先人たちの足跡No. 245

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◆龍角寺略縁起について(5)

今回は、もう一つ別種の「略縁起」として知られる「下総国埴生郡龍角寺略縁記」(安食・大木家文書)を紹介します。これは、『千葉県印旛郡誌』(印旛郡役所、大正2年7月)に「同寺所蔵略縁記云」として全文掲載されているものと、上田三平『下総国龍角寺の新研究』(龍角寺本坊、昭和17年10月)に付録として全文掲載されているものがあります。さらに、五十嵐行男『龍のきた道』(平成26年5月)では安食・大木家文書から活字化されています。
さて、長らく原本の確認ができていなかった版本でしたが、栄町史編さん委員会の史料所在調査として平成3年10月8日に、伊藤義一氏(龍角寺:栄町史編さん委員会会長)の案内で調査されています。この「下総国埴生郡龍角寺略縁記」(シモウサノクニハニュウゴオリリュウカクジエンギ)は奥書によれば「天竺山寂光院龍角寺/謹略」とあることから、龍角寺で作成されたことが分かります。なお、本書は半紙判で表紙1丁、本文10丁、裏表紙1丁を4穴で紙縒りによる2カ所止めとする仕立ての冊子となっています。
具体的な内容については、冒頭に「抑龍神の本地薬師如来ハ閻浮有縁乃仏にましまして・・・」と書き出し、薬師如来のご恩沢を強調しています。
そして、和銅2年春に天龍女化来して寺を建立し、本尊は、「閻浮檀金の薬師の尊像當国印幡沼より出現したまふと云へりその跡いまにいたり湧出の穴有て折々薬師尊の御堂へ龍燈あがり・・・」とあり、「湧出穴」と薬師尊像の出現の「南池」を明確に印旛沼と記述し、「龍燈」についても関連付けて説明しています。
次に、「聖武天皇天平四年壬申春より諸国大旱魃にして/上一人下万民にいたるまで其歎き悲む事限りなし・・・」という降雨祈祷の「龍伝説」エピソードについて、凡そ3分の1位のスペースを使って記述しています。この部分は、「勅願請雨由来全」の内容をより分り易くしていることが特徴で、『印旛郡誌』掲載による普及で、現在も「龍伝説」の定番となっています。そして、「沼の辺にいたり見るに三段にきれて二角を生じたる小龍あり(中略)約束の如く頭を龍閣寺に納め閣の字を角といふ字に改め是より龍角寺とハいふなり・・・」とあり、この「蛇骨を石の唐櫃に納め堂前に埋め一社を造営し小龍の霊を龍神宮と崇む」として、「龍神宮」の建立由来を述べています。
さらに、「薬師尊敷地有縁の埴生十九箇村龍神宮の産子となり」とあり、所在地の龍角寺村を始めとする、麻生、佐野、奥津、北辺田、矢口、田川、竜台、北羽鳥、南羽鳥、上福田、松崎、宝田、下福田、長沼、酒直、須賀、安食の各村が龍神宮の氏子となって毎年3月20日に祭礼を行い、また小龍菩提のため毎年4月8日~7月16日まで法華経を読誦し、結願の時は大施餓鬼の秘法を営むなどと、「龍神宮」に関する諸行事についての記事を強調しています。
最後に、「其外當山の名所旧跡」として13項目が揚げられています。「龍角寺略縁起全」と比較して、名称の違いはあるものの三ヶの窟、不増不減の名石、沙伽蛇が池、幡憧の沼が記載され、七里河、逆河、片目魚は除外されていることから、見どころランキングなどの変化が表れているのでしょうか。
(栄町史編さん委員会文化財社寺部会)