80年代のトップアイコン小林麻美、ジェーン・バーキンに寄せた強い意志 1984年 4月21日 小林麻美のシングル「雨音はショパンの調べ」がリリースされた日

極上の都会のオンナ・小林麻美「雨音はショパンの調べ」リリース

当時の彼氏は “はかなげ系” が大好きだった。木之内みどり、甲田益也子、そして小林麻美。長身で折れそうに細くか細いウィスパーボイス。そう、幸薄そうな “はかなげ系”。たくましい私となぜ付き合ったのか分からなかったが、彼氏の好みは分かりやすかった。

小林麻美といえば 70年代のはじめ、アイドル路線の「初恋のメロディー」でデビューしたのを覚えている。八重歯が印象的でそれが嫌なのかあまり笑わず、長身を気にしていたのかいつも猫背気味上目遣い。歌手としてだけでなく 77年くらいから PARCO、それと並んで資生堂のCMに起用されたことでモデルとしての地位を確立する。

そんな中、彼氏から「頼むから資生堂買ってポスター貰って」と頼まれ、かくして彼氏の部屋には木之内みどりと小林麻美のポスターが並ぶことに。この二人、系統は似てるけれど、違いは小林麻美のほうが圧倒的に “極上の都会のオンナ感” に溢れていたこと。確か赤文字系雑誌『JJ』だったと記憶しているけれど、ファッション誌では「小林麻美の私物」やら「小林麻美になりたい!」などの特集が並んでいた。

そして小林麻美は 84年7月「雨音はショパンの調べ」をリリース。“歌手・小林麻美、ふたたび” だ。

シングルB面はジェーン・バーキンのカバー、しかも本人訳詞!

ベッドで気怠げに男とタバコを吸うプロモーションビデオに狂喜乱舞する彼氏はさておき、そのシングルジャケットのイラストは合田佐和子!

そして、そのB面がなんとジェーン・バーキンの「ロリータ・ゴー・ホーム」。しかも小林麻美自身の訳詞と知り、これはただの元アイドル歌手じゃないと彼女のエッセイを早速購入。ザ・スパイダースの追っかけをしていたかなりの音楽通で、中学校から不良のレッテルを貼られ『ローズマリーの赤ちゃん』を観に行った映画館でモデル事務所にスカウトされる流れはめちゃくちゃ親近感が湧いた。

しかもジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブールの熱狂的なファンだと知る。だからこそ「ロリータ・ゴー・ホーム」を日本語でカバーした訳だ。結果、小林麻美の憧れてお手本にしているミューズ=ジェーン・バーキンは一般にまで認知され、さらにそこにエルメスの高価なバッグの名前になった逸話が加わり “極上のオンナ=バーキン” が一人歩きしていく。

なお、小林麻美はサンローランのコレクターとしても有名だが、そのきっかけはジェーンが着ていたサンローランからのめり込んだらしい。このどこまでも好きな対象にのめり込むエネルギーは、ある種のコレクター気質を感じる。

80年代のトップアイコン、小林麻美の影響力

80年代の極上のオンナは、91年に15歳年上の所属事務所社長と結婚、しかも極秘出産済みで電撃引退。その関係は17年前、つまり20歳の時から。そう、まさにジェーン・バーキンに寄せた彼女の意志を一番感じる「ロリータ・ゴー・ホーム」のカバーだった。

88年、ジェーン・バーキンの初来日コンサートで小林麻美を見かけた。長いソフトウェーブヘアーを曲に合わせて揺らし、ステージ上のジェーンと同じくらい男女問わず注目を集めていた小林麻美。80年代の極上のオンナが自らのルーツとして公言しなければ、ジェーン・バーキンもセルジュ・ゲンスブールもマニア向けで、来日公演すら無かったかも知れない。それくらい小林麻美はトップアイコンだったのだ。

カタリベ: ロニー田中

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