北方領土、1島返還すら危うい? 安倍首相5月訪ロで進展は

By 内田恭司

昨年11月、共同通信社機から北方領土を空撮。北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に大小の島々で構成する歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左上)が見える

 今年も2月7日に「北方領土の日」を迎える。しかし、安倍政権が最重要課題の一つに掲げる北方領土問題の解決はいよいよ絶望的となってきた。安倍晋三首相はロシアのプーチン大統領から5月の訪ロを持ち掛けられているが、応じるのか明確にしていない状況だ。「2島どころか1島返還すら危うい」との声も出る中、展望は開けない。(共同通信=内田恭司)

 ▽元交渉担当が認めた現状

 「前進を見るために何らやるべきことがない。非常に心苦しく思っている」。昨年9月まで国家安全保障局長を務めた、元外務事務次官の谷内正太郎氏は1月24日の民放のBS番組で、ロシアとの北方領土返還交渉は全く進展がないことを、率直な言葉で認めた。

 領土交渉が膠着状態に陥っていることは誰の目にも明らかだが、安倍政権としては、あくまでも進展しているとの姿勢を貫いてきた。それだけに谷内氏が、いくら退任したからとはいえ、ここまで正直に苦境に陥っている現状を告白したのは驚きだった。

 10年以上前の2006年9月、外務省担当だった筆者は当時の麻生太郎外相へのインタビューで、外交官出身の公明党議員の主張を引き合いに、北方領土の「等分返還論」や「3島返還論」について質問した。すると麻生氏は「2島ではこっちが、4島では向こうが駄目。間を取って3島返還というのは一つのアイデアとしては考えられる」と明確に語った。以来、北方領土問題に関心を持ってきたのだが、なぜここまで行き詰まってしまったのか。

北方領土の地図

 ▽譲歩に次ぐ譲歩

 振り返ると、領土への日本の主張は譲歩と後退の連続だった。そもそも千島列島は、1875年にロシアと結んだ樺太千島交換条約で日本領となった「固有の領土」だ。だが日本は第2次大戦後、国際社会に復帰するに当たり、千島列島の放棄を定めたサンフランシスコ講和条約に調印。正式な領土を一方的に手放してしまった。

 その後、日本は択捉、国後、色丹、歯舞の4島は「千島列島に属さない」として、ソ連に「4島一括」での返還を要求してきた。しかしソ連が崩壊すると「返還の時期と態様は柔軟に対応する」との交渉方針に転換する。ロシアが4島の日本帰属を認めさえすれば、返還は一括でなくてもいいと譲歩したのだ。

 1998年に橋本龍太郎首相がエリツィン大統領に示した「川奈提案」は、この方針に基づく。4島の北に国境線を引くが、当面はロシアの施政を認める内容だ。3年後、森喜朗首相がプーチン大統領に提示した「並行協議案」は、さらに譲歩したものだった。歯舞、色丹の返還と、択捉、国後の帰属を同時に協議するもので、帰属確認の観点から後退と言えた。

 この後、小泉政権での領土交渉の停滞を打破すべく等分・3島返還論が浮上するが、領土の相当部分を放棄するとも受け取られかねない案で、批判が続出した。

 そして安倍首相が2016年12月にプーチン大統領に提示したのが「共同経済活動」案だ。ロシア側の合意を引き出した点は成果だとも言えるが、この案は、歯舞、色丹2島の引き渡しを定めた1956年の日ソ共同宣言を土台に2島返還を確実にし、残る択捉、国後2島での主権行使をわずかでも実現させることが狙いだ。

 「2島先行返還+アルファ」と言えば聞こえはいいが、返還対象を事実上、歯舞、色丹に絞ったという意味で、これ以上になく譲歩した案だった。

首脳会談に臨む安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領=2016年12月15日、山口県長門市

 ▽高まる戦略的重要性

 しかし、ロシアは態度を軟化させるどころか、北方領土への実効支配と日本への強硬姿勢を強めてきたのが実態だ。この10年をたどると、軍事面では、択捉、国後両島に駐留する「機関銃・砲兵連隊」を増強。軍事演習も頻繁に実施するようになった。空港を軍民共用化してスホイ戦闘機を置き、複数種類の新型地対艦ミサイルの配備も進めた。

 空港や港湾、道路といったインフラへの投資を促進し、学校、病院、教会などの生活基盤も整備していった。要人訪問も相次いだ。10年11月に現職大統領が国後島を初めて訪問し、国防相ら関係閣僚が続いた。昨年は8月にメドベージェフ首相が択捉島を訪問。9月には色丹島での水産加工工場の稼働式典に、プーチン大統領がビデオ中継で参加した。

 プーチン政権による極東開発重視の姿勢に加え、核大国である米国と対峙する中で、北方領土の戦略的な重要性が高まってきたことが背景にある。極東配備の水上艦や、オホーツク海の戦略原潜が自由に活動するには、北方領土はもはや不可欠なのだ。

 こうした実情を背景に、日ロ間の協議は難航を極めたものになっている。北方領土問題を含む平和条約締結交渉においてロシア側は、第2次大戦の結果、北方領土はロシア領になったというロシアの歴史認識の受け入れを要求。固有の領土がロシアに不法占拠されたという日本の主張の撤回を迫って譲ろうともしない。

択捉島でロシアのスホイ35戦闘機の乗員と対面するメドベージェフ首相(右端)=2019年8月2日

 ▽重ねる配慮、進まぬ交渉

 北方領土を引き渡せば、日米安保条約に基づき米軍が駐留する可能性があるとの懸念を繰り返し表明し、日米同盟にくさびを打ち込む姿勢を隠さない。共同経済活動を巡っては、ロシアの国内法に基づいて実施するとの一点張りで、具体的な進展はないに等しい。

 プーチン氏は18年9月に「無条件での平和条約締結」に言及。日本側の政策担当者は「領土問題を棚上げにするつもりなのか」と警戒感を募らせたが、安倍首相は「条約締結への意欲の表れだ」と受け止め、2島返還に軸足を置く姿勢を鮮明にした。

 さらに昨年の北方領土の日の返還要求全国大会では、「不法占拠」との表現を封印。クリミア半島併合を受けた米欧諸国による対ロシア制裁包囲網には、先進7カ国(G7)の一角でありながら実質的に加わらず、米欧が制裁対象とした要人の訪日を繰り返し認めてきた。プーチン氏肝いりの北極海での巨大ガス田開発にも加わった。

 ここまでロシアに配慮し、安倍首相はプーチン氏との首脳会談を通算で27回も重ねながら、北方領土問題は遅々として動かない。これが実態だ。

「北方領土返還要求全国大会」であいさつする安倍首相=2019年2月7日、東京都千代田区

 ▽安倍首相、5月訪ロへ

 それでは、日本政府として今後どうしていくのか。引き続き共同経済活動の実現を目指すにしても、日本側には「プーチン氏が権力を掌握している限り、今のままの交渉を続けていては、領土問題の進展は望めない」(外務省幹部)との見方が強い。

 プーチン氏は年明けの1月20日、憲法改正案を連邦議会に提出した。大統領諮問機関の「国家評議会」に憲法上の地位と強力な権限を与える内容で、大統領任期を迎える24年以降、プーチン氏が評議会議長に就き「院政」を敷くとの観測が強い。プーチン氏はロシアの最高実力者として君臨し続ける可能性が高いというわけだ。

 安倍首相はそのプーチン氏から、5月9日の対ドイツ戦勝75周年の記念式典に招待されている。1月30日の参院予算委員会で、首相は「十分な時間をとって首脳会談ができるか否かも含めて、出席を検討していく」と述べ、訪ロに前向きな姿勢を示している。

 前さばきで1月16日、側近の北村滋国家安全保障局長がモスクワを訪問。異例ながらプーチン氏が会談に応じ、首相の訪ロを重ねて要請した。プーチン氏は、トランプ米大統領や北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長にも式典への招待状を送っている。ロシア側は日本側に、首相が出席すれば金氏と接触できる可能性があると伝えているとの情報もある。

 今夏の東京五輪・パラリンピック後の「花道退陣」や「電撃解散」が取り沙汰される安倍首相だが、訪ロすれば、21年9月までの自身の残り任期をにらみ、領土交渉の立て直しにつなげるべく、プーチン氏との首脳会談に臨むのは間違いない。

参院予算委で答弁する安倍首相=1月30日

 ▽色丹の「国後化」が意味するもの

 ここで焦点となるのは、安倍首相がロシアの強硬姿勢を前に、さらに譲歩を重ねるのか、それとも首脳間の信頼関係を基に、交渉を前進させられるのかどうかだ。

 ある外務省OBは「今より後退するのではないか」と予測する。ロシアはここ数年、色丹島への実効支配も強めてきた。国境警備隊を増強して基地を整備。ロシアの新興財閥が水産業の振興に乗り出しており、生活基盤も急速に整いつつある。「色丹の『国後化』が進んでいる。ロシアはもはや色丹も返すつもりがない」。先のOBは言い切る。

 色丹配備の国境警備隊は、ロシアの水上艦や戦略原潜の通り道となる、択捉、国後間の「国後水道」に目を光らせる重要な任務を負う。色丹の国後化とは、色丹島もロシアにとって不可欠な戦略上の要衝として位置付けられたことを意味する。

 こうした観点に立てば、2島どころか、戻ってくるのは歯舞1島のみということになりかねない。だが、安倍首相が一層の譲歩を視野に入れるなら、1島返還も俎上に載せる可能性はある。北方領土問題に取り組む鈴木宗男参院議員は、同じく30日の参院予算委で「1島でも2島でもいい。返せるなら返してほしい。それが元島民の願いだ」と訴えた。

 首相は「元島民が元気なうちに、何とか領土問題を解決したい」と、改めて決意を強調した。「1島でも」の部分に共鳴するものがあるのだろうか。

 ▽評価の分かれ道

 とはいえ、安倍首相が譲歩を重ねるにしても、ロシア側から何の歩み寄りも得られなければ、後世の歴史家からロシアに屈したと評されるのは確実だ。少なくともロシアの歴史認識受け入れの撤回に加え、4島での共同経済活動を巡り、日本の主権行使につながる「新たな法的枠組み」の創設で合意できるかが評価の分かれ道になる。日本の領土主張の正当性が維持される上、遠い将来であっても全島返還への道を残すことになるからだ。

 1島返還といったカードを切って譲歩を引き出すのではなく、課題を列挙して解決時期を定める方法もある。歴史認識や法的枠組みの問題、日米同盟の在り方などの重要テーマについて、例えば2025年までに集中協議し、平和条約締結を目指す方針で合意するやり方だ。ここでもまずは1島、もしくは2島の返還が現実的な政策目標となる。

 だが、それでもロシア側が強硬姿勢に終始するなら安倍首相は、当面進展は見込めないと見切り、プーチン氏とのこれまでの合意内容を確認した上で、4島返還を粘り強く求めていくという交渉の原点に立ち返るべきだ。

北海道標津町の漁港から望む沖合の北方領土・国後島=2016年12月16日

 ▽最低限の責務

 今回、安倍首相は5月の訪ロについて、プーチン氏から招待を受けても即答しなかった。「首相は北方領土問題への意欲を失いつつある」(政府関係者)との指摘もあるだけに、首脳会談が開かれても成果なく終わる可能性も十分にある。その場合、少なくとも交渉継続だけは確認しなければならない。首相の最低限の責務だろう。

 北方領土問題を巡っては、さまざまな構想や案が出ては消えた。北極海のスバルバル諸島のようなロシアとの「共同統治案」や、北海道とサハリンを含めて「オホーツク共同体」として独立するという、夢想に近い構想もあった。2島返還の変形バージョンとして、色丹島の代わりに「歯舞+国後島南部」というのも耳にした。

 だが、領土問題を進展させるには、独創性や「奇策」を追求するのではなく、信頼関係を深めつつ、一つ一つ課題を解決していく、長く地道な作業が必要なのだろう。日ロ両国の国力や国際情勢の変化により、交渉の在り方が様変わりすることもあるだろう。

 北方四島は日本固有の領土であり、国際法的にも歴史的にも正当性は日本にある。そして、ロシアに対して返還を要求し続ける。この基本だけは失ってはならない。

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