西武外崎は辻監督と同じ「5」でブレーク 監督の現役時代と同じ背番号の選手たち

西武・外崎修汰【写真:荒川祐史】

西武外崎は2018年に「44」から「5」に変更、昨季は二塁で大活躍

 2020年のパ・リーグ6球団を率いる監督には、かつて現役として活躍した時代があった。人によっては「当たり前」と言えるかもしれないが、その現役時代を全てのファンが目撃しているとは限らない。かつての雄姿と今をつなげる要素、それは「背番号」ではないだろうか。もちろん、全ての監督が古巣を率いるわけではないが、こうした細かい部分に共通性を発見してみたい。なお、監督が現役時代に最も長い期間着用した背番号を中心に取り上げる。

【西武】辻発彦監督:背番号「5」(1984~1995西武)

 1983年ドラフト2位で日本通運から西武に入団した辻監督。特にファンの印象に残っているのは、その卓越した二塁の守備力だろう。背番号5を背負った12年間のうち、8度(86、88~94)ものゴールデングラブ賞を獲得している。一方、打撃面でも1993年に首位打者と最高出塁率に輝いており、まさに常勝西武の中心選手だったと言える。監督としても就任3年間で2度のリーグ優勝を果たすなど、その貢献度は計り知れない。

 外崎修汰内野手は2018年より背番号がそれまでの「44」から「5」へ変更。当時就任2年目だった辻監督が、かつての代名詞を任せる形になった。すると、2019年は自身初となるシーズン全試合出場を達成し、同じ二塁の定位置をがっちりとつかんだ。失策15と、二塁だけの守備力ではまだ監督には届かないが、外野手としての出場経験も豊富であり、内外野を守ることができる器用さを持つ。さらに、打撃面でも自己最多の26本塁打を放つなど大きく成長し、代名詞の「アップルパンチ」も定着させた。1995年から10年以上の時を超えて、背番号5を再び輝かせている。

【ソフトバンク】工藤公康監督:背番号「47」
(1982~1994西武、1997~1999ダイエー、2000~2006巨人、2007~2009横浜)

 1995年に西武からダイエー(現ソフトバンク)に移籍した工藤監督。移籍当初の背番号は「21」だったが、1997年より西武時代から慣れ親しんだ「47」に変更している。ダイエー在籍時の着用3年間のうちで、特に輝きを放ったのは1999年。先発の柱として11勝を挙げ、最優秀防御率、最多奪三振の2冠を獲得。チームのリーグ制覇に大きく貢献し、リーグMVPを獲得した。監督としても、就任5年間でチームを4度の日本一に導いている。

 入団からその「47」を背負うのが高橋純平投手だ。2015年ドラフト1位で、工藤監督の手によって引かれた抽選によってソフトバンク入団。この経緯を考えるだけでも、背番号47には大きな期待が込められていることが分かる。2019年は中継ぎとして自身最多となる45試合に登板し、ブルペンを支えた。2020年は先発再転向に意欲を示しているが、かつての工藤監督のように、先発の柱に成長できるか注目だ。

【楽天】三木肇監督:背番号「35」(1996~2007ヤクルト)

 2020年シーズンより楽天の新監督に就任する三木監督。現役時代は楽天に在籍することはなかった。背番号は、ヤクルトで7年間着用した「35」が最長となっている。タイトル獲得とはならなかったものの、両打ちのユーティリティープレイヤーとしての起用を中心に活躍した。引退後はヤクルトでのコーチ経験を経て、2019年は楽天の2軍監督に就任。球団創設以来初となるイースタン・リーグ優勝に導くなど、優れた指導力を見せている。2020年シーズンからは1軍監督としての手腕にも期待が高まる。

 チームは違えど、楽天の背番号「35」と言えば島内宏明外野手だ。2011年ドラフト6位で入団して以降、背番号の変更はない。プロ入り当初は苦しんだものの、2017年から3年連続で2桁本塁打を記録。豪快なアーチを描くタイプではないが、2019年はリーグ4位の得点圏打率.342を記録するなど勝負強さを見せた。2020年は30歳で迎える節目のシーズンだけに、三木新監督を支えてもらいたいところだ。

井口監督はロッテ現役時代と同じ「6」をつけている

【ロッテ】井口資仁監督:背番号「6」(2009~現在)

 井口監督は2009年の日本球界復帰以降、現在まで背番号「6」を背負い続けている。特に2010年にはリーグトップの44二塁打、リーグ2位の103打点を記録してチームのクライマックスシリーズ制覇、日本一にも貢献した。引退試合で放った劇的な同点弾はロッテファンのみならず、多くの野球ファンの心に残っているだろう。2018年より監督に就任し、今度は指揮官として手腕を発揮している。

 ロッテの選手時代と同じ背番号を挙げることは不可能だが、大リーグ挑戦前まで遡ると、興味深い巡り合わせが見えてきた。1997年から2004年にダイエーで背負った背番号は「7」である。この背番号を2020年から背負うのが、ダイエーの後身であるソフトバンクから移籍する福田秀平外野手である。単なる偶然の一致なのか、約束された巡り合わせか、その答えは分からない。だが、新天地・新背番号を福田秀の野球人生における転換点にしてもらいたい。

【日本ハム】栗山英樹監督:背番号「46」(1984~1989ヤクルト)

 栗山監督は1984年から1989年にかけて、ヤクルトで背番号46を背負っている。病に悩まされたこともあり、規定打席に到達したのは1989年の1度のみ。ただ、1986年には107試合で打率.301、1988年には90試合で打率.331の好成績を残した。一方、監督としては現在のパ・リーグで最長の9年目のシーズンを迎える。2016年にはチームを日本一に導き、大谷翔平投手(現エンゼルス)の「二刀流」を見事に成功させるなど、その手腕は誰もが認めるところだ。

 現在、日本ハムの背番号46は田中瑛斗投手だ。2020年で高卒3年目を迎える右腕は栗山監督と同じ外野手ではないため、単純な成績の比較はできない。ただ、大きな期待が寄せられていると言えるだろう。2019年はファームでチーム最多の17試合に先発し、0勝11敗と強烈な洗礼を浴びた。もちろんファームで好投することが一番だが、これだけのマウンドを任されること自体が、期待値の高さを示している。まだまだ高卒3年目。痛打された経験も、必ず後の飛躍の糧になるだろう。

【オリックス】西村徳文監督:背番号「3」(1987~1997ロッテ)

 西村監督は10年間にわたり、ロッテで背番号3を着用した。選手時代は球界随一の俊足の持ち主として活躍。1986年から4年連続で盗塁王のタイトルを獲得し、続く1990年には首位打者にも輝いている。監督としては、2010年に古巣のロッテで日本一を経験。2019年にオリックスの監督に就任した。最下位に終わったものの、自身と同じ俊足の持ち主である福田周平内野手らをチームの主力へと導いた。

 現在のオリックスの背番号3は安達了一内野手。2011年ドラフト1位で入団して以来背番号の変更はない。西村監督ほどの走力は持ち合わせていないが、その遊撃守備は球界トップクラスだ。2016年には開幕前に難病である潰瘍性大腸炎を発症しながらも、118試合に出場し、自己最高の打率.273を記録。自身初となる月間MVPを獲得している。2020年は32歳で迎える。若手が多いチームの中で、中核として西村監督の起用に応えたいところだ。

 プロ野球の歴史は長いが、背番号はその大部分において一貫して続いている。偶然一緒になったと言ってしまえばそれまでではあるが、こうした細かいつながりに楽しみを見いだして、他のファンとの話のタネにしてみてはいかがだろうか。(「パ・リーグ インサイト」吉田貴)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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