調のフォークソング制作に腐心していたグループではなかったことがはっきりとうかがえる。M4「未青年」やM5「ゴールは見えない」は、その歌メロは昭和歌謡的フォーキーさを湛えた印象はあるものの、M4のサウンドはやはりブルージーであって“ポップン・ブルース”とも言うべき代物に仕上がっているし、ツービートのリズムが引っ張るM5はロックのアグレッシブさが十分に注入されており、フォークに留まらないアリスの独自性といったものを感じるに十分である。

M7「チャンピオン」以降、アナログ盤で言うところのB面はさらにすごい。アリスの代表曲と言っていいM7がメロディー、サウンド、歌詞そのすべてにおいてドラマチックさ、スリリングさを示す一方、のちにシングルカットされたM8「秋止符」はアコギのアルペジオが全体に渡って横たわる、落ち着いたミッド~スローなナンバー。そして、M9「ルート・サンシャイン」は芳野藤丸(SHŌGUN!)のアレンジも冴える典型的なR&R;。M10「緑をかすめて」はどこかケルトっぽい雰囲気もありつつ、間奏のサックスでも分かる通り、AOR風味が強い。落ち着いた感じがM8であれば、M9は味わい深いといった感じであろうか。ラストのM11「美しき絆-ハンド・イン・ハンド-」も「秋止符」と同時にシングルカットされた楽曲だが、これはThe Beatlesを意識したものであろう。歌詞のテーマも、のちにユニセフのイベントへテーマ曲として提供されたことも納得のラブ&ピースであり、フルートの使い方や間奏のブラス、アウトロ近くでリフレインのテンションが上がっていくところなどには、明らかに「All You Need Is Love」のオマージュが感じられる。

斯様にザッと見ても、(少なくともB面は)1曲たりとも似たような作風がないのである。バラエティに富んだ作品というのは今も昔もないわけでないけれども、ここまで幅広い音楽性を持ったアルバムは、ソロアーティストはともかくとして、当時のグループやバンドでは珍しかったのではなかろうか。この辺はメンバー全員がコンポーザーであって、本作では3人それぞれに作曲し(谷村4曲、堀内4曲、矢沢3曲)、アレンジャーを5人も擁していたからであろうが、それにしても、グループ自体のキャパシティが広くなければそう容易くできる芸当ではない。子供の頃の筆者はこのキャパの広さをストレートには理解できなかったが、あれから40年が経った今、これがアリス自体の寛容さから導き出されたと考えると、改めて偉大なグループであることを感じたところである。

その歌詞世界は今も色褪せず

キャパが広いと言えば、アリスの歌詞も相当に広い。そして奥深い。それはB面の頭の2曲を比較するだけでもよく分かると思う。

《つかみかけた熱い腕を/ふりほどいて 君は出てゆく/わずかに震える 白いガウンに/君の年老いた悲しみを見た》《ロッカールームのベンチで君は/切れたくちびるで そっとつぶやいた/You're King of Kings/帰れるんだ これでただの男に/帰れるんだ これで帰れるんだ》(M7「チャンピオン」)。

《友情なんて呼べるほど/綺麗事で済むような/男と女じゃないことなど/うすうす感じていたけれど》《心も体も開きあい/それから始まるものがある/それを愛とは言わないけれど/それを愛とは言えないけれど》《あの夏の日がなかったら/楽しい日々が続いたのに/今年の秋はいつもの秋より/長くなりそうなそんな気がして》(M8「秋止符」)。

まずM7「チャンピオン」。演歌はともかくとして、流行歌の世界において恋愛以外のモチーフは珍しいと言わざるを得ないが、ボクサーを主人公とした同曲はシングルチャートで1位になっているのだから、これもまたアリスというグループの非凡さを後世に残す一線級の証拠であろう。闘いを描きながらもその高揚感だけでなく、悲哀を注入しているのがポイントだろうか。

そして、M8「秋止符」。《男と女》《心も体》《愛》といったフレーズがあるのでこちらは恋愛もので、おそらくはロストワンソングであろうが、そのシチュエーションはM7とは明らかに別次元である。それだけに留まらず、M8は(個人的には…だが)40年経ってもはっきりとした物語がよく分からない。そういう作りの歌詞だ。ただ、その内容はよく分からないけれども、そこに横たわる複雑でありながらも決して前向きにはならない感情は、聴く度に脳内へ侵入してくるかのようで、優れた楽曲であることは今も疑う余地はない。

そして、最もすごいのは、これを同じ人が書いているということではなかろうか。谷村新司、その人である。本作以外でもアリスのほとんどの歌詞はチンペイ氏が手掛けており、多作な上に多彩なアーティストなのであった(『ALICE VII』ではM10「緑をかすめて」だけが矢沢の作詞)。この辺は直接関係があるかどうかは分からないが、ラジオパーソナリティとしてさまざまなトピックを我々に語りかけてくれたチンペイ氏の懐の深さと、勝手に重ねたいところでもある。40年前に感じた氏の大人の魅力は、確かに『ALICE VII』に詰まっていた。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ALICE VII』

1979年発表作品

<収録曲>
1.Wild Wind-野性の疾風-
2. 12°30'
3.夢去りし街角
4.未青年
5.ゴールは見えない
6.永遠に捧ぐ
7.チャンピオン
8.秋止符(
9.ルート・サンシャイン
10.緑をかすめて
11.美しき絆-ハンド・イン・ハンド-

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